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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
4章 光は灯るか、消えるか(前編)
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朝霧町復興編(後編3)

 翌朝、二日目の撮影は、町の小さな公園から始まった。

 木々に囲まれた芝生の広場に、レジャーシートが敷かれ、弁当箱がふたつ、彩りよく並べられている。

「はい、蛍さんと陽人くん、こちらどうぞ~」

 神代に促され、二人はシートの上に並んで座った。

「じゃあ、まずは自然な感じで、二人でお弁当食べてる絵からいきましょか」

 カシャ、とシャッター音が鳴る。数枚撮ったところで、神代が首を傾げた。

「うーん、ちょっと硬いですね。もうちょい、夫婦っぽい絵、欲しいなあ」

「夫婦っぽい、とは……」

「あーん、とか。定番やないですか」

「「え」」

 蛍と陽人の声が、綺麗に重なった。

「まあ、奥さんが旦那さんにやるのが定石ですわな」

「そうなんですか……?」

「まあまずはやってみてください」

 蛍は緊張する手で箸を持ち、卵焼きを掴んだ。右手がぷるぷると震える。

「ど、どうぞ……」

「ん……」

 口を近づけ陽人が食べようとする――その直前、

「あかんあかん! 『あーん』って言わな! 『あーん』って!」

 神代が監督気取りで、大声で注文をつける。後ろの方で「朔夜! 私もあれやりたい!」とはしゃぐ綾の声が遠くで聞こえた。

「じゃ、じゃあいくよ……?」

「う、うん……」

 蛍は卵焼きを掴みなおした。

「あー、ん……」

「ん……」

 陽人は口を開け、差し出された卵焼きを小さく頬張った。数秒の間、どちらも相手の顔を見ることができなかった。

 二人とも、顔から火が出そうなほど真っ赤である。

「うーむ……なんというか、新婚夫婦というよりは……」

 神代が腕を組んで唸る。

「付き合いたてのカップルね」

 綾が隣から容赦なく口を挟んだ。

「初々しすぎて、新婚どころちゃうわ。……じゃあ、社長と綾姉さんに、お手本見せてもらいましょか」

「待ってました!!」

 綾は嬉々として立ち上がると、朔夜の腕に自分の腕を絡め、朔夜の制止も聞かぬままレジャーシートの方へと引っ張っていく。

「ほら朔夜、早く座って!」

「……はあ」

 不服そうに深くため息をつきながらも、朔夜は結局、諦めた様子でシートに腰を下ろした。まるで事務作業でもこなすかのように無駄のない動きで弁当箱と箸を持ち、端正に巻かれた卵焼きを摘む。そして仏頂面のまま、それを綾の口元へと無造作に突き出した。

「……ほら」

「もうちょっと、優しく差し出すものじゃないの……あーん」

 文句を言いながらも、綾は満足そうに卵焼きを頬張った。カメラマンのシャッター音が、立て続けに響く。温度差は明らかなのに、端正な顔立ちの二人が並ぶと、不思議と絵になっていた。

 その光景を、少し離れた場所から蛍は黙って見つめていた。

 嬉しそうな綾と、口では煩わしそうにしつつも付き合ってやる朔夜。

 今までずっと、兄は自分を守るためだけに動いてくれた。自分のことだけを優先し、考えてきてくれた。それが分かった時、ありがたかったし、嬉しかった。

 ——けれど。

 わたしは……この人を縛り続けているんじゃないのかな。

 もし、自分という守らなければならない存在がいなければ、兄は西大寺家との縁談を受け入れていたかもしれない。自分という重荷がなければ、綾の想いを受け入れ、すでに彼女と一緒になって、今、目の前にあるような、穏やかな幸せを得ていたのかもしれない。

