49 奪還②
帝都から南東へ約二百ハーロン。川沿いの土手に二人の竜騎兵がいた。
「見えるか?」
「いえ、雲が低くて」
単遠鏡を覗いていたスタファノスが、諦めたように目を離した。テオドシウスは渋い顔で空を睨んだ。
「この上、雪なんか降ってくれるなよ。陛下がどこにおられるかも分からないんだからな」
無言になる彼らの頭上に何かが急降下してきた。二人が警戒体勢を取る中、目の前に着地したのは一頭のプテロだった。彼らにもおなじみになった生き物だ。
「テオ! ファノ!」
手を振るのは少女だった。
「テス!」
「竜祀院殿、ご無事で」
若い竜騎兵達はより若い竜祀院と再会を果たした。
「セレニウスと合流できて、東の中継地で伝言を受け取って、急いで来たの。煌宮で何があったの?」
ビーチャから降りるテスを手伝いながら、彼らは苦い表情で説明した。
「あっという間だった。翼竜が陛下を掠って逃げ去った」
「プテロが?」
まさかという顔をするテスに、スタファノスが小枝で地面に足跡を描いてみせた。
「あなたのビーチャより大型の種ですよ」
地面の足跡と相棒を見比べ、テスは頷いた。
「タラソ…テラノかも。どっちにしてもずっと南方の種類」
騎士二人は顔を見合わせた。
「やはり、南領か」
「心当たりがあるの?」
「最近、ソフィア様の取り巻きに加わったのは南領候トドリス殿だ。珍しい産物を献上してはご機嫌取りに必死だったな」
テオが辛辣に語った。ファノも劣らない嫌悪感を示した。
「あの御仁なら、見世物に一頭くらい連れてきていてもおかしくない」
「大きな種は捕獲も馴致も難しいって親方が言ってた。運び屋を振り落とすことだってあるって」
二人が拳を握るのに、テスは慌てて付け加えた。
「でも、わざわざ連れてくるなら腕のいい乗り手が付いてるはず。でないと逃げられ損だから」
身も蓋もない理論が、竜騎兵達を苦笑させた。
「そうだな、とにかく捜索開始だ」
「頼みます、竜祀院殿」
運び屋の少女は大きく頷いた。
身じろぎして感じたのは、寝ている場所の堅さだった。アーケイディウスは目を開けた。迂闊に動かず、周囲の状況が分かるまで耳をすませる。
数人の話し声が聞き取れた。宮廷の者にはない訛りがある。
「で、いつまであのガキを預かってればいいんだ?」
「追って指示が来るってさ」
「面倒だな、さっさと始末した方が楽だろ」
「バカ、そんなことしたら礼金が貰えねえだろうが」
「リナの奴、面倒な話持ちかけやがって」
「そういや、ひと月以上前にニロス達がどっかの仕事引き受けて北部の山から帰ってこねえってさ」
「ヘマしでかしたんだろ」
「ひとり二人ならともかく、誰も戻ってこねえんだぞ。どんだけヤバいのに関わったんだよ」
「お代をもらって色街辺りで遊びほうけてるんだろ」
――どうやら、煌宮から拉致されたとみるべきだな。
野卑な笑い声が響く中、少年は頭の中でこの事態を整理した。
――プテロだと思って安易に窓に近づいたのは失敗だった。大型の翼竜は南方産だとバシルが言っていたが。
彼の頭に浮かぶのは、叔母にまとわりついていた南領候の軽薄そうな顔だった。
――こんな大胆な企てができる奴には見えなかったが……利用するとしたら叔母上か。
溜め息をつきたい気分で、少年は夜着に武器の類を仕込まなかったのを後悔した。その時、胸元に引き寄せた手に何か固い感触があった。
――…これは……。
その正体にはすぐに気づいた。革紐に結ばれた赤樫の竜笛。これで自分の場所を翼竜に知らせることが出来れば、近くの運び屋が気づいてくれるかも知れない。
――可能性は低いが、やらないよりはマシだ。
笛をたぐり寄せようとした時、衣擦れの音に近くの男が気づいた。
「お目覚めか、坊ちゃん。まあおとなしくしとけよ。おめえの親がちゃんと金さえ払えば返してやっからよ」
――余の素性を知らされてないのか。
