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ペリヘリオンの夜  作者: よしなか
4章 光は灯るか、消えるか(前編)
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朝霧町復興編(前編1)

 ——孤独に耐えられる者だけが、王になる。

 かつて黒崎宗玄が放った言葉を、朔夜は思い出していた。

 あれから、半年以上が経つ。社長室のデスクに積まれていた決裁書類は、今ではほとんど残っていない。部課長たちは自ら判断し、自ら報告するようになった。業務も会議も滞りなく進み、以前のように朔夜一人が矢面に立つことも無くなっていた。

「坊ちゃま。最近は、随分と定時でお帰りになられますな」

 車を出しながら、藤堂が世間話のように言った。

「坊ちゃまに集中していた業務が分散され、以前より滞りなく進んでおるように見受けられます。……坊ちゃまも、数字や経営そのものに、より集中できるようになられたのでは」

「……そうだな」

 朔夜は、窓の外を眺めながら、短く答えた。

「早くお帰りになれる日が増えて、蛍様も、お喜びのようですし」

 藤堂は、バックミラー越しに、微かに目を細めた。

 朔夜は、それには答えず、ただ小さく頷いただけだった。

 ——社員を、本来のあるべき正しい場所に、配置しただけだ。

 父が喩えた、将棋の考え方と同じだ。飛車には飛車の、歩には歩の、それぞれふさわしい持ち場がある。誰に何を任せるか、それを見極め、正しく配置する。それさえできれば、盤面は勝手に、あるべき形へと収まっていく。

 ——父さんの言うとおりだった。

 情に流されず、一人で盤面全体を見渡し、判断を下し続けること。それが、王という役割の、正しい在り方なのだと、身をもって感じていた。

 そんな折——律から、久しぶりに連絡があった。



 ◇


 律との再会から数日後のことだった。

 朔夜の携帯に、直接連絡があった。この前偶然会った、雑居ビルのバーで直接話がしたい、という内容だった。

 朔夜はその日の仕事を早めに切り上げ、指定のバーに向かった。


 ◇


 その夜。黒崎ビルから少し離れた、雑居ビルの地下のバー。カウンターの隅の席に、律は、すでに座っていた。

「——早いな」

 朔夜が言うと、律は、グラスの中の氷を揺らしながら、片方の眉を上げた。

「呼び出しといて、相手を待たせる性分じゃないからな」

 朔夜は、隣の席に腰を下ろした。マスターに、いつもの水割りを頼む。

「……またそれかよ。相変わらず、辛気臭い水割りだな」

 律は横目に見ながら、朔夜に続いてお代わりを注文した。

「わざわざ呼ぶなんて。何の用だ?」

「……お前は世間話もできないのかよ。まあいい。……いい取引の話をしに来た」

 律は鞄の中から資料を取り出した。

「うちが、前当主の代から進めてる案件だ。過疎地の一帯を買収して、更地にして、リゾートを作る。……よくある話だろう」

 資料をカウンターの上に載せる。表紙には、事業計画のタイトルが記載されていた。

 朔夜は、資料をめくる。地図と、概要に目を落とす。

「……朝霧?」

 その地名に、朔夜の目が留まった。

「山陰地方の田舎だよ。……なんだ、知ってるのか?」

「……少しな」

 引っ掛かりを覚えるような、何とも言えぬ顔をした朔夜を見つつ、律は続けた。

「……単刀直入に言う。お前のところの資本と、信用が欲しい。うちだけで進めるより、黒崎の名前が入ってる方が、地元も、行政も、話が早い。……お前にとっても、悪い話じゃないはずだ。廃れる一方の町だ。誰かが手を入れなきゃ、ただ朽ちていくだけだった土地に、資本を入れて、生き返らせる。……お前の会社は昔から、そういう案件が得意だっただろう」

 朔夜は資料を、めくった。それなりの投資額が記載されていた。

「……検討してみる」

 ——朔夜は、四年前に訪れた、朝霧町を思い出していた。蛍の住んでいた古いアパート、通っていた高校、当時白石の苗字だった、御影陽人のバイト先の居酒屋、田舎の田んぼ道、河川敷……。