 自分が兄のそばに居続けることで、彼の人生を選ぶ権利すら、奪ってしまっていたのではないか。

 胸の奥が張り裂けるように痛み、蛍は何かを決意するように、静かに拳を握りしめた。

「……蛍?」

 隣に立っていた陽人が、横顔を覗き込むようにして、そっと声をかけてくる。

「あ……ううん、なんでもない」

 慌てて振り返り、強がりの笑みを作ってみせる蛍。だが、その瞳の奥に落ちた一瞬の翳りを、陽人は決して見逃さなかった。


 ◇


 日中にかけての撮影が終わり、日が傾き始めた頃。

 今度は親子での撮影とのことで、五歳の子役の少女との撮影だった。

「じゃあ当初の予定通り、社長と綾さんでお願いします」

 神代が少女に二人の元へ向かうよう促すも、中々動かない。仕方なく手招きして、朔夜と綾を少女の近くまで呼ぶ。

 しかし、近づくと——。

「……こわい」

「え」

「おじちゃん、こわい」

「……」

 朔夜が心外だという顔をすると、睨まれたと思ったのか、少女はますます身を引いた。

「じゃあ、お姉さんは?」

 綾がしゃがみ込んで、とびきりの笑顔で手を差し伸べる。だが、少女から見ればその張り付いた笑みは圧が強すぎた。少女は数歩後ずさると、タタッと走って陽人の後ろに隠れてしまった。彼の足元から少しだけ顔を出して、警戒するように綾を見つめている。

「おばちゃんも、こわい」

「おば……っ」

 目を見開き、完全に固まる綾。自身の美貌と魅力に絶対の自信があるだけに、幼い子供からの容赦のない一撃と、自分ではなく陽人が選ばれた事実は、よりショックだったようだ。

