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星痕の炉心  作者: 百舌
黒都ノクス
17/20

黒き都に、靴音は高く

黒都ノクス。その都市は落星ノクスの持つ膨大なエネルギーにより、絶対的な安寧と繁栄を得た。不完全な演算が許されない「定義の完成形」として鋳造された壮麗な都市である。

頭上に広がるのは、永遠の夜。廃霊を発火させる太陽光は、幾重にも張り巡らされた高度遮断術式によって一筋も残らず排除パージされている。代わりに都市を彩るのは、高純度の瀝星を燃やす無機質な瀝星灯の光である。


11区の鼻を突く煤の臭いも、皮膚を削る乾燥した風もない。あるのは、完璧に調律された湿度と、防音材によって吸い込まれた静寂。そして「持てる者」だけが呼吸を許される、高貴なる閉鎖空間である。

カウスとギルを乗せた黒都学院の専用車両が、大通りを滑るように走る。街路を照らす街灯から、学生たちの徽章に至るまで、黒都を満たしているのは、一分の隙もない幾何学の極致―「正八面体」の輝きであった。


カウスは、微かに明滅する計器の針を見つめ、低く息をついた。彼の視界には、街の美しさなど映っていない。ただ、供給されるエネルギーの揺らぎと、傍らに座る「最高傑作」の損傷したコードだけが、解析すべき対象として網膜に投影されている。

学院の正門を潜る。そこには、11区で必死に泥を啜る採取人たちが一生を賭けても拝むことのできない、壮麗な知の殿堂がそびえ立っていた。

―黒都中央事象定義学院、『オクトラム・カテドラ』


「おかえりなさいませ、カウス教授」


学院の重鎮たちの出迎え。彼らが浮かべる微笑は、出力の安定した炉心のように単調で、淀みがない。その整列した「正解」を割って、一人の女が進み出た。


「現場の『正しい』より、あなたの『勝手』が勝ったようね。カウス教授」


栗色の髪。切れ長の青灰の瞳。レイナ・グレイロックは、数十年変わらぬ凍てついた若さを湛え、カウスを見据えた。彼女の指先にある青灰の爪は、計器よりも鋭く、カウスの「越境」というバグを検知している。


「グレイロック監査官。お迎え痛み入ります。12区の『排熱』が少々予定より興味深い推移を見せましてね」

「その『興味』が、この街の定義を揺るがさないことを祈るわ。…まずは、ギルを調整槽へ。報告はそれからよ」


レイナの視線がギルを射抜き、次いでカウスの背後に残る11区の煤の残香を鋭く追及する。カウスは深淵蒼アビス・ブルーのスーツの裾を翻し、ギルを引き連れ、黒大理石の回廊を無機質に踏み越えていった。


「それで、何があったの?」


レイナ・グレイロックの問いは、鋭利なメスのように室内の静寂を切り裂いた。彼女の指先にある青灰の爪が、磁器のカップをかすかに鳴らす。その音は、黒都の完璧な湿度調整によって、残響さえも許されず減衰した。

カウスは、深く腰掛けたソファに身を委ね、漆黒の傘を傍らに立てかけた。


「大したことではありませんよ。12区の炉心が少々『癇癪』を起こしましてね。11区の機構を食い破り騒ぎを起こした。その過程で、現地に配置された『部品』が、多少面白い挙動を見せただけです」

「面白い挙動、ね。…あなたの言うそれは、往々にして『致命的なカテゴリーエラー』を意味するわ」


レイナの瞳、その青灰の奥に、監査官としての冷徹な光が宿る。彼女の視線はカウスを通り越し、部屋の隅に直立するギルへと注がれた。

ギルの左腕。一見すれば完全に再生している。だが、レイナの爪が感じ取る波形は、それが黒都の正規結晶によるものではないことを如実に示していた。


「…ギルの左腕の波形が汚染されているわ。12区の廃霊バグを吸わせたの?」

「おや、気づきましたか。緊急避難的な『アース』として使用しましてね。ですが、この摩耗こそが実戦データの証左。黒都の演算室では得られない、良質な『誤差』ですよ」

カウスはにこやかに答えた。

レイナはカップを置いた。カチリ、という音が「警告アラート」のように響く。


「カウス。あなたの研究は常に『正しい』。けれど、その正しさは世界の『均衡』を置き去りにしている」

「均衡、ですか。実に黒都的な、停滞を愛する言葉だ」


カウスは、ティーカップから立ち昇る蒸気を無感情に目線で追った。彼の網膜には、11区で見たあの「青い火花」が焼き付いている。だが、それをこの清潔な監査室に晒すつもりは毛頭ない。

