48 奪還①
事件はテスが中継所を訪れた時から約半日を遡る。
帝都オウレンシア。煌宮の中でも最上位に位置する本宮。
その広々とした寝室で、次期皇帝アーケイディウスは就寝の準備を侍女達にさせていた。
ベニゼロス城脱出から仮眠をとっただけでプテロに乗りっぱなしと言う経験は、彼の十三年の人生で初めてだった。叔母の本宮入城を際どいところで阻止できたし、重臣達に存在感を示せたのは上々だとディグニスは賞賛してくれた。
一つの山場を終えた少年は、急速に疲労を感じていた。特に翼竜の鞍に座りっぱなしだったため、臀部が傷みを訴えている。あまりに情けないため、誰にも愚痴を言えなかったのだが。
あの生意気な竜祀院に知られでもしたら何を言われるか分かったものではないと、少年は秘匿を固く決意した。
やがて準備が終わり、寝間着に着替えたアーケイディウスはようやく寝台に潜り込むことが出来た。侍女達が下がり、柔らかな寝具で心地よく手足を伸ばすと同時に睡魔が襲ってきた。少年は目を閉じた。
深夜の煌宮は常夜灯がともる中で夜警の衛兵やわずかな宮女達が勤めるのみだった。
燭台の見回りをしていた蝋燭係が、あくびをこらえながら廊下を歩いた。夜は冷え込みが厳しくなり、肩掛けに首を埋めるようにして彼女は次の燭台を点検した。
同じようなお仕着せの宮女とすれ違った。挨拶もしないのに腹を立てた蝋燭係はいきなり立ち止まり、振り向いた。あり得ない者とすれ違ったと悟ったためだ。
「…まさか、モナ?」
宮女がちらりと振り向いた。それはひと月ばかり前に起きた火事で焼け死んだはずの顔だった。蝋燭係は点検棒を取り落とし、声にならない悲鳴を上げながら逃げていった。
それに構うことなく、宮女は南宮へと進んだ。裏手の出入口から庭に出て、あるものを待つ。ほどなくそれは訪れた。決意を秘めた険しい表情で、彼女は来訪者に近寄った。
アーケイディウスが眠る部屋は厳重な警備が敷かれ、扉の前の回廊は数人の衛兵が警戒していた。南宮の外も例外ではなく、ランプを手に異常はないかと目を光らせている。一人が不意に流れてきた風に不審そうに周囲を見渡した。何の気配もないのに持ち場に戻ろうとした時、上空から落下した石が彼を直撃した。衛兵は言葉も亡く倒れ込んだ。
寝室に小さな音が響く。安眠を妨げられた少年は小さく身じろいだ。彼には聞き覚えのある音だ。
「……また余の寝所に乱入する気か…」
寝言めいた呟きと共に寝返りを打ったアーケイディウスは次の瞬間跳ね起きた。長い年月培ってきた危険への本能が警戒させた。窓の外には何者かの影がある。小さな音は窓ガラスを叩くものだった。
「…殿下」
小声で呼ぶのは女性だった。
「殿下、運び屋が至急の報をお届けしたいと」
控えの間の護衛が異変を告げる気配はなかった。アーケイディウスは窓に向かった。
「どこの竜舎の者だ?」
ガラス越しの影は確かに翼竜だ。しかし、少年は違和感を覚えた。手にした眼鏡をかけてよく見ると、テスやイオシフらが使っていた翼竜よりふた周りほど大きく、頭部に長い突起がある。彼は後ずさった。
「何者だ!?」
彼が叫ぶと同時に窓が砕けた。伸びてきた腕が少年を捉え、口を布で塞ぐ。もがいていた彼がぐったりとなると、大型の翼竜の乗り手が次期皇帝を鞍に引き上げ、後ろに乗った宮女と共に飛び立たせた。
「陛下!!」
衛兵が駆け込んできたのはその直後だった。
煌宮は非常事態を告げ、赤大理石の壮大な宮殿は深夜に次々と灯りをともしていった。
『誘拐? あの坊主がか?』
テスから電文の内容を聞かされて、さすがの月の竜も驚きを隠せなかった。
『大胆なことをしやがるな。内通者がいなけりゃ不可能だろうが』
東の国境へと向かっていた彼らは、急遽煌宮へと引き返した。昼夜を問わず高高度を飛行できる竜は、少女とプテロを乗せても速度に何の影響もなかった。
――大騒ぎになってるだろうな。
当然ながら、自分が竜学舎を脱走した時の比などではないとテスは想像した。国境が脅かされる非常事態だというのに煌宮の主となる者がいないのだ。
――戴冠前だし、国を動かすのは宰相様達なんだろうけど。
不安を打ち消すようにしていると、竜がからかうように言った。
『坊主のことが心配か?』
――あの態度で誘拐した連中を本気で怒らせてるかもね。
テスは雲間から見える地形から目を離さなかった。伝文の合流地点まであと少しだ。
運び屋の少女の懸念どおり、煌宮の動揺は大きかった。
「このような不祥事、前代未聞だぞ! 皇太子殿下の誘拐など」
「衛兵は何をしていたのだ!?」
「内部から手引きをした者がいるはずだぞ!」
夜も明けぬうちから、天球の間では怒号が飛び交う有様だった。多少なりとも冷静さを留めていた宰相エウゲンが、彼らを落ち着かせた。
「我々が騒いでどうなる。まずは殿下の不在を極秘として箝口令を敷くことだ」
「長くは誤魔化せぬぞ」
国務卿が頭が痛そうな顔で言った。動揺が広がる中、別の見解を示す者もいた。
「しかし、本当に誘拐なのか?」
「どういう意味だ?」
詰め寄られた南方の第二軍団長が答えた。
「殿下は翼竜で帰還された。いつの間にか運び屋の技能を身に付けられたようだが、それならばここから逃げることも簡単なのでは?」
「陛下が国を見捨てたとでも?」
静かな怒りを込めた声は老将軍ディグニスだった。第二軍団長は首を振った。
「こういう噂も広まるし防げないと言うことだ」
「窓の外に残っていた翼竜の足跡は、竜祀院殿のプテロより大きい種類のものだった。おそらく南方で使役されるものだ」
重臣達は南方という言葉に反応した。
「南領候トドリス殿は、まだ水上離宮にご滞在なのか?」
「確認したが、昨日のうちに南領に戻られたらしい。かなり大急ぎで」
様々な疑惑が天球の間に渦巻いた。やがて宰相が口を開いた。
「殿下がご不在であっても、基本方針に変更はない。まずは東方国境の安定が急務だ」
「第三軍は国境へ進軍している。陛下の捜索は我々が行う」
ディグニスの言葉と共に、緊急会議は終了した。




