レッスン26
私達が最初に訪れた大通五丁目会場では、道内のご当地グルメと各地のラーメンを提供していてこの会場だけはチケット制となっている。チケットを購入して食べたいものと交換するのだ。ラーメンもグルメも全てオール六百円だから、お得かもしれない。
「熊野さんは何が食べたいですか?」
早めに席だけ確保して相談に入る。
平日だから全く席が取れないほどの混雑では無い。
「姫野さんは決めてますか?」
「う、実は……絶対食べたいと思っているのが『ジャンボほたてバーガー』です。あと『甘海老みそラーメン』も食べたいな~と……」
初めてしっかりと自分の意見を言ったかもしれない。
いつも知識がなくて、熊野さん頼りのところが大きかった。
でも今回は事前に十分に調査していたから、あれもいいな~これもいいな~と悩む時間が十分あった。
パンフレットを見てスマホでチェックして……既に私の心はご当地グルメ賞を受賞したというホタテバーガー、それから甘海老ラーメンを食べたい!という欲求で一杯だった。
強い決意を込めて拳を固める私を見て、熊野さんはクスリと笑った。
「熊野さんはピンと来たメニュー、ありますか?」
熊野さんはパンフレットを見て、腕を組んだ。
どうでも良いけど、組んだ腕が逞しすぎて思わずガン見してしまう。
これって維持するの大変そうだな……。
「『金色の醤油らーめんホエー豚の2種のチャーシューのせ』っていうのが気になりますね」
「あ、それ私も気になってました。違う味のチャーシューふたつを一緒に味わえるっていうのも、魅力的ですよね」
「俺もそれが気になって。でも増毛産の甘海老味噌ラーメンも捨てがたいな……頼んだらちょっと味見させて貰っても良いですか?勿論お返しにチャーシューも提供するので」
あ、味見……。
つうことは、同じラーメンどんぶりの中の具材を分け合うという事か……。
思わず反射的に断ろうとして、麻利亜の有難い薫陶を思い出し口を噤んだ。
曰く、『一つの皿から分け合うべし』
食べ物を分け合う事で親近感が増し、共有する事で『私はあなたを拒否していないですよ』というメッセージを伝えるというものだ。
彼女が言うには、鳥の求愛行動にも食べ物をプレゼントするというものがあって、それを相手が食べると相思相愛だという返事になるという……。
男性と隣に座ってご飯を食べる経験もほとんど無かった私にしたら、一つの皿の食べ物を分け合うなんて清水の舞台から飛び降りるくらい(大袈裟?)恥ずかしい行動だ。
しかし、私は決めたのだ。
恥ずかしくても、ちょっと挙動不審でも、こちらからアピールする事を。
けれどもまだ決定的な告白をする段階では無い。
だって相手はお客さんなのだ。
それに免疫の無い私が、一般的な礼儀のつもりで熊野さんが行動した事を、大きくとらえ過ぎている可能性は70%……いや90%くらいあるかもしれない。
しかも、これだけカッコ良い人なんだ。
普通に笑って貰っただけで、舞い上がってしまう女の子は星の数ほどいるに違いない。私はそのうちの一人だっていうのは、かなりの確率で在り得ると思う。
だけど。
私は熊野さんを好きになってしまった。
だから、できれば今より仲良くなりたい。
本当は彼女になれたら――――一番嬉しいのだけど。そこまでは流石に無理だってわかってる。
でも私が熊野さんに好意を持っているって事は伝えたい。恥ずかしがって縮こまっているより、今より一歩でも二歩でも熊野さんに近づきたい。
そう男の人に対して思ったのは初めてだった。
だから、恥ずかしくても何でも、私はできるだけやってみようと決心したのだ。
「は、はい!是非……ぜひっ味見してくださいっ!私もチャーシュー食べたいでっす!」
しかし前のめり過ぎて、やはり挙動不審になってしまった……。
想定の範囲内だけど、やはりスマートに行動できない自分に腹が立つやら悲しくなるやら。
そんな怪しい私の言動さえも優しく包み込むような微笑みを湛えて、熊野さんは頷いてくれたのだ。
「はい、一緒に食べましょう」
キラーン!