「思慮深いお前ならそう言うと思ったぜ」

 律は、少し笑って、グラスを空にした。

「返事は急がない。……だが、あまり長くは待てないぞ。向こうも、動きが早い」

「……分かってる」

 朔夜は資料を閉じて、内ポケットにしまった。

 律は伝票に、軽く手を伸ばしながら、独り言のように呟いた。

「……こうしてお前と、仕事ができるとはな」

 その声には、朔夜が知っている、施設時代の律の声が、少しだけ、重なって聞こえた。


 ◇


 律が去った後、朔夜は独りその場で飲んでいた。まだ半分残っている水割りを飲みながら、四年前の朝霧町を浮かべる。印象にもなく、ほとんど覚えていないが、陽人と出会って追い返したことの他に、思い出したことがあった。


 ◇


 ——四年前。朔夜は黒服たちを使って、蛍が住んでいる町を探し当てた。

 朝霧町という、山陰の田舎にいるらしい。

 その町の朝霧駅から少し離れた場所の古いアパートに、彼女は住んでいるようだった。

 昼過ぎ。

 朔夜は、そのアパートの前に、立っていた。

 蛍は今頃、学校にいる時間のはずだった。それを確認した上で、ここへ来た。

 ドアの脇、色褪せた表札に、目が留まる。

『水瀬』

 ——母さんの、旧姓。

 古びた文字を、しばらく見つめた。今は亡き母の面影が、一瞬だけ頭をよぎった。

 朔夜は、小さく息を吐いて、インターホンを押す。

 しばらく、応答はなかった。もう一度押そうとした、その時。

「……蛍かぁ!?」

 怒鳴り声とともに、ドアが勢いよく開いた。

 老人が、そこに立っていた。目が、血走っている。着ているものは、乱れていた。

 玄関の靴は散乱しており、廊下の奥、わずかに開いたドアの隙間から見える部屋は、ごみや食器が散乱していた。

 老人は朔夜を見て、一瞬、動きを止めた。それから、また怒鳴った。

「お前は、誰だ!」

「……」

 ——これが、瑞希さんの、父親か。蛍はこの人と、過ごしていたのか。

「……蛍さんは、こちらに、住んでいますか」

 朔夜は、努めて、静かに尋ねた。

 老人は、目の前の男が「蛍」と口にした瞬間、こめかみをぴくりとさせ、噛みつこうとする勢いで吠えた。

「お前か!! 蛍を夜、連れ出してるのは!!」

「……」

「そうなんだろう!! この、ろくでなしが!!」

 老人は、朔夜の襟を掴みながら罵詈雑言を吐き捨てた。朔夜は、動かなかった。ただ、老人の目を、じっと見ていた。

 そこには何も、映っていないようだった。怒りだけが、意味もなく、渦巻いているだけだった。

 朔夜が二言ほど発言したが、会話は成立しなかった。何を言っても届かない。ここに、これ以上、留まる意味は無かった。

 朔夜は、静かに襟を掴んでいる老人の腕を外した。

「……よく、わかりました」

 それだけ言うと、朔夜は踵を返した。

 老人はドアが閉まった後も、まだ何か怒鳴っていた。

 車に戻ると、朔夜は電話をかけた。

「……療養施設を、一つ手配してくれ。今日中に」

 短く、それだけ告げた。

 窓の外、古びたアパートを一瞥する。

 ——これで、いい。

 罪悪感は、なかった。ただ、静かな確信だけがあった。


 別の日に、朔夜は蛍の通う高校を訪れた。

 彼女の居場所を一通り見終わった後、朔夜は校長室に向かった。

 事務員に圧をかけると、簡単に校長室に通してくれた。校長に名刺を渡すと、明らかに動揺した様子を見せた。

「……黒崎、様」

「黒崎蛍の、親族の者です」

 朔夜は抑揚のない声で、切り出した。

「彼女の下駄箱と、机の状態を確認しました。……それが今の、この学校の"日常"だと、理解してよろしいですか」

 校長は、言葉に詰まった。

「……その、いじめの実態については、把握は、しておりまして。ただ、なかなか、対応が」

「対応が、遅れている理由を、聞きたいわけではありません」

 朔夜は、校長の目を、まっすぐに見た。

「黒崎グループが、この地域に、どれだけの影響力を持っているか。……ご存知ですよね」

「……は、はい」

