chapter.3 トラウマ
隠れ家のような小さな喫茶店。
先ほどのマンションから徒歩で五分程のところに丁度良さそうな店を発見し、円谷は健太郎を連れ込んだ。人目に付かない一番奥の席に健太郎を座らせてコーヒーを二つ注文すると、円谷は漸く落ち着いたとばかりに大きく息を吐いた。
二人分の営業鞄を隣の椅子に置き、健太郎の呼吸が元に戻るまで少しの間様子を見る。
円谷がこんなにもしんどそうな健太郎を見るのは久方ぶりだった。
「調子、悪いのか」
「あ、いえ。そういうわけでは」
真っ赤に目を腫らし、健太郎は届いたばかりのコーヒーを啜った。
片手では持てないのか、両手で抱え込むようにカップを持つ健太郎を、向かいの席で円谷は痛々しく見ていた。
「何かきっかけが?」
「それは……」
「言いにくかったら言わなくても」
「いえ、同行が課長で助かりました。他の同僚や上司だったら気付いて貰えなかった」
普段はしゃんと背筋を伸ばし堂々と立ち回る健太郎の内面を知る、僅かな人物。円谷良悟は紛れもなく健太郎の恩人で――頼れる先輩だった。
「考えないようにしていたんです、陽菜子のことは。勿論写真はいつも部屋に飾っていて、挨拶はします、話し掛けます。そうじゃなくて、考えないようにしていたのはあの日のこと。あの日、陽菜子を救えなかったこと」
やっぱりかと、円谷は眉を顰めた。
「君の落ち度はどこにもなかった。偶然は重なる」
「分かっています。幾つもの偶然が重なって、陽菜子はああなってしまった。自分を納得させました。防ぎようがなかったと。……今回のは、そういうんじゃなくて」
カツンと、カップをテーブルに置く、小さい音。
「聞いてしまって。V2モンスターに変化した後も、罹患者はそのままの意識を保っている可能性があるってことを」
ピクッと、円谷は反応して健太郎の顔を覗き込んだ。
「言われたわけじゃないんです。直接、そんな可能性があるなんて。でも、『助けて』と話した個体がいると聞いて、俺は真っ先に陽菜子のことを考えて。助けて欲しくて、真っ先に向かい側に座る両親に襲いかかったんじゃないかとか、あのときどうして抱き締めてあげなかったんだろうとか。俺は陽菜子を見殺しにした。腰を抜かしている場合じゃなかった。抱き締めてあげなくちゃならなかった。お腹の子どももそうして欲しかったんじゃないかとか、考えると、もう……」
視点の定まらない目。止めどなく溢れる涙と鼻水を垂れ流し、ガタガタと震えるばかりの健太郎に、円谷は掛ける言葉が見つからなかった。
「が、我慢して、俺の心なんて、気持ちなんてどうでもいい、次の犠牲者が出ないようにと踏ん張ってきたんですけど、急に……なんていうか、が、我慢が、できなくなって」
「もういい、喋るな」
「俺は、誰も救えない。こんなことをしたところで、気休め、じゃないですか。根本的な解決方法を見つけないと」
「渚君、もういい」
「俺は非力だ。最低最悪の男だと……また、あのときと同じことを思うようになって。感情の、コントロールが利かないんです。押し殺そうとすればする程、何かがおかしくなって、でもそうなったら仕事どころじゃなくなるから、日中は我慢しよう、悟られないようにしようって思って……思ってたのに…………」
彼なりに必死だったことは、円谷も知っている。
暗い気持ちを誤魔化すように笑って、明るく振る舞っているのも知っている。
だからこそ――感情の箍が外れたように泣き出してしまった健太郎を、円谷は責めることなどできなかったのだ。
「しばらく、休んだらどうだ」
ポケットティッシュを健太郎に差し出しながら、円谷はそう切り出した。
「カウンセラーにも相談した方が良い。奥さんが亡くなった時にもそうしただろう」
健太郎の反応は薄い。
出されたティッシュで涙と鼻水を拭き取る彼の表情は、葬式の後よりも暗かった。
「余っている有給を、しばらく使わせてください」
「分かった」
「一人になって、考えます。この先、どうしたら良いのか」
「無理はするな。飯は食え」
「はい」
「生きろよ」
「はい」
健太郎は帰社しなかった。
円谷は二人分の荷物を抱えて社に戻り、そのまま彼を有給扱いにした。
*
お咎めがなかったことがかえって伊織を不安にさせた。
優也と安樹星来には余計なことは喋らない、あくまでアリバイ工作のために利用する、それが最適解のようだ。
更科の淡々とした言い回しが気になってLINKやアプリで健太郎に連絡を取ろうとしたが、全く反応がない。いつもなら秒で返信がくるにもかかわらず、だ。
既読が付かないところを見ると忙しいのかも知れない。そう思ってしばらく放置していたのだが、仕事が終わったことになっても、父の良悟が帰宅した後も一向に既読にはならなかった。
一方で優也からは、怒られなかったか、無事だったかとLINKが飛んでくる。
大丈夫心配ないと返事して、明日の朝九時に近くの公園で待ち合わせることを確認し合った。
「気にする必要はないか……。大人、だもんな」
返信の来ないスマホをぼうっと見つめていると、珍しくテレビ前のソファの背に身体を放り出すようにして休む父の姿が目に入る。かなり疲れているようだ。
「父さんどうしたの?」
母に聞くと、
「会社でちょっとあったみたいで。お疲れモード」
今日は金曜日。一週間分の疲れが溜まっているのだろうとは思ったが、それにしてもこれだけ分かりやすく疲れる父を見ることはない。
ぼうっと天井を見つめる父が気になって、伊織は恐る恐るそばに寄って尋ねてみた。
「大丈夫?」
「ん? んン……」
チラリと伊織を見て、また父は天井に目をやった。
「トラウマって、そう簡単には消えないよな」
「うん……、多分?」
「簡単に克服できるものなら、のどかは不登校にはなってない。みんな、誤魔化して生きてるんだ。大丈夫、もう大丈夫って」
「だと思うよ」
何のことを言っているのだろう。
伊織は不思議に思いながらも、父の話に付き合った。
「慰めようとして、傷を抉ったかも知れない。ダメな上司だな、俺は」
父は最後まで何のことか明示しなかった。
が……短い言葉だけで健太郎が今どうなっているのかありありと伝わってくる。
伊織は大急ぎで部屋に戻り、アプリを操作。座標を健太郎の部屋にセットして――……そのまま、彼の元へ向かった。
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