19. 突然の宣戦布告
ルーカスは私の手を取って、花祭りのメイン会場まで連れていってくれた。メイン会場となる花畑は、数日前と同じように満開の花で溢れている。だが、数日前とは違って、多くの人で賑わっていた。満開の花に見惚れる人に、久しぶりに会う友人と話に花を咲かせる人々。皆が笑顔で、明るい表情をしている。ルーカスが主体となって準備した花祭りを、こんなにも多くの人が楽しんでいるなんてすごい、と感激してしまった。
数日前に来ていることを悟られないように、
「わぁ!すごく綺麗な花畑ね」
私はありったけの笑顔で、驚いたように言う。
「そうだろう。セシリアに見てもらいたくて、俺は準備したんだ」
ルーカスは静かに言う。以前の予行練習の時と同じようなルーカスの言葉だが、あの時とは全然違う。ルーカスの声や表情はもっと優しげで、もっと嬉しそうだ。こんなルーカスに、ドキドキが止まらない。だから私は、ルーカスに呑まれないように必死に抵抗する。
「私を呼んだのも、下心があるんじゃないの? 」
ルーカスは、私がルーカスを認めさえすれば、祭りを抜け出して朝から晩まで抱き潰すと言っていた。……冗談じゃない。確かに私はルーカスに惹かれているが、下心ありありなのは困る。結婚だって出来ないのに、関係を持てるはずがない。
ルーカスは少し頬を染めて私を見た。そんな様子がいちいちツボにはまる。そして胸をきゅんと甘く鳴らせる。
そしてルーカスは、静かに告げた。
「下心がないと言ったら、嘘かもしれない。
でも俺は、セシリアの喜ぶ顔が見たいんだ」
……え?
「セシリアが隣で笑ってくれる。それだけで、俺は幸せなんだと思えるんだ」
「……やめてよ」
そんなことを言うのは、やめて欲しい。出まかせだったとしても、ますますルーカスに惹かれてしまうから。そして、その罠にまんまと引っかかってしまいそうだから。冷静に冷静にと言っている今でさえ、胸が暑くて苦しい。まるで、何かの病気みたいだ。
「セシリア……」
低く甘い声で名前を呼ばれる。この声で呼ばれるだけで、体をぞぞーっと甘い痺れが走る。
「愛してるよ、セシリア」
惜しげもなく告げられるその言葉が、心地よいと思ってしまう。そしてルーカスに愛を告げられると、安心してしまう自分がいた。
「今ここで、キスしたい」
「だ、駄目よ。こんなにも人がいっぱいいるの……」
断ったつもりだった。だが、ルーカスは私の返事を聞く間もなく、唇を重ねる。抵抗しようとするも、ルーカスの甘くて優しいキスに、体の力が入らなくなってしまう。立っているのもやっとだ。
長いキスのあと、そっと唇を離したルーカスは、ぞっとするような甘くて色っぽい声で告げた。
「ごちそうさま」
その妖艶な声は、どこから出てくるのだろう。セリオといたルーカスは、いつも乱暴で荒々しかったから、このギャップにやられてしまう。そして愚かな私は、唇を手で押さえて真っ赤になることしか出来ないのだ。
「本当は、お前を抱きたい。でも、俺が好きなのはセシリアだと、皆に分からせないといけない。
お前は美しくいい女だから、他の男に取られないようにしなければ……」
「誰も、目もくれないわよ」
その前に、ルーカスが笑い者になってしまうのではないか。次期公爵のくせに、平民の、犯罪者の娘に惚れているだなんて。
私は浮かない顔をしていたのだろう。そして、悪いことばかり考えて歩いていたのだろう。いつの間にか、来賓席に到着していることなんて、全然気づかなかった。そして不意に聞こえたルーカスの、
「ジョエル」
その人物を呼ぶ声に飛び上がった。
じょ、ジョエル様!? ルーカスは、一番呼んで欲しくない人を呼ぶだなんて。ジョエル様は、私がセリオだということを知っている。私はどんな顔をして会えばいいのだろうか……
思わず俯いてしまった私を、
「俺の妻になる、セシリア・ロレンソだ」
ルーカスはジョエル様に紹介する。私はどぎまぎして、ジョエル様を見ることすら出来なかった。ただひたすら頬を染めて俯く。
こんな私に、ジョエル様はいつもの明るく穏やかな声で告げる。
「はじめまして、弟のジョエルと申します。
話は聞いております。以後、お見知り置きを」
思わず顔を上げると、ジョエル様の優しげな瞳と視線がぶつかった。それで慌ててまた下を向く。私は拗らせっぱなしなのに、ジョエル様はいつも通り優しくスマートだ。それに、私がセリオだと知っていながらも、完璧な芝居だ。ジョエル様が完璧すぎるから、逆に惨めになる……
俯く私を前に、
「おい、ジョエル。間違ってもセシリアに色目を使うな」
イラついたようにルーカスが言う。今までのルーカスが甘すぎたから、久しぶりに見た平常運転のルーカスにホッとする。
だが、ルーカスは色々間違っている。ジョエル様が私に色目を使うはずなんてないし……そもそも、私はルーカスと結婚しない。結婚出来ない。それなのに、ジョエル様はやはりスマートに答えるのだった。
「嫌ですね、色目なんて使うはずがありません。セシリア様が幸せになれるのなら、僕はそれでいいのです。
ですが……」
ジョエル様は、笑顔のまま続けた。
「兄上がセシリア様を大切に扱えず悲しませるのなら、僕がいただくかもしれませんよ? 」
……え!? ジョエル様、何を言っているの!?