「まあ、それは置いといて。……ところで、校長。いい椅子に、座ってますね」

 朔夜は校長室を、ぐるりと見渡しながら言った。

「……明日も、その椅子に、座れるといいですね」

 校長の顔から、血の気が引いた。

 それだけ言うと、朔夜は席を立った。

 振り返らずに、校長室を後にする。

 ——これで、十分だろう。


 校長室を出た後、朔夜は担任にも話を聞くことにした。

「……先ほど、彼女の下駄箱と、机を見てきました。下駄箱には、土や虫が入れられていました。机には、卑劣な言葉が、いくつも書かれていました」

「……」

「……あなたは、知っていましたか」

「……さあ。何のことでしょうか」

 担任は、あっさりとそう言った。

「私も忙しくてね。生徒のことを、隅々まで、見れてはいないんですよ」

「……そうですか」

 朔夜は、しばらく、担任の顔を見つめ、やがて口を開いた。

「……ところで。あなたのお子さんは確か、隣町の中学校に、通っていましたね」

「……え?」

 担任の顔から、一瞬で血の気が引いた。

「ま、待ってください!! うちの子には、手を出さないでください!!」

 朔夜は黙って、そのわかりやすい慌てぶりを、見つめていた。

「……では、どうすべきか、分かりますね?」

 担任は、何度も、頷いた。

「わ、分かりました。分かりました……!」


 ◇


 水割りを飲む。酒を飲んでも、流せないような気持ちになった。祖父は施設に送った。もう害はない。あいつらは……まだ朝霧にいるんだろうか。

 再開発をして、土地が新しくなる。上書きすれば、そのつらい過去も、消えるだろうか。

 朔夜は残りの水割りを飲んだ。もうほとんど、味がしなかった。


 ◇


 黒崎ビルの廊下で、蛍はすれ違いざまに、総務の成瀬課長に声をかけられた。

「黒崎さん、これ。今週の業界ニュースまとめです。目を通しておいてもらえると助かります」

「あ、ありがとうございます」

 受け取った紙束の一番上に、見出しが躍っていた。『赤城グループ、朝霧町エリア再開発事業に着手か』。何気なく視線を落としたその瞬間、蛍の表情が、わずかに強張った。

「……?」

 成瀬はそれに気づいたが、何も言わなかった。ただ、少しだけ気にかけるように、蛍の顔を見てから、会釈をして去っていった。

 蛍は書類を胸に抱えたまま、しばらくその場から動けなかった。


 社長室のドアをノックすると、いつもと変わらない、冷静な目をした朔夜が、書類に目を落としていた。

「……どうした」

 視線に気づいて顔を上げた朔夜と、目が合う。蛍は、先ほど受け取ったレポートを差し出した。

「これ……わたしが、昔住んでた町なんです。……ここが、再開発されるみたいで」

 朔夜はレポートを受け取って、数秒だけ目を通した。

「……赤城か。あの町一帯を買収して、更地にしてリゾート開発。……過疎地の土地は安い。よくある手だ」

「更地……」

「住民には移転補償が出る。廃れた町なら、悪い話ばかりでもない」

 朔夜は、それだけ言って、レポートを蛍に返した。事務的な感想だった。

「……そんなに、気になるのか」

 黙って固まっている蛍に、問いかけた。

「……えっと、少し」

「お前は、朝霧町の再開発が、嫌なのか?」

 そう聞かれて、蛍は口をつぐんだ。何かを言う前に、朔夜が畳み掛けた。

「……あの町で、嫌な出来事があっただろう。それにこれは、うちの案件でもないから、口出しできるものでもない」

 淡々とした声でそれだけ言うと、もう一度レポートを突き返した。

「……そう、だよね」

 蛍は、それを受け取って、自分のデスクに戻った。戻ったけれど、手が動かなかった。


 ◇


 昼休み。蛍は食堂に来ていた。二十人ほどが入れる小さな食堂で、社員がちらほら座って昼食を取っていた。

 なんとなく気が進まず、食欲もなかったので、サンドイッチとオレンジジュースを頼み、中央の四角いテーブルの端に座り、食べていた。片手には、あの朝霧のレポートが握られていた。

