第30話 魔王国の影
日曜日。
アルルが朝起きるとドリフィーが朝食を準備し終わって、テーブルの上には昨日の残りのスープと黒パンが乗っていた。
アルルは、眠そうな顔をしていた。魔王国のこと、また襲われるかもしれないこと、指輪を渡してはいけないこと、頭の中でそれらがぐるぐるして一睡もできなかった。
(魔王国が追ってきたら、シュミジャールに逃げないといけないんだろうか。ジャックさんの知り合いのところに……)
先のことを考えると、頭が痛くなった。アルルは椅子を引いて座った。
(先のこと考えてもどうしようもないのかな……)
ドリフィーが向かい側の椅子に座った。アルルの顔を見るとため息をついた。
「おはよう。スープあったかいよ」
「おはよう。うん」
アルルはぼーっとしながら、スープを飲んだ。ピーちゃんは、アルルの肩からテーブルに飛び乗った。皿のリンゴをつついている。
「今日もマリーさんのところに行くのかい?」
「マリーさんの都合ついたら、また教わりたいな」
アルルはパンをちぎるとゆっくりと口に入れた。
「ピーちゃんはどうする?」
「連れてっていいの?」
アルルは、思わず笑った。
「逃げなさそうだし、アルルが連れて行きたいならいいんじゃない?」
ドリフィーは微笑んだ。
「ピーちゃんも行く?」
アルルがピーちゃんに語りかけた。
「ピピ!」
ピーちゃんが行きたそうに羽を羽ばたいた。
食べ終わって、ササリーフエキスの瓶を布に包んでリュックに詰め込む。背負う前にリュックに手を当てた。
(これでいつもより軽いはず)
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「ピピ!」
ピーちゃんは、パタパタと飛びながらアルルについていった。
三十分歩くと、西のシルヴァ山脈の谷から続いている街道に出た。ルーヴェン街は、そこから東に街道を歩くと三十分で着く。
山脈を背にして荷馬車がゆっくり近づいてくる。先頭は、なんとアレンだった。護衛用の胸当てと肩当てを身につけたアレンが周囲を警戒しながら歩いていた。
「あ、アルル」
「何してるの?」
「護衛してるんだ。ルーヴェンまでね」
「そっか」
(そういえば週末は、護衛して働いてると言ってたっけ)
「ササリーフエキスを売りに行くの?」
「うん」
「持とうか? 重そうだよ」
アレンはアルルのリュックに手をかけようとした。だが、アルルは遠慮した。
「軽くする魔法かけてるから。それに……アレンは仕事中でしょ」
「ああ、まあ……」
ピーちゃんがアルルの肩に止まって、アレンの方をじっと見ている。
御者の男が咳払いした。
「あ、ごめん」
アルルは、一歩下がった。アレンはまた歩き始める。その時、目の前に大きい犬のようなものが突っ込んできた。
アレンはすでに盾でそれを押さえていた。素早かった。
御者が「肉の匂いに釣られてきたか」と言った。
アルルは、ハッとして手を動かす。大きい犬のようなものは、固まって動かなくなった。
アレンが喉元を掻き切ると、それは倒れた。血が飛び散る。
「街道狼だ」
御者が低い声で言った。続けて、
「血の匂いを嗅ぎつけて魔物が来る。早く行くぞ」
と言った。
アルルも歩こうとしたが、一瞬足元がふらついた。ピーちゃんが羽をばたつかせた。
「大丈夫?」
アレンが心配そうな顔をした。
「大丈夫。昨日あんまり寝てなくて」
「そうか……」
アルルは、歩きながらアレンの体に手のひらを向けた。するとアレンの血の汚れがだんだんなくなっていった。
アレンは驚いた顔をしたが、「ありがとう」と言った。
アルルは、にこっと笑うと、アレンも微笑んだ。
◇
ルーヴェン街に着くと、アレンがアルルに振り向いて聞いた。
「ササリーフ売った後、そのまま帰るの?」
「ううん。多分、鍛冶屋さん寄るかも」
「そうなんだ……じゃあまた」
アレンは荷馬車と一緒に南に向かっていった。アルルは見送った。
アルルはいつもの市場に向かう。
今日は天気が良くて、暑いくらいだった。
(フード持ってくればよかったな……)
ピーちゃんも口を少し開けていて、暑そうだ。水筒から手のひらに水溜りを作ってピーちゃんに近づけると、おいしそうに水を飲んだ。アルルも水を飲む。
アルルは、日陰を探した。二階建ての建物の影が空いていたので、大きな布を敷き、そこに商品を広げていく。
(あ、マリーさんの分、取っとかないと……)
アルルは二十瓶ほど、布をかけて別に分けた。
いつも買ってくれるおばあちゃん、冒険に出かけるという魔導士、薬師と一緒に働いている回復魔法師、他にもお客さんが来て、午前中に売り切れてしまった。