「このおにいちゃんがいい!」

 少女がそう言い切ると、神代は数秒固まったあと、諦めたように笑い出した。

「……君は幼い女の子にもモテるんやね。よし、じゃあ変更しましょ。おじさんとおばさんには難しそうなんで、陽人くん、蛍さん、お願いできますか」

「「……」」

 朔夜と綾が、同時に神代を睨む。何も言わなかったが、その沈黙のほうが、よほど雄弁だった。

「冗談ですやん、冗談……」

 神代は両手を上げて後ずさりしたが、面白そうに目は笑っていた。

「じゃあ、蛍さん。お願いできますか」

「は、はい……」

 蛍が、少女の前に膝をつく。

「よろしくね?」

 少女は、まだ陽人の後ろから半分だけ顔を出したまま、蛍を上目遣いに見ていた。すぐには近づいてこない。それでも、逃げ出すそぶりも見せなかった。

「……じゃあ、ブランコ、乗ってみる?」

 陽人が、少女の目線に合わせてしゃがみ込んだ。

「……うん」

 小さく頷き、陽人の手を握ったまま、一歩踏み出す。蛍も、その隣に並んだ。

 ブランコに乗った少女の背中を、蛍がそっと押してやる。

「おねえちゃん! もっと押して!」

「はーい。……どう?」

「もっと!」

 声を上げて笑い、少女は、いつの間にか蛍にも自分から話しかけるようになっていた。

 しばらくして、周囲の他の親子連れを見回すと、追いかけっこをしていた。

「あれ、やる?」

「やりたい!」

「いいね、三人でやろう。……じゃあまず僕が鬼しようか」

 陽人が、最初に買って出た。少女を追い回すこと数分、息を切らした少女が、ふと蛍を見て言った。

「今度は、おねえちゃんが鬼ね!」

「いいよ」

 蛍が立ち止まって、少女が逃げ始めるのを見計らう。

「よし、じゃあいくよ。……逃げろー!」

 その様子を、少し離れた場所から、朔夜は眺めていた。蛍は少女と馴染んだことがすっかり嬉しいようで、夢中になって少女を追いかけていた。

 きゃあきゃあとはしゃぎながら芝生を駆け回る少女を、蛍がじわじわと追い詰めていく。何周かぐるりと回ったところで、蛍は少女に追いつき、両手でその体を、

「——捕まえた!」

 抱きしめた。

 蛍の、その何でもない一言は、朔夜の耳の奥で、別の声と重なっていた。


 ◇


「……抱っこして~」

 夕暮れ時、四歳になった蛍が瑞希の膝によじ登ってきた。理由はなく、ただなんとなく甘えたい気分だったのだろう。

 瑞希は笑って、蛍を抱き上げた。

「大きくなったね~、蛍」

 蛍は満足そうに瑞希の首に腕を回して、頬を寄せた。瑞希も蛍の頭をよしよしと撫でた。なんでもない時間だった。

 朔夜は少し離れた机の端に座って、それを見ていた。手元には、開いたままの本があったが、目はそこを追っていなかった。

 見慣れた光景のはずだった。母は、頭は撫でてくれた。一瞬、手が止まって、それから、ためらいがちに。でも、抱きしめることだけは、一度もなかった。

 だからこれも、いつも通りのはずだった。今さら、何も思うことはないはずだった。

 なのに、胸の奥が、少しだけ冷たくなる。

 二人を見ていると、ふと何かに気づいたように、瑞希が顔を上げ、こちらに視線を向けた。

「……朔夜」

「……なに」

「おいで」

 一瞬、聞き間違えたのかと思った。

「……いいよ。僕は」

 瑞希は、少し困ったように笑って、それから、朔夜を見つめた。

「君のことも、抱きしめたい。……だめかな」

 朔夜は数秒迷って視線を本にやった。

 ――抱きしめたい。

 その言葉に抗えなかった。

 やがてゆっくり立ち上がり、恐る恐る、瑞希のほうへ近づいた。

 腕の届く距離まで来た瞬間、瑞希は、まるで待ち構えていたかのように、その背中に腕を回した。

「——捕まえた!」

 力強く、まっすぐに。

 朔夜は、動かなかった。動けなかった。

 背中をあやすように撫でていた瑞希の手が、今度は朔夜の頭をためらいなく、優しく撫でた。気づけば、朔夜は、瑞希の胸に頭を預けていた。

「……ごめんね」

 瑞希の胸から、小さく震える声がした。

「ごめんね、朔夜。……ずっと、ごめんね」

「……いいよ」

 朔夜は、瑞希の胸に顔をうずめたまま、続けた。

「……母さんも、辛かったんでしょ?」

 瑞希は、答えなかった。代わりに、ただ、朔夜を強く抱きしめ直した。

「——お兄ちゃん、よしよし」

 隣で二人の様子を見ていた蛍が、何が起きているのか分からないまま、それでも小さな手を伸ばして、朔夜の頭を撫でた。


 ◇


「いや~、蛍さん、様になってますな~」

 神代のその一言で、朔夜は我に返った。

「妹さん、いいお母さんになりそうやないですか、朔夜社長?」

 朔夜は少しの間黙って、少女を抱き上げて笑う蛍の姿を見ていた。ようやく口が開き、

「……そうだな」

 ただ、それだけ答えた。


 ◇


 撮影の全日程を終えた翌朝、一行は東京へ戻る前に、町役場へ立ち寄ることにした。

 蛍が言い出したことだった。ランプを送った礼の電話をもらったきり、直接顔を合わせることは一度もなかった。

 役場の応接室に通されると、待っていたのは、恰幅の良い、穏やかな顔立ちの初老の男だった。

「わざわざお越しいただき、恐縮です。町長の橘です」

 深々と頭を下げる橘に、蛍も慌てて礼を返した。

「こちらこそ、突然申し訳ありません。黒崎蛍です。……お電話でお礼をいただいた際、きちんとご挨拶できていなかったので」

「いえいえ、むしろこちらが伺うべきところを」

 橘は朔夜たちの顔を順に見渡し、目を細めた。

