log1.白い朝に、心臓を叩け
「おめでとう、今日から君がこの街の『神』だ。」
死刑の代わりに放り込まれたのは、地獄みたいな街だった。
街に満ちているのは毒。
しかも太陽光でその毒は“発火”する。
11区の境界。錆びついた装甲ワゴンの後部ハッチが開いた。ミトン状の「絶縁拘束具」を乱暴に剥ぎ取られる。執行官が、端末を一瞥した。
「識別番号:11区適合個体――」
一瞬だけ、間があった。
「…イレブン」
その一言とともに、僕は11区の灰白色の空の下に乱暴に突き飛ばされた。
「…っ」
——死刑よりマシなはずだった。
そう思った自分を、今すぐ殴り殺したかった。
剥き出しになった爪が11区の空気に触れた瞬間、鋭い痛みが走り、青白い火花が散る。脳の奥に錆びたフォークを突き立てられたような不快感が走った。
11区の空気は、触れれば“バグる”。痛い、苦しい、というだけの話じゃない。長く暮らせば、指先が結晶になって砕けたり、視界が白く塗り潰されたり、最悪そのまま存在ごと消える。
そしてこの街は、ひとつの装置によってかろうじて維持されている。
――心臓炉。
僕の役割は単純だった。その炉を“回し続けること”。
それだけで、死刑は延期される。 代わりに僕は、この街の“神”と呼ばれる。
皮肉な話だ。僕の首には監視用の頸環。 神というより、延命装置の管理人だ。執行官が冷淡に言い放つ。
「せいぜい頑張れ。『神様』死ぬまで、その汚い爪で炉を回し続けろ」
背後でドアが閉まる音。執行官は、振り返りもしなかった。
見上げた11区の空は、死人の眼球のように白く濁っていた。ここには、僕を焼こうとする太陽と、僕を喰らおうとするノイズしかない。
「…神様にしては、最悪な初仕事だな」
古ぼけた11区の炉心管理庁舎、その炉心室で、僕はため息をついて前任者だった『ゴミ』の指をレバーから剥がした。
思い出すのは管理局の冷酷な尋問室。僕は「死刑か、11区の契約者か」の二択を迫られた。
…たかが、管理局の裏帳簿を覗いただけだ。その代償がこれか。
管理局に対する怒りが今さらのように腹を焼く。
(見られて困るものなら、見えるところに置くな)
あの時、「見るな」と書かれた厳重な箱が「お前には無理だろう?」と誘っていたのだ。僕はその誘惑に負けた。
コンソールに叩きつけるように「爪」を立て、リンクを繋ぐ。バチリ、と青白い火花が散り、鋭い痛みが走った。ログが滝のように流れる。
──炉心出力:低下
――燃焼反応∶不安定
──維持限界まで残り……
剥き出しの神経に、濁流のようにノイズを流し込まれる衝撃。欠けた爪の先から、焼けるような廃霊の熱が脳まで逆流してくる。
「…っ、この、クソ前任者が…残したゴミが…!」
コンソールに表示されるエラーログは、三十年分のバグで塗り潰されていた。
僕は歯を食いしばり、指先に意識を集中させる。整った「コード」を組む余力なんてない。僕ができるのは、穴だらけのシステムに、さらに歪なパッチを叩き込むことだけだ。
指先から、青白く濁った結晶が溢れ出す。それは角の欠けた多角柱や、不揃いに突起の出たブロックとなって、システムの隙間へ無理やりねじ込まれていく。
『警告:未知のプロトコルが介入。論理構造の崩壊を確認』
アラートが赤く点滅するが、構わず爪を深く突き立てた。
継ぎ接ぎだらけの僕のコードが、炉の深部――眠っていた巨大な「質量」に触れる。
「動け…! 動かないと、僕も、あんたも…ただの廃霊だ!」
絶叫と共に、指先の結晶がパズルのように噛み合った。
瞬間、炉心室の空気が爆ぜた。重い低音が建物を震わせ、止まっていた「心臓」が、不整脈を打つように激しく、そして泥臭く動き出す。
見上げた天井の隙間から、白濁した空に数朶の「灰色の雲」が混ざり始めた。
それは安寧ではなく、僕の命を削って維持される、終わりのない「デバッグ」の始まりだった。
「…はぁ」
深く息を吐き、背もたれに体重を預ける。軋んだ音が、やけに大きく響いた。死ぬまで僕はここの「神」から、降りられそうにもない。
…もっとも。
このまま、ただの『部品』で終わるつもりはないが。
