きっと
まだ少し眠たいですが、
みなさん、おはようございます
そして、きょうもよろしくおねがいします。
タイトルを何回も変えてすいません。
寂しがり屋なもので、誰かにみて貰いたい
そんな一方的な思いがつよすぎるのかもしれませんね。
ですが、
そんな私の書いたものを見て
評価をつけてくれる方がいるのも事実なんです。
いつも、本当にありがとうございます
おかげで、私は自分自身を好きになれました。
感謝します。
さて、みなさん
第一回の「資料」のお話のつづきにいきましょう。
「またか」「どんだけ」だとかは
私自身もそう思います。
今日はですね。
宗教に対してのこと
自分自身の歩んできた道筋の上での体験です。
宗教に対して、本当にいうとよくわからない方もいると思います
大丈夫です、私もほんとうにまだわからないです。
ですが、宗教を持っている人、
どの宗教にもいえることは、「生き方」なんです。
「どのように生きるか」というのを教えてくれるのが
宗教なのです。
また、私自身のよくわからないけれども考えに
考えてみて、思ったことを書き綴ります。
人には、責任がある、それはなぜか?
それは、どうしてあるのか。
わたしなりに、いろんな事を聞いたり
影響を受けた結果、考えてみた結果
ひとには、心があります。
本能を押さえる理性があります。
そして、また
誰もが、意志あるものです。
そして、また考えることができる心もあります。
と、いうことは
本来は、いのちの重さを知っていなくてはならない
責任重大な役割を、誰もがもっているのです。
ですが、逆にいうと
どんな動物よりも残酷な行為をしてしまうのも
また人間なんです。
この矛盾は、いったいなんなのか
それは、私が影響を受けました物語にも
宗教にも言えますし、かいてあります。
人のこころは、ずっと同じところにはありません。
完全なる善人が本当にいるのか
言葉には、よく聞きます。
「魔が差す」というのがあります
逆に、本当の悪人はいるのか。
どんな悪人にも、「仏心」があると
ある仏法にはあります。
そして、善人や悪人でも
共通するのが、「孤独」です
たとい、立派な大人であろうが
家族に囲まれた幸せそうなこどもでも
「孤独」を抱えています。
普通って、いうけれど
それは、みんな価値観が違うから
普通なんて本当は、ないのではないでしょうか。
いろんな方が、本当の自分はどれなのか
わからなくて悩んでいるかと思います。
ご自身をお責めにならないでください。
どれもあなたにはかわりません。
どれもが、あなたなのです。
私自身も悩んでいたときに
そう言ってくれた誰かにこういわれました。
ですから、私も肩の荷が下りまして
また、くよくよ悩みながらも
ゆっくりと、カタツムリのごとく
どこかの亀さんのごとく
前へ、ほんの少し休みながら
また、たんまりのろり、のろりと歩んでいきます。
一緒には、悩めないかとは思います。
あなたの心に、しっかりとよりそえられないことも
たくさんあるかと思います。
でも、同じ空の下にいます
同じ大地では、ないですけれども
大地のうえに、足をつけていたり
動けない方もたくさんいるかと思います
ですが、一緒に生きていきましょう
きょうは、これにて、おしまいです
ありがとうございました。




