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ちょうど事情聴取の時間だったので、そこで私は話を聞くことにした。もし、それが正しければ、おそらく塩太郎さんを枯らした犯苗はあの苗だってわかる。少なくとも、それに関わり合いがあることは。
そこで、事情聴取を終えた賀茂くんと出くわした。
さっき、大和丸さんから事情は聞いた。仕方ないことだし、それを口出す権利は私にはない。
だけど、それを素直に謝ることができる勇気はなかった。
気まずそうに花びらを閉じてその場でやり過ごそうとする私。
そして、そんな私に対してなにか言いたいけど言えない花をした賀茂くん。
だめだ、ここであと一歩踏み出さなくちゃ。
その一歩が踏み出せなかった。
だけど――。
ぽすんと私の葉になにかが当たった。地面にころころと固形肥料が転がっている。
これは……。
少し離れたところで大和丸さんが肥料を土に埋めていた。
何食わぬ花で、葉をそよそよさせている。
大和丸さんのちくりとしたとげが、私の茎を後押ししてくれた。
「か、賀茂くん!」
「魚沼さん……」
ここで素直に謝ればいい。
でも、難易度が高すぎる。まるで全部の実、A級ねらえって言っているようなもんだ。
Bクラスの私には難しすぎる。
「えっ、ええっと。そう、手伝ってもらいたいの!」
ああ、もう私ったら。でも、これも大切なことだ。
「賀茂くん、お願いします」
違う形で花を下げた。
ふっと、賀茂くんの花が柔らかく揺れた。
「うん、何をすればいい?」
それだけ言ってくれるだけで、私は二酸化炭素濃度三倍の温室に入った気分になった。
壁の向こうでは、大和丸さんが小さく葉っぱをひらひらさせていた。ありがとうとがくを下げたが、ふと、その花の色が気になった。
大和丸さんの花の色は妙に寂しげに見えた。
「一体何なのよ、こんなところにまた呼び出してさ。昨日の事情聴取で終りでしょ」
苛立たしげに植木鉢を叩くのは、小桃さんだった。
小桃さんだけじゃない、他のポモドーロ生徒と大和丸さんと賀茂くんと私、そしてせり人のおじさんがいる。
温室の熱気は、そのせいかいつもより高い気がした。
「そうだろ。普通に事故なんだろ? そういう方向だったじゃないか」
美湖さんが言った。
「そうねえ、そういう流れのはずでしょ」
「だよなあ、寂しいけどさ」
古親さんも四肢里さんも同意する。
「そういうわけにもいかない証拠が出てきたんだよ」
おじさんが、そっと赤い実が乗った皿を持ってくる。全部で十枚ある。二枚ずつ同じ種類の実が置いてある。
おじさんはその赤い実を一つ手にすると、機械に当てた。そして、数値を前もって用意していたホワイトボードに書いていく。
「それって」
「そうだよ、あの日。君たちが出荷しに持ってきたものだ」
もし、出荷されていたら、困った。でも、殺苗現場にあったものとして、まだ保管されていた。せっかく高級な実だけど、数日たてば少し葉のとげが弱くなる。それでもルビーのような輝かしい実が並んでいる。
おじさんが簡単に表にする中で、同じ実は上下に数字を書かれている。
そうだ、おじさんは糖度計で実の糖度を測っている。同じ実を測っているはずなのに、上と下の数値にはばらつきがある。上の数字のほうが、糖度が高い。
「!?」
そのことに気が付いて、実の色をかえる苗がいた。
そうだ、私はあの日、ポモドーロの生徒たちとすれ違ったとき、気が付いた。一苗だけ結露が付いた実をつけた生徒がいたことに。
そして、そのとき踏みつけられた、おじいちゃんとおばあちゃんのシール。あれには泥がついてなかなかとれなかった。
おかしかった。
ポモドーロ学園から審査室に至るまで、泥がつくような道はなかったはずだ。少なくとも、ここ数日晴れていて、ぬかるんだ地面には触れないはずだった。根毛にぬかるんだ泥がつくような場所はないはずなのに。
だけど、雨が降ってなくても地面が濡れている場所は学園内にいくつかある。そして、ポモドーロ側でその日、そんなぬかるんだ地面の場所は一か所しかなかった。
冷蔵室の前だ。
出荷する前のものを一時的に保管する大きなものだ。
もし、あのとき実に結露をつけていた生徒が冷蔵室に長時間いたのであれば説明がつく。他の実は綺麗に拭いたようだけど、ひとつだけ拭き残しがあったと。
そして、今おじさんが持っている糖度計には使用に注意事項がある。
温度によって、測定される糖度が変わるため、室温で数時間置いたものを測定する際に使うのだ。