ま、まぶし~~。
笑顔が眩しすぎて、鼻血が出そうなくらい私の頭に血が上ったのは言うまでもない。
** ** **
列に並びそれぞれ目当てのラーメン等を確保して席に戻った。
熊野さんが頼んだラーメンには、分厚いチャーシューが二種類どーんと乗っかっていた。一方は炙ってある。分けて貰って一口いただくと、柔らかくてトロトロでびっくり。うーん、どっちも美味しい。ベースは醤油でけっこうスッキリしているから、チャーシューが主張していても、バランスが良い。
私が選んだラーメンは味噌ラーメン。普通のラーメンよりちょっとオレンジがかったスープだ。甘海老のダシが美味しい。中太の縮れ麺もスープが絡んでいい感じ。数口食べて熊野さんに渡すと「甘海老好きなんですよね」と言って嬉しそうに食べていた。
私が先に取っちゃった形になってしまったので、少し申し訳ない気持ちになった。
『ジャンボほたてバーガー』は本当に『ジャンボ』だった。
特別サイズの大きいホタテの貝柱が春巻きの皮でくるまれており、野菜と一緒に柔らかいバンズに包まれているそれにガブリと歯を立てると、春巻きの皮がパリパリと音を立て、ぷりっぷりのホタテの貝柱の触感を引き立ててくれる。
「うーん、旨いっ」
思わず女性らしくない言葉で唸ると、正面に座る熊野さんが笑った。
「こっちもどうぞ」
と、熊野さんが頼んだ『牛玉ステーキ丼』を差し出してくれた。
おお……表面に火が入って中心がミディアムレアくらいのサイコロ状のステーキを噛み締めると肉汁がじゅうっっと染み出す。うう……こっちもパーフェクトだわ……。
「う、うますぎますぅ~~」
ジタバタと悶えると、熊野さんが私のリアクションにもう耐えきれないと言うように笑い出した。
……また何かのツボを押してしまったのだろうか。
あまりに美味し過ぎて夢中になり過ぎて、麻利亜に教えられた必殺技の一つ『ソフト・ボディタッチ』を実行するのを忘れていた事に気付いたのは、ラーメンスープを全て飲み干した後だった。
ちなみに『ソフト・ボディタッチ』とは、話の途中で「いやーん、おもしろい」とかなんとか適当な相槌をを打ちながら、腕や肩に触れるというモノだ。改めて考えると、私のキャラクターからかけ離れている。
うん、無理だったね……。やっぱやらなくて良かった。
たっぷりご当地グルメを堪能した後、次の会場を目指そうと西へ移動した。
途中、子供たちの遊具が設定されている場所があって、歓声を上げて走り回る子供たちを私達は足を止めて眺めた。
黒い艶々した石を磨き上げた円柱があって、そこからピュッっと子供たちが飛び出してくる。中が削り取られて滑り台になっているようだ。
「楽しそうですね」
「ええ。『ブラックマントラ』―――小さい頃よく遊びましたね」
「オサム・ノグチでしたっけ。こういう彫刻良いですよね……触るとひんやり冷たくって。そう言えば、札幌駅で待ち合わせした白い石も同じ人が作ったんでしたっけ?」
「いえ、あれはヤスダカンですね」
「『ヤスダカン』?」
「『安田完』―――彫刻家ですよ。あの人の作品だ好きなんですよ。穴の開いた白い石ですよね……確か『ミョウム』って名前だったかな?」
熊野さんは目を細めて、真っ黒い滑り台を見ていた。
子供の頃を思い出しているのだろうか……?二人の間に少しの間沈黙が落ちて、私も暫くそちらを熊野さんの隣に立って子供達がはしゃぐ様子を一緒に眺めていた。
そしてちらりと目を細めて彫刻に目をやる、熊野さんの美しい横顔を見上げる。
すっと伸びた背筋、長い手足、逞しい筋肉に包まれた体つき。
精悍な目元、美しい容貌の彼を見ていると、なぜ地味で平凡な私が彼の隣でこうして居心地良く過ごしているんだろう?と不思議に思ってしまう。
近くにいられる『今』を手放したくない。
このまま黙っていたら、すぐにでも熊野さんは遠い存在になってしまうだろう。
そんな気がした。
「もうすぐ『星に願いを』が完成しますね」
「はい、楽しみです」
熊野さんは滑り台を見ていた顔をこちらに向けて、少し微笑んだ。
「全部マスターしたら、どうされますか?」
「……」
「熊野さん、手が大きくて指が長いから実はピアノ向きですよね。今まで関わって来なかったのかもしれないけれども――――他の曲も覚えて、もっと続けたらもっと楽しいですよ?」
「……そうですね、きっと楽しいですよね」
ドキドキと胸が早鐘を打つ。
こんな風に引き留めるような事を言うのは勇気がいる。しかも、邪な動機があるから尚更。
「でも、実はこれから仕事が繁忙期に入るんです。だからこの曲が完成したら、一旦レッスンは休もうと思ってました」
「……そうですか」
ガーン……。
ショックで一瞬頭がクラリとした。
一曲で終わり?
そうだよね。仕事忙しくてピアノの練習やっている暇が無いくらいだもんね。
もしかして、このまま……会えなくなるのかな?
またレッスンに戻ってくる保障なんて無いよね。
「ざ、残念です……」
私の声は明らかに沈んでいたかもしれない。
熊野さんは、明るい声で話題を変えた。
「そう言えば安田完の彫刻って、他にもいろんな処に設置されているんですよ」
「札幌駅以外にもですか?」
熊野さんが場の暗い雰囲気を変えようとしているのを感じて、私も俯きかけてた顔を上げて笑顔を作った。
「創成川の狸広場に何度か行きましたよね。その創成川沿いに北に歩くと、公園の中にいくつか白い彫刻があるんです。それも安田完の作品ですよ」
「そういえば、見た事があるかもしれません。そうですか、そういえば札幌駅の彫刻と似てますね」
確かにそういうぽってりとした滑らかな彫刻を見た気がする。
記憶の端に引っ掛かっているみたいだ。
「安田完は世界的な彫刻家で彼の作品は海外の到る処に設置されているんですが―――実は彼は北海道出身なんです」
「あ、それで札幌駅に置かれているんですね」
「はい。空知管内の美唄市出身で、美唄市の山奥に彼の美術品を無料で公開する公園があるんですが――――これが一見の価値がある素晴らしい物なんですよ」
「へぇ……」
熊野さんの顔は輝いていた。
瞳もキラキラと輝いて、エネルギーが漲っているのが分かる。熊野さん、本当にその彫刻家の作品が好きなんだなあ
「俺の仕事が一段落したら――――一緒に見に行きませんか?」
「……え?」
「ほんとうに別世界みたいに素敵な処なんです。山の中の廃校を利用した公園で、作品を木造校舎の中に展示していて。喫茶店もあって珈琲を飲みながら作品を見る事もできるんですよ。姫野さんも気に入ってくれると思います」
心臓のドキドキが耳の鼓膜を揺さぶる。
レッスンが終わっても、仕事が一段落したら――――熊野さんに会える?
それを約束してくれるの?熊野さんから。
嬉しい。
どうしよう、嬉しすぎて口から心臓が出てきそう。




