理由のないお泊まり
「無限ピーマンでも作るか」
「何それ」
「ピーマン」
「やっぱり帰ろうかな」
「泊まるんじゃなかったの?」
「ご飯食べてから考える」
「現金すぎるだろ」
二階から笑い声が聞こえた。
結局、紬は帰らなかった。
というより、最初から帰る気なんてなかったのだと思う。
澄江さんにも拓真さんにも確認は取れている。明日は土曜日。学校もない。雨も降っていないし、病院の都合もない。
つまり今日は、特別な事情もなく泊まる。
初めて泊まった時は大雨だった。
帰るよりここにいた方が安全だった。
今回は違う。
ただ、紬が泊まりたいと言った。
それだけだ。
六時を過ぎて仕事を終えると、紬はすぐに二階から降りてきた。
「ピーマン、本当に作るの?」
「作るよ」
「肉詰めじゃなくて?」
「今日は違う」
「何入ってるの?」
「ピーマンと塩昆布とごま油」
「ほぼピーマンじゃん」
「そうだよ」
「騙した」
「一回も騙してない」
冷蔵庫からピーマンを出す。
残っていた二個。
紬が露骨に嫌そうな顔をした。
「二個も使うの?」
「二人で食べるんだから」
「一個でよくない?」
「少なすぎるだろ」
「私は少しでいい」
「味見してから言え」
「肉入ってない?」
「入ってない」
「じゃあ期待できない」
「評価厳しいな」
ピーマンを細切りにする。
紬は横からじっと見ている。
「細い」
「前もそれ言ってたな」
「細ければピーマンじゃなくなる?」
「ならない」
「じゃあ意味ない」
「食感は変わるだろ」
「ふーん」
耐熱容器に入れて軽く加熱し、塩昆布とごま油を混ぜる。
「これだけ?」
「これだけ」
「料理?」
「料理」
「ほんとに?」
「失礼だな」
紬が少しだけ近づく。
「匂いはいい」
「ごま油強いからな」
「ピーマンの匂いもする」
「そりゃする」
「やっぱりいる」
「だから消えるとは言ってないって」
味見用に一本だけ箸でつまんで渡す。
「熱い?」
「ちょっと」
紬はかなり慎重に口へ入れた。
噛む。
「……」
「どう?」
「待って」
「また審査?」
もう一度噛む。
「……塩昆布つよい」
「そういう料理だからな」
「ごま油も」
「うん」
「ピーマンもいる」
「いるよ」
紬はしばらく考える。
「でも」
「でも?」
「ご飯となら食べられるかも」
「結構いけてるじゃん」
「好きとは言ってない」
「分かってる」
「肉詰めの方が好き」
「比較対象が肉入りだからな」
結局、夕飯は焼き魚と味噌汁、それに無限ピーマンになった。
「いただきます」
「いただきます」
紬は最初、無限ピーマンを避けていた。
魚。
ご飯。
味噌汁。
そのあと、仕方なさそうに少しだけ取る。
「ご飯と一緒なら?」
「……まあ」
「いける?」
「まあ」
「語彙なくなってるぞ」
「だって、まあなんだもん」
「嫌い?」
「ピーマンは嫌い」
「これは?」
少し考える。
「これなら食べてもいい」
「十分じゃん」
「また食べたいとは言ってない」
「じゃあ次は揚げ浸しだな」
「何それ」
「ピーマン」
「また?」
「まだあるぞ、ピーマン料理」
「そんなにあるの?」
「世の中ピーマンを食わせようと頑張ってるからな」
「誰が?」
「知らん」
紬が笑う。
そのまま何口か食べて、最終的には自分の分を全部食べた。
「完食」
「少なかったから」
「はいはい」
「でもご飯には合う」
「認めたな」
「そこは認める」
「じゃあ次も」
「それは別」
「厳しい」
食後は二人で片付けた。
もうどちらが洗うかも大した問題ではない。