表面と中の温度が違うことで、糖度に誤差がでる。
そして、表面が温く、中が冷たいと本来の糖度より数値が高く出る。それが上下の表の数値の違いだ。
上の数字は冷蔵庫に入れて冷やして外にだしたもの。下の数字はずっと常温に放置していたもの。
そこで、おじさんが書類を取り出す。
そこには、あの日、出荷した実の記録が残っていた。
「探偵役は自分の役割ではないんでね」
おじさんは、私にその書類を渡した。
別に気を使わなくていいのに、と私は思いながら一歩前に出る。
「こ、この数字とボードの数字を比べてください」
私はしどろもどろに酸素を吐きだしながら、書類の糖度が書いてある部分を指した。
記録したその日、おじさんは途中でいなくなった。その場合、糖度は第三者立ち合いの元、行われるという。そして、記録苗を見るとそこには大和丸さんのサインがあった。
「私がみなさんのものを測定しました」
オベルジーヌの生徒なら第三者として認められる。書類の字も大和丸さんの筆跡で間違いない。
そして、その数値を見比べるとおかしなところが一つあった。
「古親、お前、数字が」
四肢里さんが言った。
見ればわかるだろう。古親さんの数値は上の段に一致していた。糖度10.1、と書かれてある。
そして、下の段の数値はそれよりも低い。
「おい、これじゃあ、お前のブランド変わっちまうじゃねえか」
「……」
例え品種がよくても、ある規定を満たさない限り、その実はブランドの冠をのせることはできない。
そして、ポモドーロ生徒であれば、その要素に大きく糖度が関係する。
「これじゃあ、十度じゃねえ、八度になる」
糖度八度の実と十度の実。たとえ、糖度が9.9あったとしても十度を満たしていないなら、八度と同じ扱いになる。それは、如実に値段という差異で現れる。
「あははは、何かの間違いでしょ。何言ってるの?」
古親が渇いた笑いをあげた。
「だって、測定って誤差でるものじゃない。今回はたまたまその実が基準満たしてなかったけど、他の実なら大丈夫よ。それに何かあったとすれば、そこのオベルジーヌの生徒がはめた可能性もあるわよね」
「なら、今、ここでその実を収穫して測定しろよ」
全茎に突き刺さるようなとげのある声だった。
一瞬、誰が言ったかわからなかった。
皆、視線が声の主に集まる。
大和丸さんが葉を震わせていた。その右葉には、なにか袋を持っている。
到底優等生とも思えなかった。
ただ、大和丸さんがそれだけ怒っていることだけわかった。表皮についたとげを立てて、震えている。
「あのとき、測定したとき、貴方の実だけじんわりひんやりしていたの。もしかして、審査員が外出することを知っていて、何も知らない部外者がいることを確認してこちらに来たんじゃない?」
薄紫の花を妖艶に揺らしながら、大和丸さんが言った。
「ほんと、私はなにも知らなかったわ、本当に。オベルジーヌの生徒には糖度計なんて必要ないから」
だけどね、と付け加える。
「私だって疑問くらいもつわ。それを、ちょっと興味本位で詳しい苗に聞いたりとか。たとえば、そちらのクラスにいるかたとか」
それが誰を示しているのか、今、理解できた。
そして、私はとんでもない地雷を引き当ててしまったのではないかと痛感する。
大和丸さんは左葉に紙袋を持ち、右葉に歪な実を撫でていた。
ずっと大事にしている歪な実。それはほのかに赤いような気がしてならない。オベルジーヌの生徒と、ポモドーロの生徒、元は近い種だ。
大和丸さんは言っていた。大和丸さんと賀茂くんとの交配は失敗に終わったけど、それによって得られるものはあったと。賀茂くんが農業試験場へと目指すようになったのと同じように、大和丸さんもなにかを目指していたのではなかろうか。
それは……。
「やっぱり、駄目か。種の壁は厚いな」
そっと撫でる赤みがかった実。
それは自家受粉でできたにしては、とても歪だった。
例え、同じ種でもあんなに歪になるだろうか。
「言わなきゃよかった。こんなことになるくらいなら」
大和丸さんが、一歩、根を前にすすめる。
「ひぃ」
古親さんが一歩下がる。
「本当、好奇心は猫をも殺すね」
もう一歩前に、古親さんが進む。その葉にぎゅっと袋を握りしめながら。
「あんなこと言わなかったら、あの苗は、きっと今も地面に根を張っていたでしょうに。新しい家柄にどんどん追い抜かれても、自分の誇りを守って生きていたでしょうに」
皆、誰も言わずとわかった。
誰が、塩太郎さんを殺したのか。動機はわかっていたけど、こういう経緯でなったものとは想像がつかなかった。