「今回の撮影のことは、役場の方にも噂で届いておりますよ。子育ての町として、あちこちで写真を撮っていらっしゃると」

「ご迷惑をおかけしていないといいのですが」

「とんでもない。町の人たちに声をかけてくださって、久しぶりに、この町に活気が戻ったような気がしましたよ」

 橘はお茶を勧めながら、目元を緩めた。しばらく世間話が続いたあと、蛍はふと、高校の頃の記憶を思い出していた。

「そういえば……もうすぐ夏祭りの季節ですね?」

 橘の表情が、わずかに曇った。

「……実は、ここ二年ほど、やっていないんです」

「え……」

「人手も予算も、年々厳しくなる一方で。準備をする体力すら、町に残っていなくて」

 沈黙が落ちる。あの夏祭りが、なくなっていたなんて。

 しばらく黙って橘の言葉を噛み締めていた蛍は、やがて顔を上げた。

「……せっかく『復興』を掲げているんです。ここで祭りを諦めたままには、できません。……やりましょう」

「し、しかし黒崎さん、予算は——」

「予算は、改修費に充てるものを先に祭りに充てるのはどうでしょうか? 建物の改修は、後からでも間に合いますから」

 橘は、しばらく呆気に取られた顔で蛍を見ていた。

 隣で聞いていた朔夜が、静かに口を挟んだ。

「……改修は緊急性が低い。祭りは、今年の夏を逃せば意味がなくなる。町に人を呼ぶための材料としても、理にかなっている」

 朔夜がそう言い切ると、神代がすかさず身を乗り出した。

「ええやないですか! 復興に合わせて祭りの復活! 動画に祭りと花火を収めて、町おこしの締めくくりにピッタリですやん!」

「あの……朝霧町は、花火を上げたことがないんですが……」

 申し訳なさそうに俯く橘。

「……なら」

 と呟く朔夜に、

「やるしかないですね!」

 蛍が続く。

 橘は、目を丸くしてしばらく二人を見比べていたが、やがて堪えきれなくなったように笑った。

「……皆さん、本当に、面白い方たちですね」

「ええやないですか! 『初めての花火大会』、キャッチコピーとしても強いですやん!」

 神代が、すかさず食いついた。

「私も協賛するわ! 浴衣、もう一着新調しなきゃ」

 綾も、早くも乗り気で手を挙げる。

 橘は、しばらく呆然とした様子で一同を見ていたが、やがて深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。町の者にも、必ず伝えます」

 その声は、流される者から、自分の足で立ち上がろうとする、力強い響きをしていた。



 ◇


 祭りは三週間後に控えていた。東京に戻った一同は、祭り当日までの準備に勤しんでいた。

 七日後。朝霧で撮影したPR動画が早くも完成し、放映されることとなった。

 黒崎ビルのエントランスに取り付けてあるモニターにも放映されているようだった。当日、蛍が出社するや否や、エントランスには人だかりができており、朝から妙な熱気に包まれていた。

「——見てください、あれ! 社長ですよ、社長!」

 声のする方を見ると、モニターの最前列に、総務の園田と生駒が張り付くように立っていた。画面には朔夜が、ぎこちなく笑いかける映像が流れている。

「きゃあああ!! あの微笑み、反則じゃないですか……!!」

「大画面モニターで拝めるなんて——あっ、あれは!!」

 画面が、例の弁当のシーンに切り替わる。その時点で女性社員の黄色い声が上がっていたが、さらに朔夜が渋々卵焼きを差し出す場面が映ると——、

「ああああああ!! 社長が『あーん』してるなんてッ!!」

「尊い、尊い——ッ!!」

「あ、あの女の人、羨ましすぎる……!!」

「この映像は永久保存です!!」

 悲鳴のような歓声が上がっていた。

 少し離れた場所では、馬場と鹿島が難しい顔をしながら、画面に食いついていた。

「あれは、頻繁にアポなしで来る例の押しかけ女房の——!!」

「社長の幼馴染の綾様だ。……お似合いでいらっしゃる」

 画面の二人に目を奪われていると、映像が切り替わる。

「あ、蛍様と陽人様」

「こっちは小さい女の子と戯れてて……」

「家族じゃん! これもう完全に家族の休日じゃん!」

 馬場と鹿島が顔を見合わせる。

「……これ、朔夜社長は綾様、蛍様は陽人様と……」

「確定か?」

 馬場がふうっとため息を漏らす。

「……朔夜社長と蛍様を見てて、どこかじれったかったんだがな」 

「まあまあ。そこは兄妹ですから。……我々は、それぞれのお二人を応援するのが、黒服の役目なのでは?」

 複雑な表情の馬場に対し、鹿島はにやけながら盛り上がっていた。

 そんな中、浴衣姿の蛍と綾が商店街を練り歩く画面を、経企の松岡は睨むように見つめていた。

「あっ、松岡さん! 黒崎さん見てるんスか?」

 隣の竹内が、すかさず茶化した。

「見てねぇよ」

「見惚れてるとか?」

「誰があんな色気ねぇ女見惚れるかよ!!」

「……色気が無くて悪かったね」

 振り返ると、松岡をじっと睨む蛍が、そこにいた。

「怖えな。いつからそこいたんだよ」

「さっきから」

「つーか、色気無いのは事実だろ」

「……どうせ、色気なんか無いよ」

 そこまで言って、蛍は視線を落とすと足早に立ち去り、セキュリティゲートを通って奥へ消えてしまった。

「……んだよ、あいつ。機嫌悪ぃのか」

「松岡さんが言い過ぎなんじゃないスか?」

「……そんなに言ってねぇだろ」

 松岡は蛍が走り去ったエレベーターの方を、しばらく見つめていた。


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