No. 2長考シエスタ
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「あれ? あれあれ? おやおやおや」
明るい声……というよりも、こちらをバカにしているような、こちらをからかっているような、そんな声が僕の耳を通って脳内に響く。
「おやおやまあまあ、これはこれは。珍しいですね~こんな時間に」
声は時として右から聞こえ、前から聞こえてきたかと思えば左へ移動していく。どうやら声の主は、僕の周囲をゆっくりと周回しているようだ。
「おっきろ~! 夢の時間だぞ~!」
近づき声を張ったのか、突然の大声。
僕は眉根を寄せながら瞼を開く。すると目の前に、目の前というか目と鼻の先に、僕の顔を覗き込むようにして同い年くらいの女性が立っていた。
白いシャツに赤いヒモ状のリボンをしており、その上にはセーターを着ていて下はチェックのスカートをはくという、どこかの高校生といった感じの服装である。そしてその表情は声と同じで、こちらをからかっているような、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
女性は僕が目を覚ましたのを確認すると、「フフフ」と、生気をあまり感じられないその瞳を細めて笑う。覗き込む姿勢から直立すると、くるくると回って教卓に腰かけ始めた。
「ふむふむほーほー。変わった教室ですね~、ここ。いたる所に数字の5が! いったい何をどうしたらこんな教室が現れるんでしょう」
彼女はキョロキョロと室内を見回す。首を振る度に彼女の特徴的な前髪が揺れ動く。
ウェーブのかかった彼女の髪の毛は、なぜか前髪の中心の一部だけ、他の部分の前髪よりも長い。それがまるで、動物の尻尾であるかのように揺れているのだ。
一度、何で一部だけ長いのか、切った方がいいんじゃないか、と聞いたことがある。『これは私のアイデンティティーです。切るわけにはいかんのです』と言われた。
「それで、室戸くんは何でこんな教室にいるんです? こんなおかしくて奇怪で、不自然難解摩訶不思議な教室に、何であなたはいるんでしょうか。私の知らない間にタレントにでもなって、ドッキリにかけられるようにでもなったんですか?」
「大丈夫。僕の人生はそんな華やかなバラエティー要素を含んじゃいないし、その予定もない」
「そりゃそうですね。顔普通、学力、運動能力普通。没個性の平凡人間、キングオブ平凡ですもんね、室戸くん」
「否定はできないからしないが、何もそこまで言うことないじゃないか……」
流石にちょっと傷つく。自覚しているのだとしても。そこまではっきり言われたくはない。
「そんなことより凡戸くん」
「僕の名前はそんな、どこぞのスパイのような名前じゃない。というか、なんだよボンドって。どんな字だよ」
「平凡な室戸くん。略して凡戸くん」
「なるほどね。略すんじゃない。いや違うな、平凡の凡を僕の名前に混ぜるんじゃない」
「そんなことより凡戸くん」
おや、会話がループでもしたのだろうか。彼女は今のやり取りを全て帳消しにしたかのように、僕を凡戸くんと呼んできた。
構ったら負けだと悟った(もとい、面倒くさくなった)僕は、彼女の凡戸くん呼びを無視することにした。凡戸っていうのも、字面を気にしなければ、聞くだけならば格好よく聞こえるわけだし。
「はぁ……何だよ、夢野」
夢野。それは彼女の名前。目の前にいる彼女の、最近僕の夢の中に現れる、彼女の名前。なんとも彼女らしい、夢の中の住人である彼女らしい名前だ。
夢野は、最近突如として僕の夢を荒らすようになった謎の女子だ。今まで彼女の存在は謎だったわけだが、もしかすると彼女も怪異であったりするのだろうか。
「……? おや。つっこまないんですか? つっこんでくださいよぉ。ねえねえ」
「話があるんじゃないんですか」
「むむ、つれないですね~。どこぞのアララな感じの先輩なら、『違う、僕の名前は』と言って何度も返答してくれるというのに」
「そのアララな感じの先輩というのが、いったいどういう人物なのか、僕は凄く、もの凄く気になっているが、あえて聞かないでおく」
もし聞いてしまったら、僕は深い後悔の念を抱いてしまいそうだ。下手したら僕の命が消滅してしまうんじゃないだろうか、そんな恐怖を、『アララな感じの先輩』という存在から感じている。
「まぁいいですよ。それでは室戸くん。一つ、と言わずにいくつか聞きたいことがあるんですがね。何なんです、この教室?」
それがわかってりゃ苦労しない。
「僕の友達の女の子の話では、これは怪異の仕業らしい」
僕の言葉に夢野は「うわぁ」と言って口元を右手で隠すように覆った。
「それはいわゆる電波女というやつで……?」
「違う。……はず。とにかく、忘れ物を取りに来た僕は意識を失って」
「なんですかそれ。怪しげな取引現場を目撃して、夢中になってしまったりしてたんですか?」