「今日私洗う」
「じゃあ俺拭く」
「うん」
自然に決まる。
皿を洗いながら、紬が聞いた。
「こうじさん」
「何?」
「泊まるの、迷惑じゃない?」
「今さら?」
「今日は理由ないから」
やっぱり気にしていたらしい。
「泊まらなきゃいけない理由はないな」
「前は雨だったし」
「まあな」
「今日は何もない」
「明日休み」
「それだけ」
「十分じゃない?」
紬は皿を洗いながら少し黙った。
「泊まりたいから泊まるのって、変じゃない?」
「友達の家に、泊まりたいから泊まったことは?」
「あるけど」
「じゃあ、泊まりたいってだけで泊まること自体は変じゃないだろ」
「ここ友達の家じゃないし」
「そうだな」
「親戚だけど」
「そうだな」
「昔の家でもあるし」
「そうだな」
「こうじさんの家でもある」
「そこは合ってる」
「何なんだろ」
「また分類するの?」
前にも似たような話をした。
来客なのか。
何なのか。
「紬が泊まってる。それでいいだろ」
「またそれ?」
「便利なんだよ」
「ちゃんと考えてないだけじゃない?」
「考えた結果、それでいいってなった」
「ほんと?」
「ほんと」
皿を受け取って拭く。
「泊まりたいなら、澄江さんと拓真さんがいいって言って、俺も大丈夫なら泊まればいいよ」
「毎週でも?」
「それは知らん」
「なんで」
「頻度の話は別だろ」
「じゃあ月一?」
「交渉始めるな」
「二週間に一回」
「増えてる」
「月二回だから」
「細かいな」
「だめ?」
「その時考える」
「そのうち?」
「便利だな、その言葉」
「こうじさんがよく使うから」
紬は少し笑った。
片付けを終えると、紬は自分の歯ブラシとコップを使って歯を磨いた。
それを横で見ていると、前回の泊まりとは大分違う。
「パジャマある」
「あるな」
「タオルもある」
「あるな」
「歯ブラシもある」
「あるな」
「完璧」
「何のチェックだよ」
「泊まれるかどうか」
「もう泊まってるだろ」
紬は洗面所から出て、そのまま二階へ向かった。
「お風呂先入っていい?」
「どうぞ」
「リンス買ってないの?」
「買ってない」
「えー」
「必要なら自分で持ってこい」
「置いていい?」
「一本くらいなら」
「じゃあ今度持ってくる」
「また増えるの?」
「邪魔?」
「いや」
「じゃあいいじゃん」
「最近それ強いな」
「こうじさんが言ったから」
「何を」
「来てもいいって」
「言ったけど」
「じゃあ置いてもいい」
「理屈が飛んでる」
「飛んでない」
また笑いながら風呂場へ行った。
しばらくして。
「こうじさん!」
「何!」
「シャンプー少ない!」
「まだあるだろ!」
「あとちょっと!」
「明日買う!」
「忘れないで!」
「はいはい!」
前回より、随分遠慮がない。
初めて泊まった夜は、シャンプーの場所を一つずつ聞いていた。
今は残量にまで文句を言う。
「……順応早いな」
それでも悪い気はしなかった。
十時過ぎ。
紬は自分のパジャマを着て、二階の部屋にいた。
前回使った布団も、納戸へ戻さず二階のクローゼットに入れていた。
「出す?」
「自分でやる」
「持てる?」
「持てる」
「じゃあ任せる」
二人で布団を敷く。
「前より慣れた」
「二回目だからな」
「今日、電気消していいよ」
「前も消しただろ」
「最初待ってって言った」
「怖かったんじゃん」
「違う」
「はいはい」
「今日は大丈夫」
部屋の入り口に立つ。
「じゃあ寝る時消せよ」
「うん」
「俺は下にいるから」
「何時まで?」
「また聞くの?」
