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悪役令息とは結婚したくないので、男装して恋愛工作に励みます  作者: 湊一桜


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20. 惚れ薬を飲んでしまった彼

 ルーカスは、私を来賓席の中央付近の席へと案内してくれた。ルーカスが座るであろう席の隣には、彼の父親であるトラスター公爵夫妻が座っている。相変わらず厳しい顔のトラスター公爵はちらりと私を見る。そして私は、例外なく飛び上がりそうになった。だが、冷静に冷静にと心を落ち着ける。トラスター公爵は、ルーカスと私の結婚に反対している。もちろん、賛成するはずがないことは分かっているが、やはり怖気付いてしまうのだ。


「父上。彼女がセシリア・ロレンソです」


 ルーカスが紹介してくれるが、トラスター公爵は


「あぁ」


と頷いただけで、それ以上こちらを見なかった。私と話さえしたくないのだろう。それくらい分かっていることだが、あからさまに拒絶されると胸が痛むのだった。


 ルーカスと結婚するということは、今後もこの対応に耐えなければいけない。ルーカスは私を愛してくれるが、誰からも祝福されない辛い結婚生活になるだろう。正直、私は周りを敵に回してまで結婚を強行する勇気はない。




 気分が沈むなか、とうとう花祭りのパレードが始まった。壮大な行進曲が響き渡り、華やかな衣装の人々が前を通り過ぎていく。花びらを撒き散らしながら軽快なステップを踏む踊り子に、花で飾られた馬に跨る騎士たち。騎士集団には、お兄様の姿もあった。正装用の騎士服を身にまとい、凛とした表情で前を見つめている。公爵家の騎士たちは、この近辺ではアイドル的な扱いなのだろうか。女性たちの黄色い歓声が沸き起こっていた。


 こんな華やかな雰囲気のなか、ルーカスは来賓に挨拶回りをしている。自分の企画した祭りを楽しむこともせず、立派に仕事をこなす姿にまたときめいてしまった。だが、ちくりとした。もし私が誇れる婚約者だったら、ルーカスは挨拶回りに私を同行させただろう。この来賓席に一人でいるということは、ルーカスだって私を紹介するのに気が引けているのだろう。当然のことなのに、胸がずきんと痛む。そして、私は祭りに集中しようと必死に前を見るのだった。




「ルーカス様」


 不意に鼻にかかったような高い女性の声がした。甘えたような、色気さえ感じるその声を聞くと、胸がもやっとする。見ないでおこうと思ったのに、振り返られずにはいられなかった。だが、その光景を見ると、さらに胸が締め付けられた。


 スーツを着たルーカスの前には、ピンク色のドレスを着て、髪を編み込んだマリアナ様がいた。もとの素材がいいだけに、着飾ったマリアナ様はまるで女神のようだ。格の違いをまざまざと見せつけられた思いだった。マリアナ様はやはり甘い瞳でルーカスを見て、頬を染めている。


「ルーカス様、本日はお誘いいただき、ありがとうございます」


 その言葉をルーカスは無視し、内心ホッとしてしまったのは言うまでもない。だが、マリアナ様はここで諦めるような女性でないことも確かだった。


「ルーカス様、さきほどいただいた薔薇酒、とても美味しゅうございました。

 よろしければ、ルーカス様にも飲んでいただきたく存じます」


 マリアナ様はグラスに入ったピンク色の薔薇酒をルーカスに差し出す。だが、ルーカスは


「いや、いい」


ぶっきらぼうに言い放ち、それをマリアナ様に突き返した。その様子を見てホッとしつつも、背筋がゾゾーッとした。あの薔薇酒ってまさか……


「ルーカス様、飲んでいただけませんか? こちらは私のイチ押しでございます。

 わたくしは、ルーカス様が薔薇酒を召し上がっていただけたら席に戻ります」


 ルーカス、それは飲んではいけない!! なんて言う間もなく、ルーカスはぐいっと薔薇酒を一気飲みした。そして、マリアナ様は満足げに口角を上げる。その表情を見て、私は確信した。やはりあの薔薇酒が惚れ薬だったのだ。ルーカスはきっと私のことなんて忘れて、マリアナ様を好きになるのだろう。そして、今まで私にかけてくれた甘い言葉を、マリアナ様にかけるのだろう。


「セシリア様、少し向こうへ行きませんか? 」


 不意に声をかけられて、私ははっと前を向いた。そして、泣いてしまいそうなのを悟られないように、必死に笑顔を浮かべる。

 私の前にはいつもの笑顔のジョエル様がいて、笑顔のまま私に手を差し伸べている。その手を取ることはもちろんしなかったが……私は立ち上がっていた。ルーカスがマリアナ様にベタ惚れして、甘い言葉を吐いているところなんて見たくなかったからだ。