『…ふわぁ。おい、イレブン。聞こえるか。そっちの数値、また跳ねてないか?』
耳元の通信機から、すっかり聞き慣れた管理官レジーの緊張感のない欠伸混じりの声が漏れる。11区から離れた防壁の向こう側、その安全な監視室でコーヒーでも飲んでいるのだろう。
「…数値なら、とっくにレッドゾーンですよ。ここの炉は叩き起こし続けないと、11区はホワイトアウトする」
『あー、そうだったな。適当にやっとけよ。報告書書くの面倒だから、死ぬ時はアラート鳴らしてからにしてくれよな』
通信が切れる。
僕は窓の外――11区の夜の街並みを眺めた。
錆びついた高層ビルの中や、崩れかけた大橋の下。そこから、這い出すように橙の灯の群れがぞろぞろと現れる。
太陽光が降り注ぐ「昼」は、死の時間帯だ。差し込む一筋の太陽光だけで廃霊が『発火』し、触れた物を侵食していく。人々は少しでも「影」に潜もうと身を縮める。あるいは、こうして夜を待って追われるように動き出す。
「…あいつら、僕が炉を回すのを待ってるのか」
見上げた11区の夜空は、夜闇にも関わらず相変わらず白っぽく頭上を覆っていた。
11区の昼。防護窓の亀裂から差し込む陽光が廃霊を『発火』させた。パキリ、と音を立てて窓枠が結晶化し、白い塵になってひび割れていく。
「…」
パラパラと機材に降り積もったそれに、僕はため息をついた。ここでうたた寝でもしようものなら、起きたときには体の一部が消えているに違いない。
心臓炉が燃焼する過程で発生する副産物。
「廃霊」。
単体では、ただの微細なノイズに過ぎない。だが、太陽光に晒された瞬間―
それは「毒」へと変質する。
あらゆる物質を蝕むこの世界の根源的な毒。
―そして。
すでに11区の心臓炉は、限界を迎えつつある。出力低下に伴い、太陽から街を守るために炉が吐き出す「黒い雲」は薄れ、頼りない灰色へと変わり始めていた。このまま太陽光が地表に満ちれば溜まり続けた廃霊ガスが一斉に“発火”する。結果は一つだ。
11区は、内側から焼き尽くされる。
『…おーい。おい、イレブン。なんかまたアラート鳴ってないか?』
通信機から、気の抜けた声が割り込んできた。
レジーだ。
「あー、大丈夫ですよ。ただの計器の結露です」
僕は視線を外さず、軽く応じる。
「レジーさんの端末、また熱持ってるんじゃないですか?こっちから冷却パッチ送っておきますよ」
『お、助かる。お前のパッチ、公式のより動画の読み込み速いんだよな』
一拍おいて、気の抜けた声が続く。
『…適当にやっとけよ。俺はコーヒー淹れてくる』
「起きろよ、このポンコツ心臓が」
僕は欠けた爪をコンソールに走らせ、無理矢理古ぼけた心臓を叩き続ける。なんとか再起動をかけると、心臓炉は弱々しく数朶の灰色の雲を吐き出した。余波で、視界の隅にノイズが走る。隣の12区はすでに心臓炉の老朽化、契約者の発狂死により放棄された。ここ、11区がそうなるのも時間の問題だろう。
エラーログが滝のように流れる画面の一角に、『救難信号』と共に場違いなデータが割り込んだ。
「……なんだ、これ」
デバイスの画面に、ノイズ混じりの画像が展開される。
そこには、僕がよく知る「12区」の管理庁舎が映っていた。…だが、何かがおかしい。
建物の半分が、まるで拭き取られたかのように「白く」透け、その背後から見たこともない「深い青」が、裂け目から溢れ出している。
「空が、割れてる」
おぞましくも抗いがたい、致命的な青空の画像。
「…12区が崩壊しつつある。…でも、その後に残るのは『無』じゃない。この『青』だ」
白い雲一つすらない空。むき出しの太陽光。そこにあるのは「死」だけだ。人という人、物という物を侵食しつくした廃霊が向かう先。それは、僕のいる11区だ。
12区が消えるのは、明日かもしれない。あるいは、数分後か。
僕はもう一度送られてきた画像に目をやった。
30年前に放棄されたはずの12区からの幽霊信号。画像の下には、崩れたフォントで一言だけ添えられていた。
『――OSの再インストールを要求します』