「一応」
「十二時くらい」
「そっか」
「今日は確認しに来なくていいぞ」
「行ってないし」
「呼ばれたんだよ」
「今日は呼ばない」
「分かった」
そう言って部屋を出た。
十一時半頃。
俺も風呂を済ませて寝る準備をする。
階段を上がる。
紬の部屋の前を通る。
今日は扉が閉まっている。
「寝たかな」
小さく呟いて、自分の部屋へ向かう。
すると扉が少し開いた。
「こうじさん」
「起きてるじゃん」
「今寝るところ」
「何?」
「別に」
「またそれ?」
「……おやすみ言ってなかった」
「ああ」
「おやすみ」
「おやすみ」
それだけだった。
扉が閉まる。
前回みたいに、いるかどうかを確認したわけでもない。
ただ、おやすみを言っただけ。
翌朝。
七時半頃、目が覚めた。
前回より遅い。
学校がないからだ。
階下へ降りると、紬が居間にいた。
パジャマ姿でテレビを見ている。
「おはよう」
「おはよう」
「早いな」
「七時だよ」
「休みの日は早い」
「こうじさん遅い」
「休日なんだから寝かせろよ」
「お腹すいた」
「またそれ?」
「朝ごはん」
「分かってる」
冷蔵庫を開ける。
卵。
牛乳。
昨日の残り。
「卵焼き?」
後ろから紬が覗く。
「また?」
「昨日食べてない」
「毎回卵焼きにする気?」
「好きだから」
「パンもあるよ」
「卵焼きとご飯」
「和食派だな」
「お父さんの朝ごはんそうだったから」
「ああ」
それなら仕方ないか。
卵を二つ出す。
「今日は紬が作る?」
「いいの?」
「俺横にいるから」
「作る」
「甘さ自分で調整してみ」
「分かった」
紬が卵を割る。
砂糖を入れる。
「それ多くない?」
「お父さんこれくらい」
「本当に?」
「多分」
「多分なんだ」
「覚えてない」
「じゃあ少し減らせ」
「もう入れた」
「遅いよ」
フライパンへ流す。
形は少し崩れた。
巻くのも途中で失敗する。
「あ」
「まあ食えればいい」
「こうじさんみたいなこと言った」
「一人暮らしの知恵」
「便利」
どうにか完成。
皿に載せる。
紬が一口食べる。
「……甘い」
「だろうね」
「入れすぎた」
「次減らせばいい」
「失敗?」
「食えるなら失敗じゃない」
「やっぱりこうじさんっぽい」
「褒めてる?」
「分かんない」
二人で朝食を食べる。
何の予定もない土曜日。
雨も降っていない。
誰かを待つ必要もない。
食べ終わっても、紬はすぐ帰るわけではない。
「今日どうするの?」
「何が?」
「帰る?」
「昼くらい?」
「適当だな」
「美咲ちゃんと午後遊ぶ約束してる」
「じゃあそれまでいる?」
「うん」
「もう普通に予定の合間に使ってるな、この家」
「駄目?」
「駄目じゃないよ」
「じゃあいいじゃん」
「強い」
紬が笑った。
食後、二人で洗い物をする。
昨日の夜と同じ。
特別なことは何もない。
初めて泊まった時は、一晩いるだけで家の雰囲気が違って見えた。
今日はそこまででもない。
紬が朝からいる。
それが少しずつ、普通になり始めている。
「こうじさん」
「何?」
「来週も泊まっていい?」
「もう聞くの?」
「先に予約」
「ホテルじゃないぞ」
「空いてる?」
「部屋は空いてる」
「じゃあ」
「澄江さんと拓真さんに聞いてから」
「こうじさんは?」
少し考える。
「俺は別にいいよ」
「ほんと?」
「毎週確定はしないけどな」
「じゃあ今度また聞く」
「そうして」
紬は満足そうに頷いた。
必要に迫られたわけではない、一泊。
だからこそ、前回とは少し意味が違っていた。