 人がパレードに夢中になり、随分と人がいなくなった庭園を、ジョエル様と歩いた。ジョエル様はやはり紳士で、私に合わせてゆっくりと歩いてくれる。それが、先ほどのルーカスを思い出させ、さらに胸が痛くなる。ルーカスとは結婚出来ない。ジョエル様とももちろん結婚しない。だが、ルーカスが他の令嬢に惚れるのは嫌だ。……あんなに望んだはずなのに。


「兄上が惚れ薬を飲んでくださって、良かったですね」


 ジョエル様は笑顔で告げる。


「これで、貴女も兄上に追い回されることはなくなるのでしょう」


 私は言葉を返すことが出来ず、俯いた。


 ルーカスが他の令嬢に惚れることを望んでいたのは、他でもない私だ。だが、実際にルーカスを失ってしまうと、改めて思った。あのルーカスの笑顔を独り占めしたかった。ルーカスにもっと好きだと言われたかった。ルーカスに甘やかされ、心配されたかった。身分不相応だと分かりながらも、嬉しかった。


「貴女も、晴れて兄上の束縛から逃げることが出来ます」


「……そうですね」


 私の声は震えていた。


 ルーカスは、きっともう私を探してくれないのだろう。私がジョエル様と歩いていても、見向きもしないのだろう。あの甘いキスだって、そっと触れてくれることだって、もうないのだ。私はセリオとしても使用人を退職し、もうルーカスに会うこともないのだ。


 ルーカス、好きだった。本当に、好きだった。

 この結末を望んでいたのに……今となって悔やむなんて、私は大馬鹿だ。


「セシリア様。僕は、兄上よりも優しいです。それに、貴女をきっと大切にします」


 その言葉をルーカスから聞きたかった。いや、ルーカスは何度も愛を告げてくれた。それなのに、私は立場を気にして応えなかった。マリアナ様とルーカスが結婚することになって悲しむなんて、自業自得だわ。


 ジョエル様はそっと私の肩に手を置いた。そして、ルーカスによく似たその顔をゆっくり近付けるが……


 私は思わず顔を背けていた。


「申し訳ありません……」


 震える声で、ジョエル様に告げる。


「私は……ルーカスが好きなのです」


 今さら言っても遅いのに。なに悪あがきをしているのだろうか。それに、ほら。ルーカスは私がいなくなっても探しさえしていない。


 ジョエル様は悲しげな顔で私を見た。優しいジョエル様にこんな顔をさせるなんて、私はなにをしているのだろう。こうやって、ルーカスに素直になれず、ジョエル様を傷つけた。私は最悪な女性だ。



 

 不意に遠くで、ジョエル様を呼ぶ声が聞こえた。ジョエル様ははっと我に返り、


「……あ。そろそろ僕も持ち場に戻らなければなりません」


少し悲しそうな表情を浮かべて告げる。


「セシリア様、僕は貴女の気持ちを踏みにじることなんてしたくはありませんでした。

 僕が彼女に惚れ薬を渡してしまったこと、申し訳ありませんでした」


「い、いえ……」


 そう答えるのが精一杯だった。


 ジョエル様の言う通り、ジョエル様は今の今まで、私の気持ちを知らなかった。いや、私は昨日ジョエル様に言ってしまった。ルーカスにはもっと相応しい女性がいると。だから、ジョエル様はもちろん私がルーカスを好きだなんて思っていないだろうし、私を守ってくれようとしてマリアナ様に惚れ薬を渡したに違いない。


 今回の一件も、私のせいだ。素直になれなかった私が悪いのだ。ジョエル様は何も悪くない。それなのに、ジョエル様に感謝の言葉すら言えない私は、最低な女だ。


「セシリア様。僕の心は、貴女とともにあります」


 手を差し出せば、ジョエル様は私を愛してくれるだろう。ルーカスよりも紳士的で、優しく対応してくれるだろう。だけど、私はルーカスが好きだ。いくら傲慢で自己中でも、根は優しくて私だけを特別扱いしてくれるルーカスが好きなんだ。


 去っていくジョエル様の背中が、やたら小さく見えた。だが、その背中に抱きつきたいなど、甘い気持ちになることもなかった。

 ジョエル様の背中を見つめながらふと思った。私とルーカスは両思いとはいえ、結ばれてはいけない恋だ。ルーカスと結婚すれば、私が悪者扱いされるだけでなく、ルーカスだってそれ相応の仕打ちを受けるだろう。ルーカスが次期トラスター公爵として成功するには、妻が私であってはいけない。今となっても、それは強く思う。ルーカスと私を引き裂くには、惚れ薬は強引でいい手段だったに違いない。ルーカスがマリアナ様に惚れているのなら、私だって手を引きやすいはずだ。