私はジョエル様を凝視している。冗談だと言って欲しい。それなのに、ジョエル様は表情一つ変えず、にこにこ笑ったままだった。
「じょ、ジョエル様。冗談にもほどがあります!」
慌てて言った私に、
「僕は冗談なんて言っていませんよ」
ジョエル様はにこにこ笑いながら返す。そこで、はっと気付いた。ジョエル様はにこにこしているが、目は笑っていないのだ。まさか、本気で言っているのではないよね……
「このままだと、兄上は貴女を泣かせるのではないかと、僕は心配しています」
いや、もう十分泣かされたけど……
「大丈夫です。私は強いので」
笑顔で答えていた。
ジョエル様は、セリオにキツく当たるルーカスに釘を刺しているのだろうか。きっとそうだよね、と自分に言い聞かせる。いずれにせよ、私はルーカスともジョエル様とも結婚は出来ない。
ルーカスは、私とジョエル様の顔を交互に見た。そして、怪訝な表情で聞く。
「お前たち、知り合いか? 」
きっと、初対面にしては馴れ馴れしくしすぎたのだろう。はっと我に返り、
「いえ……」
慌てて否定した。
だが、ジョエル様はにこにこしたまま告げる。
「僕は、あなたのことをよく知っています」
私は飛び上がりそうになる。ジョエル様は空気を読んで、私のことを知らないふりをしてくれるのかと思ったが……そうでもないのだろうか。まさか、ここで私がセリオだと暴露するのだろうか。震える私に、相変わらず笑顔でジョエル様は言う。
「あなたのことは、兄上から耳が痛くなるほど聞いていました。僕は兄上がまたうつつを抜かしていると思っていたのですが……
あなたは、僕の想像以上に逞しくて、そしていい女性でした」
「あ……ありがとうございます……」
苦し紛れに答えるのが精一杯だった。そして、気まずすぎてジョエル様と目を合わせられない私は、頬を染めて俯く。こんな私は、ルーカスの刺すような視線を感じていた。ルーカス、絶対に私とジョエル様を不審に思っているだろう。
「……もういい」
ルーカスは低い声で吐き捨てて、私の手をぎゅっと握る。不意に手に触れられるものだから、私は思わずビクッと飛び上がってしまう。動揺する私にはお構いなしに、ルーカスは荒々しく告げた。
「俺はセシリアと席に戻る。くれぐれもセシリアには手を出すな!」
そしてそのまま、ルーカスはジョエル様が何気なく手に持っている小瓶を見つめた。
「……それはなんだ? 」
「惚れ薬ですよ」
ジョエル様はにこにこと笑いながら桃色の小瓶を振った。背中にゾゾーッと寒気が走る。まさか、ジョエル様はそれを私に……なわけ、ないよね。ジョエル様もきっと、私のことをからかっているだけだろうという結論に至る。
だが、ルーカスは気になって仕方がないらしい。
「ジョエル、まさかお前……」
彼は私の手をぎゅっと握ったまま、怒りを込めてジョエル様を睨んでいる。ルーカスのあまりの殺意に、私は思わず怯んでしまった。だが、ジョエル様は強いらしい。いつもの笑顔を崩さずに告げた。
「僕はこんなものを使うのは嫌なんですけどね。
……とあるご令嬢に頼まれまして」
余裕のジョエル様を、ルーカスはさらに殺気を込めて睨んだ。そして私はそんな二人の様子を見ながら、必死に考えている。
誰がなんのために、ジョエル様に惚れ薬なんて頼んだのだろう。私とルーカスに関わりがないことを祈るばかりだ。
ルーカスはきっとジョエル様を睨み、ぐいっと私の手を引く。予想外の力で引かれたため、私はバランスを崩してよろめいた。このまま無様に地面に倒れ込むと思ったのに、ルーカスがそっと抱き止めてくれる。不意にルーカスに抱きしめられる形となり、ルーカスは耳元でそっと囁いた。
「悪い、セシリア」
息が耳にかかり、ゾゾーッと体を震えが走る。
「お前のことは、何としても俺が守るから」
その言葉が素直に嬉しいと思ってしまった。そして何より、胸がドキドキきゅんきゅんとうるさい。
ルーカスは私を抱き止めたまま、荒々しくジョエル様に言い放った。
「それをセシリアに飲ませたら、俺は兄弟の縁を切るからな!」
冗談でしょ? と思うのに、ルーカスは全く笑っていない。だが、動揺しているのはどうやら私だけのようだ。ジョエル様は相変わらず優しい笑顔で答えたのだ。
「いえ、彼女には飲ませません」
でも、それってまさか……いや、私の思い過ごしであって欲しい。
ルーカスに対する恋心を知ってしまってから、この気持ちはどんどん深まるばかりだ。ルーカスとの恋には障害がたくさんあり、幸せになれる保証もない。ルーカスにはもっと素敵な令嬢が相応しいことも分かっている。だが、万が一ルーカスが別の女性に惚れてしまったら……私は立ち直れないかもしれない。
「行きますよ、セシリアお嬢様」
ルーカスはわざとらしく甘い声でそう告げ、私の手をルーカスの腕へと回させる。そして、慣れないドレスを着ている私の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩き始めた。
いつもの自己中の振る舞いと、この紳士的な対応のギャップにくらくらする。ルーカスの本質は、凶暴で自己中だ。だが、私だけには違うのだ。私にだけ優しくて、甘くて、そしてまっすぐだ。この特別扱いが、いつの間にか嬉しく心地よいものとなっていた……