冷たい岩の上に座り込み、少年は怯えてうずくまるように見せかけた。口元を覆う手の内側には赤い竜笛があった。
地図を広げ、誘拐に関わった翼竜の目撃があった場所にテスは印を付けた。
「帝都の南東へ飛んで、この山の麓の町で見かけたのが最後…」
地図と周囲を見比べ、運び屋の少女は考えた。
――逃げるなら、人のいないとこを最短距離で飛ぶはず。こんなにはっきり線で結べるくらい姿を見せたなら、まっすぐ南東って空路はまずない。
その意見を話してみると、テオドシウスとスタファノスも同意した。
「まだ薄暗い時間帯にこれだけ目撃証言があること自体、胡散臭いぜ」
「南東に捜索隊を集中させる策と見た方がいいでしょう」
翼竜の絵を書いた聞き込み用の紙はファノの直筆だった。テスは端的に特徴を捉えた絵に感心した。裏側にはセレニウスの図まである。彼女は竜騎兵に頼んだ。
「これ貰える? 東方に行ったら役に立ちそう」
「構いませんが」
竜の絵を上着の中に収めると、テスは寒々しい曇り空を見上げた。
「南方の翼竜にこの気候は厳しいはず。暖をとる休憩が一定距離ごとに必要だから……」
それが可能な無人の休息地を彼女は地図から拾い上げた。
――セレニウス、この上空で大型の翼竜が飛んでないか見張ってて。
『分かった。気をつけろよ、お嬢』
テオがビーチャに乗るテスに手を貸してやり、ファノが竜騎兵の旗と小さな袋を差し出した。
「何かあったら、これを放してください。旗は陸上の捜索隊への合図に」
袋の中から首だけを出しているのは鳥だった。
「緊急用の風ツバメね。この子の名前は?」
「キュラ」
「よろしく、キュラ。狭いけどおとなしくしててね」
鞍に旗と袋を取り付け、テスは相棒に合図した。
「行くよ、ビーチャ!」
翼を広げたプテロは地を蹴り、軽々と空に舞い上がった。
手を振る竜騎兵二人が小さくなり、プテロは山岳地帯に向けて旋回した。
――まず、最初の休憩地。
この時期に他の運び屋が使わない場所を選ぶはずだとテスは見当を付けた。
――あの三ツ峯の下にある洞窟。
彼女の頭には、テオたちに確認したことがあった。
――赤樫の竜笛は、陛下の部屋に残ってなかった。あれを身につけてるなら、あの子なら……。
彼女たちの前に三つの尖った山頂が見えてきた。テスは用心深く螺旋を描くようにビーチャを降下させた。順調に滑空していたプテロが、微妙な反応を見せた。
「ビーチャ? どうしたの?」
テスは相棒の様子から戸惑いを察した。何か別の合図を受けたような。
「……もしかして、竜笛の合図?」
少女は休息所へと翼竜を急がせた。降下体制に入る直前、皮膜の翼がそれを阻止した。
「翼竜!?」
現れたのは、ビーチャより二回りも大きな翼だった。プテロではあり得ない大きさだ。
「テラノ…」
南方の翼竜だ。そう感じると同時にテスはビーチャを進路変更させた。
「逃げて!」
プテロは懸命に羽ばたき、急上昇しようとする。しかし、テラノは一動作でその上を取った。焦るあまり、テスは回復ギリギリの傾斜で翼竜を急旋回させようとした。必死で従っていたビーチャがバランスを崩し、鞍からずり落ちたテスの革具が外れた。
少女は背中から落下し、地面に倒れた。
「…いたたた」
幸い、着地寸前で高度がなかったため、背骨を痛めるような激痛はなかった。土の上だったことも幸運だった。それでも、テスは驚いた相棒が駆けつけようとするのを竜笛で止めさせた。
最優先でその場を離れる命令、逃散の音を聞いたプテロは飛び去った。その鞍から小さな影が高速で飛んでいくのを、テスは安堵感とともに見送った。
――キュラはテオ達のとこに行ってくれる。まっすぐ飛んでここの方角を教えてくれたら…。
やっとの思いで上体を起こすと、すぐ側につむじ風が起こった。思わず顔を覆い、風がやむのを待つ。静けさを取り戻した休憩地にテラノが降り立った。その背中から数人の男達が降りてくるのが見えた。




