忘れるつもりだった
夏のすがすがしさの下で、高塚芯は最近、妙に落ち着かなかった。
理由は分かっている、神楽坂学人だ。
神楽坂と初めて会った時から、なぜだか目で追っていた。
最初は、人懐っこくて、素直で、感情が全部顔に出てしまう大型犬みたいな後輩だった。
ただの後輩だったはずなのに。
ある日の朝練で、神楽坂から少し相談があるといわれ、練習についてのメニューを一緒に考えることがあった。
ほかの部員にもしていることだったし、何も特別なことではない。
だがどうしてか、「高塚先輩っ。」と神楽坂から呼ばれると、胸の奥がムズムズとした。
「どうですか。フォームも安定してきてると思うので、どんな態勢でも先輩にパスすることができますよ。」
「神楽坂は、本当に教えがいがあるよ。ただ、まだまだ直すところはいっぱいあるな。」
「えぇー。そんなぁ。」
褒めると全力で喜ぶし、落ち込むとすぐ分かる。
神楽坂のそんなまっすぐな感情に俺は気分が良くなった。
そんなときに、あることが起こったのだ。
俺が試合中に相手の接触に耐え切れず、押し出されるようにして転倒したのだ。
押し出されるときに足をひねってしまい、立ち上がることができなかった。
「先輩っ。」
少し遠くから、神楽坂が走ってくる。
「高塚先輩、大丈夫ですか。って、もしかして足捻っちゃいましたか。」
「あぁ。受け身、うまく取れなくてな。かっこ悪いよな。」
「そんなことないです。」
神楽坂は反射的に答えたのか、かなり大きい声で言う。俺はびっくりし、目を見開いてしまった。
そんな話をしている間に、先生が近づいてきた。
「高塚、プレイは続行できそうか。」
「ちょっと、立つのもやっとなので……、難しいですね。……すみません。」
「わかった。高塚はそのまま、保健室で手当てしてこい。別に、気にするな。」
「ありがとうございます。」
俺はなんとかして、立ち上がる。その時に神楽坂が「俺、肩貸します。」と言ってくれて、その好意に甘えることにした。
神楽坂は先生に、「俺、付き添ってきます。」と言い、先生も承諾する。
俺と神楽坂はゆっくりと、保健室のほうへ歩くのだった。
校内に入ると、かなり静かだった。外は暑かったのだが、ひんやりと感じる。
痛みがまだ引かない状態では、そのわずかな冷たさが少し心地よかった。
神楽坂は、周りを見渡し、何かを確認する。俺は不思議に思って口に出した。
「どうした。なんかあるのか。」
「いえ、なにかあるとかではなくて……。高塚先輩、いま周りに誰もいないし、恥ずかしくないと思うんで。」
そう言ったとたん、俺の体は宙に浮く。
一瞬理解ができなかった。
どうやら俺は神楽坂にお姫様抱っこをしてもらっているようだった。
理解すると体全体の体温が急上昇する。
「お、おい。下ろせ。歩ける。」
「すみません。足に負担掛けたくないので、下ろせないです。」
抱っこをされているせいか、神楽坂の顔が近くにある。
毎日のように見ていた顔のはずなのに、なぜ俺はこんなに緊張しているんだ。
俺が静かになったと思った神楽坂は、そのまま足早に保健室の方へ歩く。
誰もいない静かな校内のはずなのに、心臓はやけにうるさかった。
無事に保健室へたどり着くと、どうやら中には誰もいなかった。
神楽坂は俺を椅子に座らせ、適当に物色していく。
俺はその後ろ姿を見ながらぼーっとしていた。
「高塚先輩。湿布あったんで、張りますね。」
神楽坂は片手に湿布を持ちながら、俺のほうへ振り返る。
俺は、「すまない。」と言うと「全然、大丈夫ですよ。」とにっこりと笑っていた。
「うわぁ、これ少し腫れちゃってますね。」
「まじまじと見るな。なんか恥ずかしいだろ。」
「すみません。」
神楽坂は俺がひねった足を手で掴みながら言う。
足を人に触らせるなんて、あまりされた経験がなかったから、なんとなく恥ずかしい気持ちになる。
「ちょっと、ヒヤッとしますよ。」
「……っ。」
腫れた部位に湿布が触れると、冷たい感触が広がる。
俺は思わず体を強張らせる。
その反応を見た神楽坂は「す、すいません。」と勢いよく謝る。
「謝るな。手当てしてくれてありがとうな。」
「いえ。だって高塚先輩のこと、大事にしたいですから。」
「は……。」
「リーダー的存在がいなくなったら、チームも大変になっちゃいますからね。」
突然の言葉にびっくりした俺は、呼吸が止まるかと思った。
神楽坂はその言葉を当たり前のように言い、そして二言目にはみんなのためだからと続けた。
俺はそれがなぜか気に入らず、もやもやとしていた。
神楽坂は俺のことを好いているというよりは、大勢いる人のうちの一人だと、思わざるを得なかった。
それに気が付いてからは、この気持ちに向き合おうとせず、いつか良い思い出になって、記憶の奥底へ沈んでくれると考えていた。
だが、卒業式の前日の朝。
携帯が突然鳴り、画面を見ると神楽坂から連絡が来たようだ。
そこには放課後に校舎裏に来てほしいという内容だった。
俺は神楽坂と話す最後の機会だと思い、卒業最後の思い出作りとして、その返事を書いた。
卒業したら一度、神楽坂のことを忘れて、大学生活を満喫しよう。
そしたら、きっとこの心の痛みを感じなくなるだろう。
俺は、放課後の時間になるまで、心の整理をしていた。
放課後になり校舎裏に行くと、神楽坂が下を向きながら、待っていた。
表情はうまく読み取れず、ただ、なにか変な空気を感じた。
いつもなら、俺が近づくと笑顔で寄ってくるはずなのに、今日はそんなことはなく、その場でたたずんでいる。
その気まずさに、俺は生唾を飲み、神楽坂の言葉を聞いた。
ただ、俺が思っていた結末とはだいぶ違うものになった。
「高塚先輩、お待たせしました。」
「いや、約束の5分前だから、待ってないよ。」
「俺のほうが、先に待ってたかったです。」
神楽坂が息を荒く吸いながら、俺の目の前に立つ。
今日は神楽坂との初デートで、駅前で待ち合わせをしている最中だった。
「先輩、待ってる間になにしてたんですか。」
「神楽坂の告白の時のこと、思い出してた。」
「え。」
俺がそう言うと、神楽坂の顔がバッと赤くなる。
そんな反応を見て、俺は思わず顔が緩んでしまった。
「こうやって、一緒にいられるのも、神楽坂が勇気を出してくれたおかげだから。感謝してる。」
「そ、そんな。」
俺と神楽坂の間に、甘ったるい空気が流れる。
胸焼けしそうだが、今はこの空気を全身に感じたいと思った。
「じゃあ、行くか。」
「はい。」
神楽坂の元気な声に俺は苦笑する。
俺は、大好きな人の手を取りながら、一緒に一歩を踏み出した。
読んでいただきありがとうございました。
後日談はいかがでしたか。
今回は高塚視点で書かせていただきましたが、書いていて「高塚は意外と乙女思考なところがあるな」と思いました。
二人の物語は、ひとまずこれで幕下ろしです。
では、ここで失礼します。