塩太郎さんと古親さんは種をこえた仲だった。互いに夢を持ち、その上で新しい種を作ろうとした同志だった。
そんな同志である塩太郎さんは、同胞の偽装が許せなかった。だから、それを問い詰めようと、古親さんを呼び出したのだろう。
八度と十度、それだけブランドとしての価値は違う。
昨今、偽装に対する世間の目は厳しい。
ばれたらどうなるのか、それがどんな些細なことであっても、根掘り葉掘りマスコミが騒ぎ立てて潰していくと聞いたことがある。
「塩太郎さんは貴方のことを心配していたのに」
大和丸さんの緩慢な動きが止まった。止まったと思ったら、後ずさる古親さんとの間合いを一気に詰めた。まるで、筍の成長のような早さだった。
「あんたなんてこうよ!」
大和丸さんが葉を振り上げた。
「きゃっ!」
まだ青みが残った古親さんの実に傷痕が走る。
大和丸さんの葉についたとげが汁を垂らしていた。
「塩太郎さんを返して!」
「ご、ごめんなさい」
「謝罪はいらない、返して!」
大和丸さんが何度も葉を叩きつける。形のよい実は見るかげもなく、傷つけられていく。
「おい、おまえ!」
美湖さんが、割って入ろうとしたが、振り払われる。
「近づかないで」
大和丸さんが持っていた袋を見せつけた。その中にはもう一枚、密閉したビニール袋があって、その中に煙草が入っていた。
「これをばらまくわ」
袋の中には煙草が入っていた。
煙草、それは私たちにとって恐ろしいものだ。タバコモザイクウイルス、聞いたことがあるだろう。近縁種にもうつるということで、私たちは警戒してしまう。
あれにかかると、葉がちりちりになってしまい、実が歪になる。
「さあ、皆、あっちへ行きなさい!」
ひるむ私たちの中で、せり人のおじさんだけは前に進んでいく。そうだ、おじさんはモザイクウイルスなんてきかない。
「やめなさい。それは簡単にうつるものではないよ」
「や、やめないわ!」
大和丸さんがなおも、古親さんを羽交い絞めにしている。
「塩太郎はそれを望んでいない」
「私は望んでいる!」
うそだ、と私は思った。
なんでそれなら、もっと古親さんを枯らすようなものを用意しなかったのだろう。除草剤をばらまいた方がずっと早いはずだ。
本当に大和丸さんが望むものはそんなものではないはずだ。
大和丸さんが本当に望むものは――。
まだ、大切に抱えている歪な実がある。
「大和丸さん! そんなことしないで!」
私は、一歩前に出る。
「貴方には関係ないわ、早く出て行きなさい」
「出て行かない!」
いつものおどおどした私とは少し違う。さっき大和丸さんがくれた勇気がまだ残っているのかもしれない、そのお返しを今すべき時だ。
「大和丸さんが本当にしたいことは、そんなことじゃない! その葉に持っている実はなんなの? 間引きもしないで、ずっと大切にとっておいて! それが大事じゃないっていうの!」
あの歪な実はまともに育つことはないと思う。でも、それは可能性が低い、商品価値がないそれだけだ。育たないと決めつけてはいけない。
「その実には、たくさん種が詰っている。それもすべて、否定するっていうの?」
根ががくがく揺れる、気孔から激しく酸素が出て、水滴が溜まる。それが茎を伝って流れ落ちる。
地面に水のしみ後を残す。
「塩太郎さんの遺伝子を残さなくていいの!?」
「塩太郎……」
ぱさっとビニール袋が落ちた。
大和丸さんはゆっくり主根をつき、うなだれた。
古親さんは、気孔という気孔から水滴を垂らしながら、逃げ出す。しかし、そんな古親さんを受け止めてくれる苗はいない。
古親さんはやってはいけないことをやってしまったのだ。
今後、古親さんはその罪をあがなわなくてはいけないだろう。
それは、私には関係ない話で、気にかけるほど感情移入はできなかった。
「魚沼さん」
そっとうしろから声をかけられた。
そこには、賀茂くんが立っていた。
賀茂くんに言われて、温室の裏側にやってきたのはいいけど、やはりまだ気まずい。
賀茂くんには、糖度計の仕組みを調べてもらったり、ポモドーロ学園の見取り図を用意してもらった。おそらく、目的があったから、ちゃんと話せたんだと思う。
だから、今の状況は気まずかった。
「魚沼さん、僕と大和丸とのことは聞いたようだね」
「う、うん。わかってる。仕方ないよね。大変だもの、家柄背負っていくのってさ」
空元気で答えて、なんとか花を上向ける。
そうだ、賀茂くんは何も悪くない。それなのに、勝手に嫉妬して、怒っていた私が恥ずかしいだけなんだ。
そう、そうなんだよ……。
あれ、おかしい。
雨かな?
