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路地裏の錯綜

「ノア、ダミーログ展開」

『了解。11区広域データグリッドへ、擬似警告ログを展開します』


ノアのホログラムの輪郭が鋭く明滅し、コンソールの液晶画面に、緑色の文字列が高速で収束していく。


『g-55周辺の公共端末、および簡易受信機を起動。音声ログを再生します』


スピーカーの奥で、カチ、とリレー回路が切り替わる機械音が鳴った。


『―警告。10区CMR術師による駆除部隊が出動。これより当該区画において戦闘が予想される。近隣の市民はただちに屋内へ退避せよ。繰り返す―』


ノアの無機質な合成音声が、ノイズを伴って地下の通信回線へと流し込まれていく。画面のインジケーターが赤から黄色へと遷移し、信号の到達を告げた。


「次、gブロックの隔壁。落とすよ」


僕はコンソール右側の重い油圧レバーへ両手をかけた。レバーを最下段へと引き下げると、モニターに表示されたgブロックの構造図のうち、3カ所のゲートを示すアイコンが点滅を始める。


「これで地上側の退路は塞いだ」


僕はホログラム・ウィンドウを見つめた。ウィンドウではg-55区画の奥に位置する、バルドらの潜伏先が赤くマークされている。


「あとは…」


僕がコンソールに手をかけた時、背後の炉心室の扉が開いた。振り返ると、そこにいたのはセイルだった。


「イレブンさん」

「セイル君」


彼はホログラム・ウィンドウに近づき、表示されているgブロックの配管図に視線を走らせる。


「グレイロックさんとニコさんが“外”ですか」

「うん」


僕とノアが相談した作戦はこうだ。

ダミーアラートを流した後、ニコとレイナが地上側からバルドとその部下たちに接近する。彼らは裏のハッチから地下の廃棄配管層へ逃げ出すはずだ。ニコはそのまま地上で待機。レイナにはバルドらを追って地下に進んでもらう。地下にはハンスがいる。ハンスとレイナはそこで合流してもらう予定だ。


「ハンスさんとレイナさんには、バルドたちを目的の配管…g50-122バイパスまで追い込んで誘導してもらう。そこで、僕が冷媒を噴出させる」


セイルは、指先で自身の顎に触れ、少しだけ眉をひそめた。


「バルドは元12区の正規術師。廃霊に侵食されているとはいえ、二人だけで確実に追い込めるのですか」


「ハンスさんはベテランの兵士だし、レイナさんは元解剖部隊(ディセクター)だ。二人なら大丈夫」


僕の言葉に、セイルは納得したように一度目を伏せたが、すぐにその瞳を僕へと向けた。


「…なぜ俺をこの作戦に参加させなかったのですか」


その声には、不満というよりも、疑問の色が濃かった。


「え?」


僕は思わず振り返り、彼の細い肩を見つめた。


「君は子供だ」


驚きのままに口から出た僕の言葉が、室内の乾燥した空気に響く。調査ならまだしも、戦闘に積極的にセイルを巻き込むことはしたくない。


セイルは唇を結び、何かを言いたげに、僕の斜め後方に浮遊するノアのホログラムへと視線を転じた。青白い光の粒子の中で、ノアの琥珀色と青色の双眸が、淡々とセイルの数値を測定するように見つめ返している。


『出力的・状況判断力的にあなたが“子供”の域を超えていることは認めます』


ノアの無機質な音声が、炉心室の壁に這う配管の振動音に重なる。


「では」


『ただし、周囲があなたを“子供”あるいは“保護対象”と見ているが故に、彼らの判断に影響を及ぼす可能性があります。前線において、ハンスやレイナがあなたを庇う動作を選択した場合、戦術的成功率は14.2パーセント減少します』


セイルは黙り込んだ。彼の右腕の結晶痕が、小さく明滅している。


「…ニコさんはそうではないと?」


セイルの問いの裏にある意図を、僕は察した。出力や術式の精度で言えば、ニコがセイルに勝っているとは言い難い。彼が暗に「ニコは実力不足ではないのか」と言いたいのだということは分かった。


「ニコは…」


言いかけたと同時に、コンソールの通信用インジケーターが赤く明滅し、ノイズ混じりの音声がスピーカーから弾けた。


『イレブン?目標地点に到着。これよりバルドと接触するわ』


レイナの声だった。僕はセイルから視線を外し、コンソールのマイクに向き直った。


「了解、気をつけて」


通信を切る。僕はコンソールに向き直り、両手の爪から青い火花を散らせた。






薄暗い室内には、剥き出しの基盤から漏れる不規則な火花と、鉄錆の饐えた匂いが充満していた。

四方の壁面は油泥で黒く汚れ、天井から垂れ下がった劣化した配線が、時折、ジジ、と音を立てて火花を散らす。


「おい、今の警報を聞いたか」


油染みのついた作業着を着た男が、錆びた鉄パイプを床に突き立てながら声を荒らげた。彼の額からは、焦燥による粗い汗が流れ落ち、汚れた襟元を濡らしている。


「10区の駆除班だと? なんでこんな末端に?」


部屋の中央、液晶がひび割れたジャンク端末の前に、バルド・オストが座っていた。腰掛けているソファからは、スプリングが露出している。彼の右顔面を覆う青白い燐光が、端末の灰色の画面に反射して、不規則な脈動を繰り返す。燐光が強まるたび、彼の皮膚の薄い輪郭が硬く引き締まった。


