【1】大天使ルシアン、戦場から帰ったら悪魔がいました〜バレンタインは、恋のチャンス理論から始まる〜
大天使だって、恋をする!?
一月末から、バレンタイン作戦が開始された。
それは――
地獄の王ルチアーノの、初恋成就という名のミッション!
だが、
大天使ルシアンの恋の相手は、
大天使ガブリエル――アンジュ――。
大天使思考が止まらない!!
果たして、"真面目が過ぎる"ルシアンは、
アンジュに“贈り物”を渡せるのか……!?
一緒に、
ハッピーバレンタインを探しに行きませんか?
一月末のヴェネツィア――
冬の霧が運河を覆い、
石畳には冷たい湿気が滲んでいる。
観光客の姿もまばらな水の都は、
まるで眠っているかのように、静まり返っていた。
大天使ルシアンは、
聖なる務めの激務の末にボロボロになったスーツを着替えるため、
“器”となっている人間のクローゼットが残された、
古い屋敷を訪れていた。
この屋敷は、
すでに百年近く、無人のままだ。
分厚い扉の向こうには、
埃の匂いと、止まったままの時間だけが漂っている。
軋む床を踏みしめながら進み、
ルシアンがクローゼットの前に立った、その瞬間――
「ルーシアン♪」
場違いなほど能天気な声が、
静寂を切り裂いた。
振り返るまでもない。
地獄の王、ルチアーノだ。
なぜか一方的にルシアンを親友――“ズッ友”――だと信じ込み、
今日も今日とて、当然のように突然現れる。
距離も遠慮も、存在しない。
ルシアンは淡々と、扉に手をかけながら、低く問いかけた。
「……何だ?」
すると、次の瞬間――
待っていましたとばかりに、ルチアーノが叫び出す。
「何だ、だとう!?
この数週間……
お前を追うまじないを掛けた水晶玉が、全然機能しなくて……!
52個も作り直したんだぞ!? 52個!!
それでも全然直らないし……!
魔力も素材も、全部無駄だし……!
だから〜!
一万ドル払って、イレイナに原因を訊いたんだよ!
そしたら、たった一言だぜ?
『大天使ミカエルの軍勢にいるんでしょ?
映るわけないじゃない』って……!!
……そうなのか!? 本当に!?」
早口でまくし立てながら、
身振り手振りまで加えるルチアーノ。
その熱量とは裏腹に、
ルシアンは、ちらりと視線を向けただけで、
表情ひとつ変えずに答えた。
「ああ、そうだ」
そう――
ルシアンは、この数週間、能天使が下した命令により、
大天使ミカエルが編成した一軍の一員として、
“大いなる竜”との苛烈な戦いに、身を投じ続けていた。
炎と咆哮が渦巻く戦場。
幾度となく死線を越えながらも、
彼は一度も退かなかった。
その間、天界には一度も帰還していない。
先ほどようやく、
大天使ミカエルを筆頭とする軍勢とともに、
神の御前での正式な報告を終えたばかりだった。
張り詰めていた緊張は、
まだ完全には解けていない。
ルシアンは、
クローゼットの一番右端に掛けられたスーツへと手を翳す。
次の瞬間――
淡い光が走り、
傷んでいたスーツは消え去り、
新たなスーツへと、一瞬で切り替わった。
「おー! 流石ズッ友! カッコいい!!
お前はもう、天界のお洒落番長だな!!」
感嘆の声を上げながら、
ルチアーノが大きなクラッカーを鳴らし、
薔薇の花びらを散らす。
そして、
ずいっ、ずずいっと距離を詰めてきた。
「でもさ、
このヴェネツィアに戻って来たってことは……
戦闘はもう終わったんだよな!?
そ・れ・で!!
アンジュちゃんへの、
バレンタインデーのプレゼントのアイデアは?」
戦場の話題から一転、
あまりに唐突な問い。
ルシアンの無表情が、
ほんのわずかに揺れた。
「……バレンタインデーの……プレゼント……?」
淡々とした復唱。
その様子を見て、
ルチアーノは身をくねらせながら叫ぶ。
「もう!
バレンタインデーだよ、バレンタインデー!!
それはな!
聖バレンタインが命がけで作った、恋のチャーンス❤️❤️❤️
年に一度の超・重要イベント!!
俺様が全面プロデュースしてやる!
アンジュちゃんに、最高のプレゼントを渡すんだ!」
胸を張り、指を突き立てる。
「まずは――作戦開始だ!
コードネーム:
《アンジュちゃん好み完全解析ミッション》!!
最優先任務は、偵察!
女の子の好みを知ることから始めるのッ!」
あまりにも堂々たる“作戦宣言”に、
ルシアンは一瞬、言葉を失った。
「……そうなのか?」
至極真面目に問い返す。
その純粋さに、
ルチアーノは満足げにうなずいた。
「そうだ!
今すぐアンジュちゃんのところに行って、
欲しい物がないか、さり気な〜く聞いてこい!
いいな?
これは重要任務だぞ、ズッ友!!」
「――で? 詳しく」
そこは、“KAWAII”がぎっしり詰め込まれた、原宿のカフェ。
パステルカラーの壁。
きらきらと光る装飾。
甘い香りの漂うスイーツ――
まるで、おもちゃ箱をひっくり返したような、
ポップでキュートな空間だった。
そんな店内に、
不釣り合いなほど低く鋭い声が響く。
声の主は、
黒髪のツインテールを揺らすロクシー。
背筋を伸ばし、
鋭い視線で正面を射抜くその姿は、
可愛らしい空間の中で、
ひときわ強い存在感を放っていた。
向かい側では、
漆黒のスーツに、ギラギラの金色アクセサリーをじゃらつかせたルチアーノが、
濃いイタリアン顔を引きつらせながら、
深々と頭を下げている。
「申し訳ございませんッ……!!」
額には、うっすらと汗。
その直後――
ザクッ。
ロクシーが、無言でパンケーキにナイフを突き立てた。
乾いた音が、
妙に大きく響く。
ルチアーノの背筋が、
反射的にピンと伸びた。
「謝って済むなら、ポリスいらないよね?
私を一時間一万ドルで呼び出した理由は何よ?
……もう、だいたい察しは付いてるけど。
早く、話しなよ」
淡々とした口調が、かえって圧になる。
ロクシーはパンケーキを一口運び、
ごくんと飲み込むと、
スマホのタイマーに、ちらりと目をやった。
「時間はどんどん減ってくよ?
私は、それでも別にいいけど?」
沈黙が落ちる。
数秒が、
数分のように重く伸びる。
「は、はい〜……!!」
耐えきれなくなったように、
ルチアーノが情けない声を絞り出し、
ようやく口を開いた。
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