地面に水滴が落ちている。
いやだなあ、替えの植木鉢、外に干したままなのに。
「別に僕は家柄なんてどうでもいい!」
荒々しい声がしたと思うと、がちゃんと音がした。
賀茂くんを見ると、植木鉢を脱ぎ去っていた。
えっ、賀茂くんの植木鉢は私のとは違う、すごくいい有田焼のなんたらじゃなかったっけ。そんあ音立てて割れたりしたら――。
いやそんなことより!
ぜ、ぜ、ぜ……。
全裸だ!
きゃっきゃっきゃっ。
花を俯かせ、葉で隠す。けれどちらちらと見える根毛びっしりの根に、まっすぐな茎、そしてバランスよく伸びた枝に、濃い色をした葉と実。
ああ、なんて綺麗なの、いやだ、そんなんじゃなくて、ほら、なんかいうことあるはずだ。
「賀茂く、くん! 早く。鉢をつけて!」
「嫌だ」
ふわっと私の全茎を柔らかく葉が包む。
心地よい酸素が茎のとげをくすぐり、葉が私の花びらを撫でる。
「あんな鉢はいらない。賀茂の印をつけない、僕を見てもらいたい」
「賀茂く……」
ぎゅっとさらに締め付けられる。
すこしとげがいたい。
「賀茂じゃない、下の名前を読んでくれないか。絹子」
「か……」
どくどくんと維管束がフル稼働する。
私は、大きく酸素を吐いて、落ち着こうとするけど、そんなの無理だってくらい密着している。花びらと花びらがくっついている。
「……一条くん」
賀茂一条くん、それが賀茂くんのフルネームだ。
賀茂くんがさらにぎゅっと握りしめる。
「確かに僕は、一度、家の都合で交配した。だけど、もうそんな真似はしない、いや、できないよ」
賀茂くんの葉が私の花びらに触れる、そして、すっとめくった。
とても恥ずかしいことなのに、おかしいな。それを素直に受け止めている。
「前に、君を農業試験場へ誘ったろ?」
私はこくんと頷く。
「本当は、それも言い訳なのかもしれない。ただ、僕は、憧れてやまない遺伝子を手に入れたいのかもしれない」
何がうらやましいの、と聞きたいけど聞けない。ただ、真摯に見つめる花から目をそらせない。
「君の遺伝子が欲しい。僕は君との実をつけたい、そして、君に僕の実をつけてほしい」
それってあれだよね、本当に、本当なの?
花びらをもう一枚めくられる。
恥ずかしい姿を私は見せているのに、抗えず、賀茂くんも自分の花びらをめくる。
「一緒になろう」
私の植木鉢に賀茂くんが入ってくる。私はそれを素直に受け止めた。一つの植木鉢に二つの苗は小さく狭い。でも嫌じゃなかった。
ゆっくりと賀茂くんの花が近づいて、そして――。
私はやっと賀茂くんの気持ちがわかった気がした。
晴れ渡る空、私はいつも通り、小さな種たちを育苗箱に入れる。
どれもどんな姿になるのかわからない未知の子どもたちだ。
私はそっと土をかぶせて、育つのを待つ。
この中でいい子たちが生まれたら、実家のおじいちゃんとおばあちゃんがしっかり育ててくれるはずだ。
それがいつになるかわからないけど。
「一条くーん、終わったよー、お昼にしようか?」
「ああ」
私はそう言って、温室の棚から、固形肥料と如雨露を取り出すのだった。