今日も晩ごはん
「今日のご飯、ピーマン入る?」
「晩飯までいる気?」
「駄目?」
玄関に立ったまま聞いてくる紬に、俺は時計を見た。
午後四時過ぎ。
まだ仕事中だ。
「澄江さんには?」
「言ってない」
「じゃあ先に聞きなさい」
「晩ごはん食べていいって言われたら?」
「その時考える」
「入れる?」
「ピーマン?」
「うん」
「そこが一番大事なの?」
紬は少し考えた。
「大事」
「じゃあ入れる」
「なんで」
「好き嫌い克服」
「昨日は嫌いって言っていいって言ったじゃん」
「言っていいとは言った。毎回抜くとは言ってない」
「話が違う」
「違わないよ」
紬は納得していない顔をしながら靴を脱いだ。
「ただいま」
「今言うんだ」
「忘れてた」
「おかえり」
ランドセルを背負ったまま二階へ向かう。
「連絡してからな」
「分かってる」
しばらくして仕事部屋へ戻ると、スマホに澄江さんからメッセージが来た。
『今日もそちらにいるみたいでごめんなさい。もし晃司くんが大丈夫なら、夕飯までお願いしてもいい?』
昨日とよく似た文章だった。
『大丈夫です』
返してから、少し考える。
昨日は雨だったから。
今日は何だ。
別に理由はない。
紬が学校帰りに来て、そのまま夕飯までいる。それだけだ。
二階から足音がして、紬が顔を出した。
「いいって?」
「いいって」
「どっちが?」
「澄江さんも。俺も」
「じゃあ今日も食べる」
「もう決定なんだな」
「駄目だった?」
「いや」
紬は満足そうに二階へ戻ろうとした。
「待て」
「何?」
「ピーマン」
「……入れるの?」
「少し」
「少しってどのくらい?」
「普通に一個」
「多い」
「一個を二人で食べるんだぞ」
「半分もある」
「計算早いな」
紬は嫌そうな顔をしたまま階段を上っていった。
仕事を終えたのは六時少し前だった。
台所へ行くと、紬もついてくる。
「今日は何?」
「青椒肉絲っぽいもの」
「最悪」
「露骨だな」
「ピーマンいっぱいじゃん」
「だから少なくするって」
「別のにしない?」
「豚肉とピーマンが昨日から残ってる。タケノコの水煮もある」
「私が来る前から?」
「あるよ」
「じゃあ仕方ない」
諦めるのが早い。
「手伝う?」
「今日は見てて」
「なんで?」
「昨日キャベツの大きさがすごかったから」
「食べられたじゃん」
「食べられれば何でもいい理論やめろ」
俺が肉を細く切り、ピーマンも同じくらいの幅に切る。
横で見ていた紬が言った。
「細い」
「細ければ食べられる?」
「分かんない」
「味付け濃ければいけるだろ」
「子ども扱いしてる」
「十一歳は子どもだよ」
「五年生だよ」
「だから何」
「もう高学年」
「高学年でも子ども」
紬が不満そうにする。
「こうじさんから見たら何歳まで子どもなの」
「少なくとも小学生は全員」
「じゃあ中学生は?」
「子ども」
「高校生」
「子ども寄り」
「大学生」
「人による」
「適当」
「大人ってそんなもんだよ」
フライパンに肉を入れる。
油が跳ねて、紬が少し後ろへ下がった。
「ほら危ない」
「今のはびっくりしただけ」
「下がってろ」
「手伝うって言ったのに」
「じゃあ皿出して」
紬は食器棚から二枚出した。
もうどこに何があるか迷わない。
「味噌汁は?」
「昨日飲んだから今日はなし」
「毎日飲まないの?」
「一人暮らしに何を期待してるんだ」
「お父さんは作ってた」
「拓真さん偉いな」
「朝も作ってた」
「俺と比較するな。負ける」
紬が笑う。
それから、少しだけ懐かしそうな顔をした。
「お父さん、ご飯は結構ちゃんとしてた」
「仕事忙しいのに?」
「帰り遅い時はお惣菜とかだったけど」
「普通じゃん」
「でも朝は作ってくれた」
「へえ」
「卵焼き多かった」
「好き?」
「好き」
「甘いやつ?」
「ちょっと甘い」
「それは俺も好き」
「作れる?」
「多分」
「今度作って」
「そのうちな」
「約束?」
「そこまで重く取るな」
紬はそんなことを言いながら、箸を並べた。
出来上がったものを皿へ盛る。
青椒肉絲というにはだいぶ適当だが、肉とピーマンとタケノコを炒めて味付けしたので、大きくは間違っていない。
「いただきます」
「いただきます」
紬は最初に肉だけ食べた。
「ピーマンも食え」
「分かってる」
箸で一本つまむ。
少し嫌そうに口へ入れた。
「どう?」
「……食べられる」
「嫌い?」
「嫌い」
「そこは変わらないんだ」
「でも昨日よりはいい」
「昨日食べてないだろ」
「あ」
「適当言うなよ」
紬が笑った。
結局、ピーマンは全部食べた。
「偉い」
「だから子ども扱い」
「嫌いなもの食べた小学生は褒めるだろ」
「別に褒めなくていい」
「じゃあ次から倍な」
「褒めて」
「切り替え早いな」
食後、紬は皿を台所まで運び、そのままスポンジを手に取った。
「今日は私洗う」
「落とすなよ」
「落とさない」
「本当に?」
「こうじさん、私のこと何歳だと思ってるの」
「十一」
「合ってるけど」
「じゃあいいだろ」
二人で並んで皿を洗う。
昨日とは役割が逆だった。