「12区は消滅した。それが事実の全てです。…残留していた旧OSが自壊の末に熱暴走を起こし、11区の炉心がそれを一時的に吸い上げた。おかげで末端区の寿命が数ヶ月延びたのです。CMRへの報告書には、そう記しておきましたよ」

「その『一時的』の裏に、どれだけの歪みを隠したのか。追求を逃れられると思わないで」

「そういえば、グレイロック監査官。聞くところによれば、私の不在の間に『面白い』生徒が編入したとか」

カウスは不意に話題を切り出した。黒手袋に包まれた指先が、空いたティーカップの縁をなぞり、計算された微細な摩擦音を立てる。

レイナは視線を上げず、わずかに眉を寄せた。

「耳が早いのね。…情報源はどこから?」

「ふふ、色々と伝手がありまして。『不純物』を掃いていれば、嫌でも輝度の高いニュースが網にかかるのですよ」


その言葉に、レイナは小さく溜息をついた。彼女は手元の端末を操作し、空間に一つのホログラム・フォルダを浮かび上がらせる。

「そうよ。名は『セイル・ヴァランシエル』。高貴な血筋―ヴァランシエル家の直系よ」

「家格の話だけではないでしょう? 私が興味があるのは、その『中身』だ」

レイナは黙って資料をスライドさせた。青白い光の中に、一人の少年のポートレートと、異常な起伏を描く術式波形が展開される。

「十五歳にして学院首席。驚くべきは、黒都第八十七、第八十八炉心との同時契約、および完全制御を達成していることよ」

「素晴らしい。その若さで複数炉心を御すとは」

カウスの瞳の奥に、検品するような無機質な光が宿る。資料に記された「同期率」の数値は、黒都の官吏ですら三、四基の制御が限界とされる中、十五歳の少年が到達していい領域を遥かに逸脱していた。

「…ええ、本当に。誰かさんを彷彿とさせるわ」

「将来有望ですね。この街の『定義』をより強固に書き換えてくれるに違いない」

カウスの声音はどこまでも平坦で、まるで新しい精密部品の性能を称えるかのようだった。その温度のない言葉に、レイナは手元の資料を叩きつけるように閉じ、カウスを鋭く睨み据えた。

「…あの子はまだ子供よ、カウス。あなたの『最高傑作』や使い捨ての部品と一緒にしないで」

「おや。私はただ、その純粋な『演算』を称賛しただけですが?」

カウスは口角を吊り上げ、レイナの「人間味」を観察するように見つめ返した。静まり返った応接室に、冷え切った紅茶の香りと、目に見えない火花が散るような緊張感が満ちている。


「あなた、いくつになるんだったかしら?」


レイナが不意に、脈絡もなく問いかけた。その声はわずかな湿度を帯びている。

カウスは、空中に展開された複雑なホログラム資料から目を離すことなく、淡々と応じた。

「二百歳ですよ。それが何か?」

「…炉との契約は、本当に長い生を、そして残酷なほどの余白を与えてくれるわね」

「ええ、まあ。炉の出力と駆動術式の最適化によりますがね。高純度の瀝星を食らい、正規の定義で燃焼し続ける限り、この肉体は『朽ちる』というノイズを許容しません」

カウスは事も無げに言う。だが、レイナの青灰の瞳は、彼の背後で佇むギルの姿を捉えて離さない。


「十三炉心」


レイナは突きつけた。


「カウス。あなたが契約し、その『生』を維持しているのは、黒都の安定した炉だけではない。…崩壊寸前の白都、あるいは管理外の遺棄炉心とも複数契約している。その全負荷、すべての逆流バグを肩代わりし、代償を負い続けているのは誰か…忘れたわけではないのでしょう?」

その問いに、カウスはようやくホログラムを閉じ、視線をゆっくりと上げた。


「ギルですよ」


何を今更、と言わんばかりの、あまりに平坦な肯定だった。

「彼はそのために私が設計し、組み上げ、調整し続けてきた最高傑作です。複数の炉心から生じる論理矛盾、廃霊の毒、存在定義の摩耗……そのすべてを『アース』し、濾過するために彼は存在している」

「…あの子の肉体は、もう限界よ。さっきの波形を見たでしょう。再生のたびに、本来の定義が損なわれている」

「限界、ですか。グレイロック監査官、あなたは相変わらず『生命』という言葉を情緒的に捉えすぎる」

カウスは立ち上がり、ギルの側へ歩み寄ると、その肩に蒼い疑似爪の先を滑らせた。


「壊れれば直す。欠損すれば埋める。彼が私の『最高傑作』であり続ける限り、終わることはありませんよ」


カウスは、自らの演算そのものの如き完璧な微笑を、その口元に整えた。


「ぜひ話をしてみたいですね。その、『セイル・ヴァランシエル』君と」







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