「僕は別に後ろから近づいてきたもう一人の仲間に気づけなかったわけじゃない。ちょっと黙れ」
お願いだから黙っててくれ、頼むから。話が進まないから。とにかく黙っててくれ。
「とにかく、意識を失った僕が目を覚ますと、この5という数字だらけの教室に、友達の柊さんと一緒に閉じ込められていたんだ」
「閉じ込められていた……ですか。とりあえず夢オチの可能性は無くなりましたね。現に今こうして、私と話しているんですから」
「そうだな」
一番そうであってほしいと思っていた選択肢は破棄された。そしてドッキリなんじゃないか、という選択肢は、自分で可能性の一つにあげていたくせに先程自分で否定している。
ということは……つまり……。
「つまり、怪異の仕業、というわけですか。あるんですね~そんなことが。いやぁ、厄介なものに巻き込まれましたね~。大変ですね~大変大変。いやぁ、大変だ~。これは一刻も早く解決しなければ~」
教卓から降りた夢野は、ニヤニヤしながら教室内をうろつき始める。早く解決しなければ、なんて言ってはいるが、僕の心配をしているわけではないのだろう。言葉からも表情からも、そういった感情は全く伝わってこない。
だが確かに、一刻も早く解決しなければいけない。いつまでも、こんなわけのわからない場所で閉じ込められていたり、眠っていたりなんてしてはいられないのだ。
だがその前に、質問を一つ……。
「なぁ夢野」
「ん? なんです?」
「お前もさ、怪異とか、そういう存在かなんかなの?」
「室戸くんの頭は熱したヤカン状態なので?」
「回りくどく言っているが、それは『頭沸いてんのか?』ってことでいいんだよな?」
「御名答。流石室戸くん」
ずいぶんと辛辣な言葉を吐くじゃないか……。そんなに僕の発言はおかしかっただろうか。そんなはずは…………いや、まともではない……か。うん。まぁいい。
「んーっ! はぁ……確かに開かないみたいですね~これ。こうなってはドアもただの飾りですね」
夢野は入り口の扉に手をかけて開けようとしたみたいだが、当然その扉は固く閉ざされたままだ。声のわりには全く力を入れているようには見えなかったが。
それにしても、再現度の高い、リアルな夢だ。思えば、こんな夢を見るようになったのは、夢野が僕の夢に現れるようになった頃からだろうか……。まだ数回しか見たことないが、彼女が現れた夢は、決まってリアルな夢を見るような気がする。
「それにしても、残念ですね~室戸くん」
「ん? 何が?」
「これがラブコメだったなら、教室に女の子と二人きりっていう状況はもっと、ドキドキするような展開になっていたと思うんですよ」
「いや、ならないだろ」
開始早々ドキドキしてても意味がわからないだろ。ん……? そうでもないか……?
「おや、違う? ……あ、そっか、もっといやらしい展か」
「ならねぇよ!」
「あ、すいません……あなたにそんな度胸はないですよね」
「ふふ、何を言ってるのかな夢野さん? 僕は紳士だからそんな、相手の気持ちを考えない真摯さに欠ける行動はしないというだけであってね。別に度胸がないとかそういうわけではないんだよ。僕は、紳士だから」
僕は決め顔で夢野に指をさす。
「あ~はいはい、そ~ですね~」
こいつ……!
「ふぅ……さてと、そろそろ真面目に考え始めましょうか。この、数字だらけの教室という怪異の解決法を。あなたが、ここから外に出るための脱出法を」
夢野は教壇の上に立ち、どこから取り出したのか眼鏡をかけ始める。夢の中だから、そこら辺は自由にできるのだろうか。
「さて、それじゃあ、私の質問に答えてくださいね室戸くん。まずは、おさらいをしましょう」
彼女は白いチョークを手に持つと、黒板の左上の方に①と書き出した。
最近、僕が何かの問題に直面した時に、こうして夢の中で彼女と話しあい、確認しあい、答えを導きあうことがある。彼女の力のおかげで、今まで相対してきた問題は難なく解決してきている。といっても、今回ほどの大問題が起きることは今まで無かったわけだが、だが僕は彼女になら、彼女となら怪異だって解決できてしまうのではないかと、なんとなくそう思ったのだ。つまり僕は、彼女の力を信頼していると言えるだろう。だから、僕は眠りについた。彼女と、この教室で発生した怪異という問題を解くために。
「室戸くんは、忘れ物を取りに教室に戻ってきたんですよね?」
「まぁ、そうだな。さっき言った通りだ」
「で、すぐに気を失った」
「そう」
「ではその時、教室の中に誰かいましたか?」
「ん? なんでそんな」
「いいからいいから。どうだったんですか?」
僕は窓の外をなんとなく眺めながら、教室に入ってきた時のことを思い出してみる。
教室に誰かいたか……。確か教室に入る時に誰かの話し声を聞いたような……そうだ、柊さんがいた。柊さんが……誰かと話していた……?