 食べながら、また記事に目を落とす。

 —―再開発されたら、更地になるんだよね。

 朔夜の言ったとおり、朝霧にはつらい思い出がある。

 だが、ホタルの水辺。陽人との出会い。天の川駅。図書館。きもの屋のおばあちゃん。鳥よしの店長。夏祭り——。短い期間であったが、蛍にとって大事な想い出も、ある。

 しかし、この案件は赤城が握っており、黒崎が何かできるものでもない。町が開発される様子を、ただ黙って見ているだけしか……。

「——黒崎さん、暗い顔してるね?」

「え!?」

 名前を呼ばれ、どきりとした。咄嗟にそちらを見ると、朝にこのレポートを渡した成瀬が後方から笑ってやってきた。

「お疲れ様です、成瀬課長。……そんな顔、してましたか?」

「うん。悩んでいる顔してたよ。やっぱり朝渡したそれが気になってたの?」

 鋭く、レポートを指摘される。この人に隠し事はできないようだ。

「……朝霧町は、昔住んでた場所なんです」

「そうか……」

 成瀬は蛍の隣の席に座った。定食セットをテーブルの上に置く。

「慰めになるかわからないけど。……昔住んでた時の思い出が、消えるわけではないと思うから。その思い出をずっと忘れずに持っていればいいと、俺は思うよ」

「そうですね。……成瀬課長の言うとおりです、ありがとうございます」

「それからこれ。一個あげる。サンドイッチだけじゃ力が出ないでしょ?」

 成瀬は割箸を割って、定食の唐揚げを一つ蛍の皿に載せた。

「食欲無いかもしれないけど……その唐揚げ、美味しいよ」

「ありがとうございます。いただきます」

 蛍は添えられた唐揚げを一口かじった。サクッとした衣のあとに、独特の香辛料と香ばしい醤油の風味が口いっぱいに広がる。

「本当だ、おいしい。……でも、これ——」

 どこかで食べたことのある味だった。しかも、すごく身近な場所で味わったことがあるような……。

「あら、一口で気づいてくれたかしら? さすが蛍ちゃんねぇ~」

 カウンターの奥から、エプロン姿の仕込みスタッフがふらりと現れた。大柄な体に似合わない、華やかな身振りと聞き覚えのある独特のオカマ口調。

「リコさん!?」

「声張らないの。昼は手すきでここの厨房もこっそりやってるのよ。朔ちゃんには内緒よ?」

「……こっちがこっそりなんですか?」

「オカマは夜に生きるからね」

 リコは悪戯っぽくウィンクし、それから蛍の横顔を覗き込んだ。

「蛍ちゃん。午後からも長いんだから、美味しいもの食べて、しっかり元気出しなさいよ?」

「……はい」

 と、その時、テーブルの向かい側に三人組の男が席に着いた。

「周りに気を遣わせて……手のかかる秘書だな」

 経企の松岡たち三人組だった。

 茶髪だった松岡の髪は黒髪になっており、派手な色のスーツだった二人も、シックなスーツをしっかりと着こなしていた。

「松岡さん。……黒髪似合ってますね」

「褒めんなよ、気色悪い」

 素直に褒めたのに。蛍がむっとした。

「……社長のほうが、黒髪もスーツも似合いますが」

「可愛くねえな、このブラコンが」

「……松岡さん、黒崎さんに褒めて欲しいのか欲しくないのか、どっちなんスか?」

「きっとツンデレってやつだわ」

「黙れ!!」

 松岡が竹内と梅野を叩いた。

「……だいたい、お前のその朝霧町のは私情だろうが。会社で私情を出すんじゃねえよ」

「……そうですね。おっしゃる通りです」

「そんなんでよく秘書とかできるな」

 冷たく言い放ちながら、カツ丼を頬張る松岡。

「松岡君。もう少しマイルドに言ったらどうだい?」

 蛍の隣で聞いていた成瀬が口をはさんだ。

「彼女を心配してくれてるんだろう?」

 松岡がむせた。

「成瀬さん!! してません!!」

「そうかなあ?」

「松岡さん、耳赤いっすよ」

 竹内を肘で突いた。

 三人のやり取りを見ながら、蛍はくすっと笑った。

「松岡さん。それにお二人も。ありがとうございます。……少し元気出ました」

「お礼言うな。気持ちわりぃ」

「松岡さん、少し嬉しそうっすね?」

 今度は梅野が肘で突かれていた。

 昼食は程なくして、終わった。五人はそれぞれ、自分の職務の場に戻った。

 昼以降、社長室で、朝霧町の話題が出ることは無かった。


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