第1話:対戦開始
「……ふわぁ。……ねぇ、まだ決まらないの?」
真っ白な空間に、気の抜けた声が響く。声のした方を向くと、さっきまで雲のようなソファでゴロゴロしていた神様がのっそりと起き上がり、ふわふわとこちらへ漂ってきた。白くてまるっこい、小動物とも何とも言えないゆるい生き物だ。床には空になったポテチの袋が散乱している。
「……あと一枚。この最後の『スロット』に何を挿すかで、このゲームの勝率が……いや、転生後の私の人生がすべて決まるんです。静かにしてください」
私は、目の前に浮かぶ数千枚の「スキル・カード」を凝視したまま、一歩も動かずにいた。前世の私は、週末になればカードショップに通い詰め、全国大会で入賞したこともあるカードゲーマーだ。そんな私が不慮の事故で命を落とし、あろうことか「乙女ゲーム風の異世界」に転生することになった。しかも、転生ボーナスとして好きなスキルを3つ選んでいいという「構築の自由」つきだ。
これに興奮せずして、何がカードゲーマーか。
「あのさぁ。君がそれを選び始めてから、こっちの時間で三日は経ってるんだけど。そんなに悩むなら、この《絶世の美女》とか《体力無限》とか、一番レアリティ高いやつ選べばいいじゃない。ほら、この《救世の聖女》なんて、一度だけあらゆる災厄を無効化できるよ?」
神様が指差したのは、キラキラと輝く虹色のSSRカード。だが、私は「チッチッチ」と舌を鳴らし、立てた人差し指を左右に振ってみせた。
「神様、あなたは分かっていないですね。単体で強いだけのカードは、それが機能不全に陥った瞬間に『詰み』です。そんな大味なパワーカード、私に言わせれば『構築が甘い』。真の美しさは、取るに足らない平凡な能力同士がシナジーを起こして、誰にも止められないコンボを生む瞬間に宿るんですよ」
言い終わるなり、床に転がっていたポテチの空袋の下にも数枚のカードが隠れていたことに気が付いた。ウロウロしていた神様を軽く押しのけ、その中の一枚を拾い上げる。
「……あったわ!このカードこそ、ずっと探していた最後のピースよ!」
大喜びする私とは対照的に、神様は呆れたような、ようやく決まってほっとしたような微妙な表情をしていた。
「……あ、そう。じゃあ、その地味な三枚で確定なのね?」
私が最後に手に取ったのは、くすんだ灰色の枠に縁取られた、何の変哲もないスキル・カードだった。三枚ともレアリティは最低の「コモン」。
「これ、本当に弱そうだよ?大丈夫?主人公っぽくないよ?」
「ふふ、神様。この三枚を並べてみてください。……ほら、見えてきませんか?」
私はカードを一枚ずつ、空中に叩きつけた。
「まず《悪役令嬢の宿命》——初対面の相手を魅力倍増で惚れさせる。でも一定期間で効果は切れる。相手は冷めて、婚約を破棄してくる」
「次に《契約破棄の代償》——婚約を一方的に破棄された瞬間、相手の資産とステータスを根こそぎ吸い取る!」
「最後に《スクラップ&ビルド》——力を失った元カレを社交界から追放。同時に、格上の新しい相手を引き寄せる!」
「そして新しい相手に《悪役令嬢の宿命》が再び発動——これが私の最強コンボ、名付けて《ざまぁ・ループ》です!」
神様はポカンとした顔で私を見ている。
一度回れば最後。婚約破棄されるたびに自身を強化し、元カレは再起不能になるまで吸い尽くされる。《悪役令嬢の宿命》の効果が一定期間しか続かないことを逆手にとって次の婚約破棄に繋げるのがこの構築の肝だ。
「……うん、よく分かんないけど、君が満足ならいいや。じゃ、転生するよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
スキルカードを選ぶのに夢中で、三日間まったく自分の姿を確認していなかった。慌てて周囲を見回すと、全身が映るほどの大きな鏡が一枚置いてある。覗き込んだ瞬間、見知らぬ令嬢と目が合った。
——ああ、これが新しい私か。
転生後の私の名は、アリシア・フォン・ヴェルン。17歳、男爵令嬢。貴族の中では最も低い家柄だが、下剋上は望むところだ。鏡の中には、銀灰色の長い髪をすらりと流した令嬢が映っている。切れ長の紫紺の瞳、整った目鼻立ち。絵に描いたような悪役令嬢の顔だ。
私は慌てて背筋を伸ばし、スカートの裾を指でつまんだ。そうだ、令嬢はカーテシーで礼をするんだった。私に上手くできるかしら。ぎこちなく膝を曲げ、三回ほど練習する。四回目のカーテシーで、ようやく様になった気がした。
前世では、仕事でも恋愛でも、いつの間にか誰かの都合に押し流されていた。今度は違う。自分で選び抜いたこのスキルで、異世界を思い通りに攻略してみせる。
「準備できた?転生先は『悪役令嬢としての断罪シーン』の真っ最中だよ」
「最高のスタート地点(初期手札)です。……さぁ、対戦よろしくお願いしますわ!」
私の意識は、光の中に飲み込まれていった。
◇◇◇
気づいたとき、私は大広間の中心に立っていた。
場の空気が、肌に刺さるように冷たい。周囲をぐるりと貴族たちが取り囲んでいる——正装姿の男女、数十人。全員の視線が、私に向いていた。
状況を把握するのに、十秒もかからなかった。断罪シーンだ。想定通り。
「アリシア・フォン・ヴェルン」
低く、よく通る声が、正面から飛んでくる。貴族らしく端正な顔立ち。ただ——その目は最初から結論を出し終えている。私の顔など、見てもいない。
——と、その顔を見た瞬間、頭の中に記憶が流れ込んできた。アリシア・フォン・ヴェルンとしての十七年間。この男の名前も、私との関係も、今この場で何が行われようとしているかも、すべて。
ルフェルト・フォン・クロイツ子爵。私の婚約者——いや、元婚約者になろうとしている男だ。
「貴女がエレナ嬢に対して行った数々の嫌がらせは、すでに証人の証言によって明らかになっている。貴女のような性悪が私の隣に立つ資格は——」
ルフェルトが何かを言い続けているが、私はあまり聞いていなかった。
——落ち着け。まず盤面の確認だ。深く息を吸って、場全体を俯瞰する。
ルフェルトの隣に、すまし顔の令嬢が寄り添っている。ルフェルトに庇われるように立ち、私と目を合わそうとしない。——なるほど、あの娘に鞍替えって訳ね。
周囲の貴族たちは、私を断罪したいルフェルト派と、成り行きを見守る野次馬に二分されている。当然ながら私の味方はいない。
そして集団から少し離れた出口近くに、家紋入りの外套をまとった男が数人立っている。見覚えのない紋章だが、格の高さだけは一目で分かった。
まさに想定通りのシチュエーションだ。私は場の空気を無視してにっこりと微笑んだ。
「……ルフェルト様」
「なんだ」
「つまり、何がおっしゃりたいのかしら?」
広間が、静まり返った。
ルフェルトが眉をひそめる。隣のエレナが小さく息を呑む。周囲の貴族たちから、ざわめきが漏れた。
「……アリシア・フォン・ヴェルン。私は、貴女との婚約を、ここに破棄する」
来た。
——《契約破棄の代償》、発動。
体の芯に、何かが流れ込み始めた。