「柊さんがいた。誰かと話していたはずだから、二人いたってことになるのかな」
「なるほどなるほど」
夢野は、黒板に今僕が口にした情報を書き写していく。そして下向きの矢印を今書いた文の下に書くと、②と書き入れた。
「で、目を覚ましたら、このヘンテコな教室に二人きりで閉じ込められていた、と」
「ん……。あれ、じゃあ柊さんと話してた人は……」
「今回のこの怪異を引き起こした張本人か。はたまた、その人物は全くの無関係で、君達二人が何かしらの条件に当てはまったがために巻き込まれてしまったのか、とまぁ、現状では推測しかできないうえに、可能性なんていくつも思い浮かんでしまうので考えても仕方ありませんね。この件は置いておきましょう」
夢野は箱を横にずらすようなジェスチャーをすると、再び黒板に情報を書き始める。矢印を書き入れると、その下には③と書き込まれた。
「じゃあ次に、室戸くんが起きてからの行動を教えてください」
「起きてからの行動……といっても、教室から出られないかを確かめたくらいだけど」
「内容を詳しく」
「……僕が扉を開けようとして開かないことに気づいたから、柊さんは窓を確認して、僕はもう一つの扉を確認した。どっちも開かなかった。窓も、もう片方の扉も」
「その後は?」
「教室内の掲示物とかカレンダー、温度計とかを確認したかな。全部見事なまでに5ばっかだったけど」
「まだ調べていない場所はないですか?」
「……机の中、くらいかな」
……まさか、机の中に何か重要なものが……!?
「それはないんじゃないんですかね~」
「む……そうか」
まぁ、めんどくさい探索ゲームでもないんだし、なんのヒントも無しに机の中を全部確認しろなんてことするわけないよな。怪異が何か考えてこの状況を造り出したのなら、だけれども。
……というか、ちょっと待てよ……? 今僕声に出してたか……?
「顔に出てるんですよね~あなた」
……マジで……? そんなに僕は
「思っていることが顔に出る、わかりやすい人間なのだろうか……? と、内心不安に思う室戸くんなのでした」
「おい、僕の心の中を先読みするな」
「そんなことはどうでもいいのですよ、室戸くん。というか、私あることに気づいちゃったわけなのですが。──室戸くん、あなたは教室で目を覚ましてから時計を確認しましたか?」
「時計? それなら……」
僕はスマホを取り出し、電源をつける。画面に映る時間は夢でも変わらず……。
ともかく、僕はこうやってスマホで時間を確認したわけだ。
「違いますよ、室戸くん」
「はい?」
違います? いったい何が……。
「私は、『時計』を確認しましたか? って聞いたんです。『時間を』ではなく、『時計を』です。字面似てますけど間違えないでくださいよ。あなたのその手に持っている物は、時計ではないでしょう?」
……なるほど。確かに僕が今右手に持っている物はスマホだ。スマホは時間を確認できるだけであって、時計であるわけではない。そう考えると、僕は時計を確認していないことになる。
だがしかし、それがいったい、なんだというのだろうか……?
「なぁ、夢n」
と、疑問を口にしようとしたその時、突然ガダンッ!! という大きな音と共に教室が揺れ始める。
「な、なんだこれ!?」
「あ~、柊さんとやらが起こそうとしているんじゃないんですか? あなたがこんな状況で寝てしまっているから。いや~酷い人ですね~あなたは。」
……あ、忘れていた……。
「ふむ。どうやら、そろそろお別れのようですね。うわっとと……」
夢野は机や椅子がガタガタと音をたてている教室の中で、少しふらつきながらもこちらへと歩み寄ってくる。
「でもまぁ、答えはすぐそこです。こんな子供のお遊びのような問題、あなたでも簡単に解けるでしょう。──それでは、室戸くん。また今度! グッドラック~」
彼女がヒラヒラと手を振り始めたその時、教室の揺れが更に酷くなり、僕の足元を中心として夢の中の教室は崩壊を始めた。
突然足場を失った僕は、「うわぁぁぁぁぁ!?」という情けない叫び声をあげながら、真っ暗な闇の中へと落ちていった。