紬が洗い、俺が拭いて棚へ戻す。
「これ、ここ?」
「うん」
「これは?」
「上」
「届かない」
「毎回そこだけ駄目だな」
「あと十センチくらい」
「一年じゃ無理じゃない?」
「伸びるかも」
「期待しとけ」
一通り片付けたところで、時計は七時前になっていた。
「今日、迎え来る?」
「来るって」
「澄江さん毎日大変だな」
何気なく言った。
紬の手が止まる。
「……迷惑?」
「え?」
「澄江おばちゃん」
「何で?」
「私がいるから」
そういう意味で言ったつもりはなかった。
「違う違う。病院行ったり、家のことやったり、忙しそうだなってだけ」
「でも私いなかったら、もっと楽でしょ」
「それ言ったら、俺も一人なら皿一枚で済むよ」
「じゃあやっぱり」
「でも二枚になって困ってないだろ」
紬が黙る。
「澄江さんも同じじゃない?」
「分かんない」
「少なくとも、迷惑だから早く出てけみたいな感じではないだろ」
「それは言われてないけど」
「じゃあ勝手に決めるなよ」
紬は少し俯いた。
「……お父さんも、そういうの気にしなくていいって言う」
「じゃあ二票」
「二票?」
「拓真さんと俺」
「こうじさん関係ないじゃん」
「まあな」
「じゃあ一票」
「減らすなよ」
紬が少し笑った。
その時インターホンが鳴った。
「来た」
玄関を開けると、澄江さんが立っていた。
「こんばんは」
「こんばんは。今日もすみません」
「大丈夫ですよ」
「本当に?」
「はい。ちょうど食べ終わったところです」
紬が奥から来る。
「今日ピーマン食べた」
「自分から言うの?」
「食べたから」
「あら、偉いじゃない」
「こうじさんも同じこと言った」
「だって偉いもの」
「子ども扱い」
「子どもでしょう」
「ほら」
俺が言うと、紬が睨んできた。
澄江さんが笑う。
ただ、いつもより少し疲れているように見えた。
「病院だったんですか?」
「ええ。今日は先生と話があって」
「拓真さん、何か?」
「悪くなったわけじゃないのよ。ただ、やっぱりリハビリは長くなりそうでね」
紬の顔が少し固くなる。
澄江さんも気づいたようで、すぐに続けた。
「でも回復はしてるって。焦らずやっていきましょうって話」
「……そっか」
「うん」
紬はそれ以上聞かなかった。
俺もここで詳しく聞くのはやめた。
「じゃあ帰ろうか」
「うん」
紬が靴を履く。
その横で澄江さんが小さく息を吐いた。
やはり少し疲れている。
「大丈夫ですか」
「ん?」
「いや、最近忙しそうだから」
「ああ」
澄江さんは困ったように笑った。
「年取るとね、病院行って、役所行って、学校の手続きして、晩ごはん考えてってやってるだけで一日終わるのよ」
「それは普通に大変ですよ」
「でも紬が学校行ってる間は何とかなるし、この子もあんまり手掛からないから」
そこで紬が振り返った。
「自分のこと自分でできるし」
「ほら、こういうこと言うの」
澄江さんが笑う。
俺もつられて笑ったが、紬だけは少し不満そうだった。
「できるよ」
「できるのは知ってる」
「じゃあいいじゃん」
「できるからって全部やらなくていいの」
澄江さんの言葉に、紬が黙る。
昨日の俺と似たようなことを言っている。
「それに最近は晃司くんのところに行ってくれるから助かってるし」
「え」
紬より先に俺が反応した。
「俺?」
「そうよ。病院が長くなっても、この子が一人で待ってるわけじゃないでしょう」
「まあ……そうですけど」
「本当に助かってるの」
澄江さんは俺に頭を下げた。
「いや、そこまでされることじゃないですよ」
「でもね」
「家で宿題して、ご飯食べてるだけですから」
それ以上言われると、逆に居心地が悪い。
紬は俺と澄江さんを交互に見ていた。
「じゃあ」
俺は紬を見る。
「病院の日くらいは、夕飯までいていいよ」
「……いいの?」
「毎日って話じゃないぞ」
「うん」
「あと勝手に決めるなよ。澄江さんと俺に確認」
「分かってる」
「ピーマンは出る」
「それは嫌」
「条件です」
「聞いてない」
「今決めた」
澄江さんが声を出して笑った。
「晃司くん、よろしくね」
「はい」
今度は前より少し自然に答えられた。
紬が靴を履き終える。
「じゃあ帰ります」
「はいよ」
玄関を出る前に、紬が振り返った。
「明日は病院?」
「明日は行かないわよ」
澄江さんが答える。
「じゃあ晩ごはんは?」
「うち」
「そっか」
何となく残念そうだった。
「何だよ」
「何でもない」
「うちの飯が食べたかった?」
「別に」
「ピーマン出るぞ」
「じゃあいい」
「現金だな」
紬は笑って外へ出た。
二人を見送って玄関を閉める。
家の中へ戻ると、また静かになった。
冷蔵庫を開ける。
昨日まで一人分を基準に買っていた食材が、最近少し早く減るようになった。
卵。
牛乳。
アイス。
米も前より減る。
「……買う量、増やすか」
口に出してから、少し考える。
別に毎日食べるわけではない。
病院の日だけ。
多分。
それでも次にスーパーへ行った時、俺は卵をいつもの六個入りではなく、十個入りで買った。