「喚くな」


バルドの声は低く、乾いていた。彼は青白い指先で端末のキーを叩き、外周の監視波形を無理に呼び出そうとした。画面に、粗い走査線とともに2つの光点が浮かび上がる。


「…地上、アプローチ通路。官用車が2台、こちらに向かって直進してきている」

「2台だと?」


パイプを持った男が、小さく鼻で笑った。


「たった2台の車で駆除部隊かよ。脅かしやがって」


男は床に唾を吐き捨て、緊張を緩めるように肩を落とした。

しかし、端末を凝視していたもう一人の男が、画面に顔を擦り付けるようにして口を引き結んだ。彼の指先が、緑色に発光する識別コードの配列をなぞったまま、凍りついたように動かなくなる。


「待て…バルさん、これ、違う」

「何がだ」


バルドが視線だけを男に向けた。青白い燐光が、男の瞳を冷たく照らす。


「前方の1台…識別信号のヘッダが『CMR-00』になってる。これ、0区仕様車のコードだ」


室内の空気が、一瞬で硬直した。排気ファンの回転音が響き、壁の亀裂から滴る機械油が、等間隔に床の鉄板を叩く。

バルドは舌打ちをすると、右手の爪から白い火花を散らして立ち上がった。





g-55の路地。そこに面した通りに、2台の官用車が止まった。1台は11区が使い古した、塗装の剥げかけた官用車。バンパーは歪み、車体には幾重もの擦り傷が走っている。その錆びついた排気管から吐き出される煙のすぐ後ろに、カウスが新たに配備した0区仕様の新品の官用車が静かに滑り込んだ。傷一つない黒の塗装が、路地の煤星灯の橙色を滑らかに反射している。


「ニコ、あなたはそのまま車で待機して」


新型の運転席に座るレイナが、車内の通信機に向かって短く告げた。


『了解、しました』


ニコの乾いた声が通信機のスピーカーで微かに割れる。レイナは車の扉を押し開け、靴を路地へと下ろした。背筋を伸ばしたまま、バルドらが潜伏している建物の錆びついた扉へと迷いのない歩調を進める。


鉄扉を押し開けた先の室内は、よどんだ熱気と油の臭いが沈殿していた。床のコンクリートには、規格の合わない変形した歯車や、被覆の剥がれた太い銅線といったジャンクパーツが、油脂とともに転がっている。壁際には、白い煤に汚れた衣服を着た柄の悪い男たちが数名、背を丸めてたむろしていた。


彼らの視線が一斉に、扉から入ってきたレイナの衣服へと注がれる。胸元に鮮明に縫い付けられたCMRの紋章、そしてCMRの制服を目にした瞬間、男たちの間で低いざわめきが伝播した。男たちの指先が強張るのを視界の端に収めながら、レイナは速度を落とさずに歩みを進めた。


「“バルさん”は?」


静かな声が、室内の剥き出しの配管に硬く跳ね返る。


「俺だ」


奥の暗がり、積み上げられたジャンクパーツのケースの影から、低くザラついた声が応じた。バルドが姿を現す。その額には、フレームが歪んだゴーグルがかけられている。


「何の用だ?」


バルドは発光する皮膚を歪め、低く問う。レイナは足を止め、彼を真っ直ぐに見据えた。


「バルド・オスト、大人しく同行してもらえるかしら?」


レイナの青灰の爪から、銀の火花が鋭く散る。バルドは、その火花を値踏みするように視線を走らせた。


「…なるほど」


バルドの口元が不気味に歪む。その手から、バチリ、と白い火花が散った。レイナが距離を詰めるべく一歩を踏み出した、その瞬間だった。バツン、とフィラメントが弾ける音がして、天井の煤星灯の灯が完全に消失した。焼け焦げた金属の臭いが空気に混ざり、室内が完全な闇に包まれる。


「おい、裏だ!」

「ハッチを開けろ!」


男たちの荒い足音と怒号が闇の中で交錯する。続いて、床の鉄板が激しく振動し、地下へ続くハッチが乱暴に開け放たれる甲高い金属音が鳴り響いた。


レイナは額に跳ね上げていた網膜投影機シンク・ゴーグルを、両目の位置まで引き下ろした。暗視モードに切り替わった視界が、部屋の奥のハッチから地下の廃棄配管層へと滑り落ちていくバルドらの残像を正確に捉えた。


「逃がさない」


レイナは腰のホルスターに手をかけ、バルドらを追ってハッチの開口部へと迷いなく飛び込んだ。




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