エピローグ 奇跡の予兆
アルデバランの王宮は、混乱に満ちていた。アンタレスの王族が吸血鬼に滅ぼされ、嫁いだはずの王女が消えたからだ。
アルデバラン国王はアンタレスからロイヤル・ルビーをもらい、永遠の時間を生きる予定だった。予定が狂った動揺から、彼は手元にあったゴブレットを報告に来た家臣に投げつけた。
「なんとしてでもステラを見つけろ! スピカを使っても、だ!」
シリウスは暗闇の中から、浅ましく己の命のことだけを考えている獣を冷めた瞳で見ていた。
愛する人を吸血鬼にした。アンタレスの国王が即位の日に亡くなった混乱に乗じて、アルデバランの屋敷に必死に連れて帰った。ステラはレグルスの遺髪だけを手に入れて、そのまま気絶するように眠っていた。それは今もだ。三日も目を覚まさない。
シリウスはステラの安全を守るために、アルデバラン国王を殺しにきた。そして、思った。醜い獣は、それでもステラの父親だった。
「くそ……」
シリウスは奥歯を噛み締めた。滲み出る殺意を押し殺して、息を吐く。夜の王の怒りに触れた鳥たちは、木々を揺らしながら飛び立っていった。
シリウスは、ステラの家族を殺せない。彼女から奪ったものを考えたら、これ以上何も奪えない。
屋敷の方角を見つめながら、シリウスは同族の行末を全て諦める決意をした。
◇
ステラが眠ったままの、四日目の夜。シリウスは刺すような沈黙の中、ジンとジャックに睨まれていた。
「今、なんと言った?」
ジャックの声が震えている。開かれた瞳孔が、人狼の興奮を体現していた。
「もうお前たちを率いることはできない。王を辞める」
「冗談だろ……?」
王として同族を守る気でいた。裏切ったシリウスに憤っても仕方がない。全てを受け入れる覚悟でいたが、ジンの反応がないことが気になった。
「ジン」
「なんだ」
ジンは無表情だった。シリウスは片眉を上げて、疑問を示す。ドラゴンは冷めた目でシリウスを見た後、視線を上に向けた。
「人間の匂いがする……いや、もう人間ではないな」
「お前……」
彼女に視線を向けるのも許さない。シリウスは視線の先を遮るように立ち上がって、ジンの意識を自分に向けた。二人の反応が理解できないジャックは、いきなり立ち上がったシリウスに驚いている。シリウスは構わず、ジンに殺気を送る。
「シリウス、人間を吸血鬼にして、自分の血に依存させる操り人形にして、それで何がしたいんだ」
「何が言いたい」
「紛いものの吸血鬼が増えたところで意味がないのはお前も知っているだろう」
「ステラは違う」
感情を抑えるために握りしめた手のひらには、太陽の石があった。ステラは、紛い物ではない。彼女が紛い物の吸血鬼として目覚めたら、病気の苦しみと闘いながらシリウスの血で生きることになる。気軽に紛い物と言う、ジンが許せなかった。
「何が違う。そんなモノの為に同族を捨てるな」
「王ではいられない。できる限り協力はするが、もうアルデバランを滅ぼせない」
話についていけない状態だったジャックは、アルデバランを滅ぼさないという発言に驚いていた。何かを言いかけて、ジンに視線で遮られて黙り込む。ジンは、口元を歪ませて笑う。
「人間を愛したのか……馬鹿な奴め」
「なんと言われようとも、もう無理だ。王ではいられない」
「運命婚は歪みを生むだけだ」
歪みと言われて、あの日のステラを思い出した。『なぜ、吸血鬼にしたの』と、聞かれたあの瞬間。何者も恐れない吸血鬼の王だったシリウスは消えた。ちっぽけな人間の、その反応だけが怖かった。
その時思ったことは一つだけだった。手離せない。片時も離れられない。たとえ間違っていたとしても、ステラしかいらなかった。
「お、おい、どう言うことだ?」
「また、来る。俺はお前が王を降りることを認めない」
ジャックが戸惑っている。その反応を無視して、ジンは人狼の首を引っ張た。二人が何かを話しながら屋敷を出ていく間、シリウスの頭の中はステラのことだけだった。
◇
息をしている。心臓は動いている。シリウスはベッドに横になるステラを見つめながら、この五日間、気が狂いそうだった。彼女の手をそっと握りしめる。
「早く目覚めてくれ、お願いだ」
その時、瞼がぴくりと動いた。シリウスは思わず立ち上がった。無意識に力を入れていた手の爪で、彼女の手の甲を小さく切ってしまう。
「あっ」
慌てて自分の血を飲ませようとして、固まった。瞬く間に、ステラの傷が塞がったからだ。傷を確認しようとして、手を持ち上げた。その時、瞼が開いて、赤い瞳がこちらを見た。
「ステラ……」
「シリウス、わたし生きているのね」
彼女の声が、また聞けた。シリウスは赤くなった瞳を直視できなくて、そのまま彼女を抱きしめた。彼女から、強い薔薇の香りがした。目眩がするほど心臓を締め付ける、ステラの香りだった。シリウスは堪らなくなって、彼女の耳元に唇を落とした。目頭が熱くなる。
「ステラ、きみは吸血鬼になった」
「そうね」
自分を強く抱きしめるシリウスの背に手を回したステラは、そのまま何度も背中を優しく叩く。
「またあなたに会えたわ」
「……ステラ、きみは適合者だったんだ」
シリウスは、言葉を飲み込んで、迷った末に伝えた。紛い物だったら、吸血鬼の能力は発現しない。ついた傷が瞬時に消えるなら、それは適合者の証だ。
「適合者?……それって」
「きみも本物の吸血鬼に、なった」
奇跡だと思った。本物の吸血鬼になれたなら、病魔に蝕まれていたステラの身体も健康になる。抱きしめた身体を離して、シリウスはステラの顔を見る。彼女の赤い瞳が不思議そうにこちらを見ていた。
「きみは、病に苦しまず永遠に俺と生きれる」
「シリウス、泣かないで」
ステラがシリウスの頬を撫でる。彼女の言葉で、シリウスは自分が泣いていることに気づいた。そうだ、ステラは吸血鬼になった。シリウスが吸血鬼にしてしまった。
それでも、シリウスは死ぬほど嬉しかった。自分を選んでくれたステラと、死ぬまで一緒にいられることが幸せだった。
「ステラ……すまない」
シリウスの謝罪に、赤い瞳が悲しそうに近づいてくる。彼女はそっとシリウスの涙に唇を寄せた。
「シリウス、約束でしょう? 早くワインが飲みたいわ」
「ああ、そうだな。きみが望むならなんでもする」
ステラが望むなら、己の血を全て彼女に捧げる。彼女の母親の病のために、この血を使ったっていい。ずっとそばに居てくれるなら、永遠に彼女に尽くす。
「愛している、ステラ」
「シリウス、わたしもよ」
シリウスは、奇跡によって生まれ変わったステラを抱きしめて、この時間が永遠に続くことを祈った。