 結局、私がこの辛い気持ちを我慢すれば、全てがうまくいくのだ……


 よし、やっぱり、ルーカスとの関係を断とう。そして、ルーカスにはマリアナ様と幸せになってもらおう。


 私が立ち上がったその時だった。





「あら、まだこんなところにいらしたのね」


 軽蔑するような、それでいて嘲笑うかのような女性の声がした。ルーカスの前では鼻にかけたような甘い声なのに、今の声は別人かと思うほど棘がある。


 振り返ると、私の後ろにはピンク色の豪華なドレスを着たマリアナ様がいた。だが、今のマリアナは女神のようなマリアナ様ではない。もちろん美しいことに変わりはないのだが……腕を組んで口元を歪めて私を見ているその姿は、まるで召使いを馬鹿にしている悪女だ。私はマリアナ様の本性を知っているが、ルーカスは知らない。だって、マリアナ様はルーカスの前では猫を被っているからだ。


 何も言えずに俯く私に、彼女は容赦なく口撃する。


「あなたでしょう、セシリアさんは。身分相応なのに、いつまでルーカス様に付き纏うつもり? 」


 それは、嫌というほど理解している。理解して、ようやく身を引こうと思ったのに……それなのに、とどめを刺すように言うのはやめてほしい。正直、もう心がもたない。


「ルーカス様は、貴女になんて構っている暇はないの」


 それは分かっている。私が誇れる婚約者だったのなら、挨拶回りにも同行させたに違いない。ルーカスが私を好きでいてくれることはよく分かったが、同時に私という存在を隠したいということまで分かってしまった。


「ルーカス様はもうじき、私に惚れるわ。

 犯罪者の娘のくせに、いつまでもみっともなくルーカス様にすがるのはやめてくださる? 」


 ここは身を引くべきだということは分かっている。身分相応である上に、ルーカスの気持ちがマリアナ様に傾いてしまったのなら、身を引く以外に何もないだろう。

 だが、マリアナ様がお父様を侮辱したことが、保っていた私の平常心を崩させた。心の中がぷつっと切れ、私はマリアナ様に向かって言葉を吐きかけていたのだ。


「お父様のことを悪く言うのは、やめていただけませんか? 」


 その声は、怒りと絶望でひどく震えている。そして、マリアナ様はこんな惨めな私を余裕の表情で見下ろし、口角を上げてわざと甘ったるい声で答えたのだ。


「没落した庶民のくせに、伯爵令嬢の私に生意気な態度を取るのね」


 そしてマリアナ様は、近くにいた護衛に声をかけた。


「この、身分相応で卑しい女性を、会場の外へ放り出してくれる? 」


 護衛は背筋を伸ばし、私に掴みかかろうとした。こうやって、ゴミみたいに会場から投げ出されなくても、私は自ら出ていくのに。だって、私にはもう、ここにいる理由がないのだから。

 身分相応な上に、ルーカスの気持ちだってなくなってしまった。こうなる前に、潔く身を引くべきだった。それに、公爵邸に乗り込むなんて、しなければ良かった。ルーカスを好きになってしまったから、ルーカスと離れるのが辛い。あの傲慢な態度や、生意気な口調でさえ愛しいほどに……




「おい、何をしている!」


 不意に、大好きなその声が聞こえた。その声を聞くと、まだ胸がきゅーっとする。諦めなければならないのに、縋りそうになってしまう。彼はもう、私になんて興味もないだろうに。


 護衛たちに両腕を掴まれ、ずるずると引きずられている私の近くで、


「ルーカス様」


マリアナ様が嬉しそうに彼の名を呼ぶ。そして彼女は、ピンク色のドレスを翻し、彼の元へと駆け出したのだ。


「ルーカス様、お待たせしてごめんなさい。

 セシリアさんから、ルーカス様がなぜセシリアさんに惚れていたのかを聞き出したのですわ」


 ……え!?


 予想外の言葉に、私はルーカスに駆け寄るマリアナ様の背中を見た。


「セシリアさんは、公爵夫人の座が欲しくて、ルーカス様に惚れ薬を飲ませていたようですわ。

 でも、薬の効果が切れ、ルーカス様もようやく正気に戻られたのでしょう? 」


 マリアナ様は、何を言っているのだろうか。私がルーカスに惚れ薬なんて飲ませるはずがないのに。私は、そんなマリアナ様みたいなことはしていない。


「……そうか」


 ルーカスは低く呟いた。どんな顔をしているのか見たいのだが、陰になっていて表情は見えない。そんなルーカスに、マリアナ様は飛びついていた。まるで主人の帰りを待つ子犬のように、すごくすごく嬉しそうに。


「おかえりなさいませ、ルーカス様」



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