chapter.1 覚悟はできたか
学校からの帰宅途中、ふいに《ステラ・ウォッチ》がぶるんと鳴った。
またV2が出現したのかと慌ててウォッチを確認した伊織は「うげっ」と顔を渋らせ足を止めた。
学区の違う安樹とは駅で別れ逆方向に。そこからどうでもいい会話をしながら、久しぶりに優也と歩いていたところだった。
「どうした? 伊織」
「説教タイムかもしれない……」
「説教?」
住宅街、家までほんの数百メートル。しかし、このまま帰るわけにもいかなくなった。
困ったなと頭を掻いて、伊織は大きく溜め息を吐いた。
優也はウォッチを覗き込むが、のぞき見防止加工が施された盤面は真っ暗なまま。
「秘密にするって約束だったのに喋ったから。何か怖いんだよね、所長さん」
「所長?」
「あ、うん。これ以上喋ると消されるかも知れないから、言えないけど」
「随分物騒だな」
「そう。物騒なんだ。中の人達はまともなんだけど」
どこまで本当なのか分からないようなことを呟いて、伊織はハハッと小さく笑う。
「ごめん。呼び出されたから、ちょっと行ってくる」
「おぅ。じゃ、明日のことは後で連絡する、でいい?」
「お願い。LINK送って。安樹さんにも」
「おっけー」
じゃあと軽く手を振り、伊織はそそくさと小路へと入っていった。
*
ラボへ着くなり「所長室に急いで」と館花に言われ、伊織は大慌てでビルの十八階にある所長室へと急いだ。途中で何人かに頭を下げた。夕方とはいえ通常勤務時間帯とあって、それなりに所員がいる。白衣かスーツ姿。如何にも研究所という感じだ。
「やってくれたな、円谷少年」
所長室で待ち構えていた緑川瑠璃絵は、胸元の開いたトップスに白衣を羽織って伊織を出迎えた。
執務机の肘掛け椅子に深く座って足を組み、不敵な笑みを浮かべる緑川に圧倒されて、伊織は何も言い返せなかった。
「寧ろ今までよく我慢したと褒めるべきか。一人で抱え込むのは辛かったろう。魔法少女をやめてしまいたくなるくらいには」
うっと伊織は息を呑んだ。
窓から差し込む夕日がジリジリと肌を焼く。
机の前に立たされたまま日に炙られた伊織は、汗でベトベトの手をギュッと握り直した。
「それでも戻ってきたのは、改めて覚悟ができたということだと理解するが、どうだろう。君は否定するかも知れないが、君の身体は魔法少女として戦う日々を欲している。君なくしてエンジェルステラは成り立たない。君と渚氏、二人揃うことが重要なのだ」
言葉は淡々としていたが、迫力は凄まじい。
壁の影で涼しげな顔をしている彼女に、伊織は恐怖を覚えていた。
伊織はどうも、この緑川瑠璃絵という女性が苦手だった。
そのオーラも勿論だが、鋼の鎧でも着込んでいるようなガードの高さ。核心には触れず、断片的な情報しか寄越さないのは何故なのか。健太郎が言うように、何かを隠して――
「で、どうだ少年。真に、覚悟はできたか」
腕を組み顎を突き上げ、眼鏡のレンズを光らす緑川に、伊織はゴクリと唾を飲み込んだ。
ここで言う“覚悟”は、エンジェルステラの力を授かった時の、あの“覚悟”とは違うもの。命を懸けて任務を遂行できるのかと問うているのだ。
「大丈夫。もう、やめるなんて言わない」
「よろしい」
嫌な汗が滲む伊織とは裏腹に、緑川瑠璃絵はニッと満足げな笑みを浮かべた。
机の上に置いていたスマホを手に取り、誰かに連絡。程なくして年配の男が所長室にノックして入ってきた。
「えっと……更科、さん?」
「あたり。戻ってきてくれてありがとう、円谷君」
ラボの中で一番の年長者、そして生粋の魔法少女オタク。更科光照は伊織の中で、そういう位置づけだった。
「円谷君が戻ってきたらちゃんと話をしようと、緑川所長とはそういう話をしていたんだ。もう既に渚君には話してある内容だけど、覚悟のできていない君にはまだ早いかなと言わずにいた情報が幾つかあってね。その話をちょっとさせて貰おうかなと」
応接用のローテーブルに持参したノートパソコンを置いて、更科はこっちに来なさいと伊織を呼んだ。
伊織は渋々更科の隣に座り、彼の持参したパソコンの画面を覗き込んだ。
「V2は人間を魔物に変えてしまう。そのメカニズム解明のために、私達はV2モンスターの細胞を分析し続けた。先頃、これが地球上のものではないことが確認された」
「え? それって」
「宇宙から飛来した可能性が高い。隕石か、はたまた侵入か。理由は断定できないが」
突拍子もないことを言う。大真面目に、自分の親よりもずっと年上の人間が。
それが奇妙すぎて、伊織は目を丸くした。
「V2は人間と他の生物を結びつけ、全く違う生物へと変えてしまうものだったのだ。そんなウイルスは、地球上には存在しない。さっき君が戦った蝉人間。あれは校庭にいた蝉とV2に罹患した生徒の融合体」
「ちょ、ちょっと待って。更科さん、それって」
「変身したのじゃない。融合した。溶けて、作り変わった」
更科の深く刻まれた皺に、濃い影が落ちた。
「融合すると、その人間は人格を失う。人間であったことも分からなくなる。戻れなくなる」
「け、健太郎にも言ったんですか」
「法律上、魔物化した人間は、死んだと見做される。見做されるが――」
「健太郎の奥さんは」
「これは他国での話だが」
伊織の声が聞こえていたのかどうか。
更科は淡々と、言葉を続けた。
「言葉を発する個体が現れたと報告が上がった。『助けて』と、その魔物は処分の直前に、そう懇願したそうだ」




