私とは
物書きとは一体、何者でしょうか。
私は、いま考えるに、考えてみて
そう思います。
小説とは、書いてみても
昨日、母に見られたとき、聞いたところ
母は、「これは詩ですね」と言われました。
行き場のない、どうしようもない哀しみや
どうしようもない、怒りや、苦しみも渦巻いてきました。
ショックとは一言では、いえません。
どんなに頑張っても、認められない痛みを
また、このこころに感じました。
「書く力は、読む力」という本があります。
鈴木信一さんという方の本です。
私が、好きでどうしようもない
この本を好きなったキッカケは、たくさんあるのですが。
私がいっとう好きなのは、つぎの文字です。
ー書きたいことを書くのではなく、書くべきことをかく。
私は、ここではなく
ナノで、未だ、「夢小説」を書いております。
嫌悪される方もたくさんいると思います。
実は、私も以前はそのような嫌悪がありました。
ですが、よくよく文章を読んでいく内に
その夢小説を書いている方の闇が見えてくるのです。
多くとはいいませんが、
みな、と言って正しいかわかりませんが
みんな、が
多くのひとが、本当に自分を愛して欲しいひとを探しているのです。
自分自身を見て欲しいそんな思いが大きな闇となっているのです。
多くの方は、何をいまさらと思うと同時に
納得するところもたくさんあるとおもいます。
私自身も、いまだ
どこかに、そのこころをもっています。
ですが、現実と夢はギャップを生み出します。
どうしようもない自分自身の現実
途方もない綺麗とはいえない夢
私は、行き場のない悔しさで、
人生に希望や、目標をいまだ、見いだせていません。
ドキュメンタリーの若者にみたない人も
大人になって間もないひとも
たとい、大人と言われても
その多くの人々が哀しみや、行き場のない痛みを
その顔や、瞳に移しておりました。
「孤独」を抱えている人の目でありました。
私は、文字をかく それだけだけじゃなく
もっと、体験しないといけない
努力をしないといけない
ですが、私はあの人生の内で
「自分には、なにもない」という絶望や、失望を知ってしまったときから
自己犠牲型の良い子になるのは、もう疲れました。
誰も構わず、笑顔でいるのも、仮面のように張り付いていました。
努力なんて、きれいな夢を持っているひとが資格を持っているんだ。
私は、卑屈になって、口を閉ざし
人生に生きる希望をなくしておりました。
ですが、自殺の仕方を考えても
誰かに迷惑がかかる道を選べませんでした。
やっぱり、まだ生きたい、
生きていたい。
そんな思いがあふれたのです。
それからでした、景色がきれいに見えるのです。
動物も、植物も、コケもみんな輝いて見えるのです。
ひとが生きる空間が好きになりました。
働けない身の私、子供よりも頭も要領も、動きがおそい私。
憎み、嫉妬して、うらやましがった私が
働いていた人々がいるのを見ると
「なんて、すばらしんだろう」と思えたのです。
あのひとは、動くのがうまいなあって思いながら
尊敬の眼差しを向けることができたのです。
そこで、「あ、今の自分なら好きになれる」と
ほんの少し胸があったまったのです。
空は、なんて広くて綺麗なんでしょう
たとえ、曇って灰色に塗りつぶされても
私は、晴れの日も好きですが
わたしは、てんかんなので
あんまり強いひかりは見てはいけないんです。
だから、雨の音がする日や
しんしんとつもる雪の日も、曇りの日も目に優しくてすきなのです。
夜風も、薄い雲で覆われても
光り輝くオリオン座を見るたびに
わたしは、うれしくなります。
おばあちゃんたちのおかげで
離婚して離ればなれになった母と父と
こうして、一緒に過ごせれる時間が
とても愛おしくてたまりません。
自業自得とはいえ、不登校をして
頭や、要領も、悪い私ではあります
父の怒鳴り声におびえる私ではありますが
その怒鳴り声に怒鳴り声を言い返せる私に
ようやっと、なってきました。
姉たちとは、同じ町の中にいるのに
遠くにいるように感じます、
しかし、以前
抱いていた憎しみは、今はもう
愛しさにかわっていました。
姪っ子はなんて愛おしいのでしょう
甥っ子もなんて可愛らしいのでしょうか。
あんなに、涙でかすんだ
この世界が私は、なんてこんなにも
狂おしく愛しいのでしょう。
どんな哀しみは、きっと
「孤独」というのは、きっと
自分を見つめ直し、
たとい、どんなに汚れてみえても
みんな、生きる希望は
私たちのなかに、あるのではないでしょうか。
わたしは、憎しみはなにも生まないなんて
そんな良い子の発言は言える立場のものではありません。
けれども、憎しみの中に
私がみたものは、相手を憎んでいるのではなく
無知で、非力な自分を憎んでいたのであります。
わたしは、みなさんの全てを知りません。
ですが、私が考えた結果
憎しみとは、そういうことではないでしょうか。
自分さがしは、父もいまだ
年をとってもしていると聞いたので
私も、自分の出来うる限りの力と頭で
自分をさがしてみます。
それでは、みなさん
今日も、本当にありがとうございました。
来年もどうぞ、よろしくお願いします。