まだ、フォルジさん夫妻が来なかった。
(どうしたんだろう? 置きに行くか)
とその時、シド・フォルジが、アルルのところへ買いにきた。今日は一人だ。
「遅くなった。悪い……」
シドはお金を払い、アルルからエキスを受け取る。
「珍しいですね」
アルルが声をかけると、シドは暗い顔をした。
「マリーの具合が悪いんだ。今日の午後、神官に来てもらえるよう言ってある」
「マリーさん、そんなに悪いんですか?」
アルルは訪ねていいのか少し気が引けた。でも、自分が役に立てないかと考える。
「熱が高くて、顔色が悪い。昨日からだよ、こんなのは初めてだ」
シドは心配そうに肩を落とした。
「心配ですね……マリーさんの様子、みてもいいですか?」
アルルは何かできないかと、聞いてみた。
「ああ、いいよ」
シドがそう言うと、アルルは急いで、後片付けして支度した。
◇
シドに案内されて鍛冶屋の奥から二階へ上がった。
ピーちゃんはアルルの肩で小さく首を傾げていた。
マリーは、二階の居住スペースの寝室で寝ていた。顔色が悪く、思ったより病状は重そうだった。マリーが気づいて体を起こそうとすると、シドが止めた。
「アルル……ごめんね」
マリーがベッドから、アルルを見た。
「ううん、マリーさん、無理しないで?」
アルルが手をかざすと、マリーの体の上に光が注いだ。だが、病状は変わらなかった。
「ありがとう……でも、回復魔法効かないのよ」
アルルは考えつく魔法をかけてみたが、効果がなかった。
「無詠唱魔法できるのね」
マリーはそう言って少し笑った。シドに目配せしてテーブルに指を差した。
シドが、アルルに表紙が茶色くなった古そうな本を渡す。
「それ、補助魔法の本なの。汚くてごめんなさいね。アルルにあげる」
「えっ? これマリーさんの大事な本じゃ……?」
「もう私は頭に入ってるからいいの。処分しようと思ってたけど捨てるには忍びなかったから」
アルルはページを捲ると、手書きで注釈がたくさん書いてあった。
「引っ越ししようと思ってるの」
シドがマリーの枕元の椅子に座った。マリーの肩が上下に揺れていた。
「俺が話す」
シドはマリーの手を握った。
「最近、魔王国の使者がよく街をうろついてるんだ。外を出歩く住人も減った。……もしかしたら、マリーの病も関係あるのかもしれない。魔王国からすると、武器商人は取り締まりたくてうずうずしてるだろう」
「そんな……」
アルルはつい、杖を握る手に力が入る。
「これから、うちに神官が来る。見てもらうつもりだ」
シドは、マリーの頭を撫でた。
「良くなるといいですね」
アルルはそう言って立ち上がった。長居は出来ない。
「ああ」
シドはマリーの頭に手を当てて、顔を見ている。
「お、お邪魔しました」
「またな」
シドは振り向かず挨拶した。
アルルは一礼すると、階段を下って売り場を通る。
男性店員にも挨拶した。
「お邪魔しました」
外に出ると、まだ日は高い。日向に出ると暑さを感じる。周りを見回す。言われてみれば、人通りはいつもより少ないと思った。
(マリーさん、大したことないといいな)
道具屋の前を通った時、前方の角から黒い鎧を着た三人組が歩いてきた。
アルルの心臓の鼓動が早くなる。
(私なんも悪いことしてないのに……)
アルルは俯いてやり過ごそうとした。ふと、三人の後ろを見ると、アレンがこっちに歩いているのに気づいた。
アレンも魔王国の軍人が歩いているのに気づいていた。
(あの時の魔王国の奴らじゃありませんように……)
アルルは心の中で祈っていた。
談笑している一人の足が止まった。アルルの心臓が飛び出しそうになる。
その男が見ていたのは、シドの鍛冶屋の方だった。指を差して何か言っている。
アルルはそのまま通り過ぎると、アレンに駆け寄った。
「大丈夫?」
アルルは頷く。
「行こう」
アレンはアルルの背中に手を回して、促した。ピーちゃんは、アルルの肩でずっと大人しくしていた。
アルルはどうしても気になり、振り向いた。しかし、もう三人の姿はなかった。
◇
ジャックは、ルーヴェン街の東にあるマルタ港町に来ていた。昨日もここに来ていた。
宿屋、船守、酒場、市場――情報が取れそうな場所は片っ端から回った。欲しい情報は、魔王国の動向だった。
もちろん、タダではない。ほとんどの人は、金を渡すと途端に饒舌になる。
そして二週間後、魔王国から定期的に来る大型商船に、調査団と小規模の軍隊も乗ってくるという情報を仕入れた。
(いよいよなのか……?!)
さらに色々調査して回ったが、なんのために来るのかまではわからなかった。




