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窓からの光が影鉄製の黒い刀身に振り注いでいた。
黒い鋼は光を吸収し、明るい清め場のなかで、そこだけ闇が象られたかのように黒く染まっている。
"ナイトフォール"。それがその大剣の名であり、王都セレスティアの処刑人が代々受け継ぎ愛用してきた業物である。
ラルムはその前に膝をつくと、目を閉じて祈りを捧げた。視界が闇に覆われて音が遠のくと、いつも世界から隔絶されたような感覚に陥る。名を捨て、家族を捨て、未来を捨てた自分にとって、それは寂しいのか、あるいは落ち着くのか、未だ判然とはしない。しかし暗黒騎士とはそういう存在であり、この感慨は忌避するものではなくその本質であることは分かっていた。
闇に秩序を
星々の輝きのために夜をもたらし
悪夢を終わらせ、安らかな眠りを
不安は力なり、孤独は栄誉なり
暗黒騎士の祈りの文言を頭の中で唱え、人を殺す意識を整えると、目を開いた。脇に置いてあった黒い鉄仮面を被ると、大剣の柄を握った。肩に担ぐようにそれを持つ。大きさの割に軽いが、それでも確かな重量が肩へとのしかかる。
扉を開き表へ出ると、怒号と歓声の波が押し寄せた。広場への道を進む毎にそれは大きくなっていく。処刑台の階段前に着くと、両脇に控えていた役人や要人連中に一礼した。高等法院の役人に境星、聖職者、そして宰相に、若い男。ラルムはこの若者に見覚えがなかったが、すぐに代理摂政に就任するという第一王子だと分かった。
設営された処刑台の階段を一段一段ゆっくり踏みしめるようにして上がっていく。登壇すると、歓声を上げる大勢の見物人が見えた。柵向こうの群衆に、周辺の建物の二階や三階から眺める者、屋根の上にまで登っている若者や子ども。
これだけの見物人は、当然暗黒騎士目当てではない。今日の死刑囚、マリア・サルメリナのためだ。
地方子爵の娘で、両親を殺した罪で起訴され死刑が確定。真実は定かではないが、その美しさから父親からは狼藉を加えられ、母からは虐待を受けていたと噂される。尊属殺人への怒りと、情状酌量を求める声で声は割れている。
囚人が連れて来られた。
髪を短く切られ、死刑囚の白い死に装束を纏っている美しい、まだ少女とも呼べるような女性だった。歳は十八頃とみられ、足取りは確かで、肌艶も良く、唇は赤く潤っている。中でもラルムが驚いたのは、目に光があったことだ。
自身の運命を嘆くことなく見据えている目。
復讐を貫徹した満足の眼差しなのか、あるいは神の前では清廉潔白であるという自信のためなのか、それは分からない。が、ある確信が彼女の中にあるかのようだった。
自分とは対象的な光そのもののような存在に、ラルムの内に躊躇いが生じた。噂が事実であるならば、あまりにも報われない。第一、これほど稀有な美しさを放つ存在を失わせるのは、それだけで何か大きな罪ではないのだろうか。そしてもし、神の目の前では彼女が無実であっなら、その命を奪う自分こそが罪人となるのではないか?
面識もなく、言葉を交わしたことすらないが、それでも目の前の人間に常闇をもたらす寸前は、様々な思いと想像が去来して、気持ちが大きく揺さぶられる。
王と、法の名の下に。
自分は無垢だ。
そう言い聞かせても、理屈で人を殺すことが如何に困難かをラルムは常々痛感していた。
囚人が跪いて頭を垂れた。
いよいよと言わんばかりに群衆の声が最高潮を迎える。
ラルムはナイトフォールを両手で握ると、王宮の方角へと奉剣の所作をとった。
渦巻いた様々な感情を力ずくで鎮めていく。
王の影にして、光の外に立つ秩序の番人。
この剣は、王の意志である。
暗い情動の制御こそが、暗黒騎士の本分。
ラルムは所作を解くと、囚人を見下ろした。
前に流された黄金の髪の合間から、綺麗な白い項が覗いていた。
対称に、ラルムの心は闇に染まり、鎮まっている。
ナイトフォールのその切れ味と重量から、未熟な執行人であっても首を断つこと自体は可能である。
しかしより苦痛を和らげ、より"美しく"幕を引くならば、頚椎の隙間へと正確に剣を滑り込ませ一撃で静かに断ち切る必要がある。
そのためには一人では出来ない。囚人の恐怖を測り、呼吸を読み、息を合わせ、死の贈りと受け取りを共同で行うことで始めてそれ完成する。
幸いにも、今日の囚人はその準備が整っていた。
ラルムは意識を集中し、彼女の呼吸を測った。
ほんの僅かではあるが、そのリズムが徐々に感じとれる。
恐怖と、震えと、それを抑え込もうとする明確な意志のある呼吸。
ラルムは宙へ投げ上げられた球が下降へと転じる瞬間のような、その呼吸の頂点を見定めた。
ナイトフォールを振り上げ、確かなそれを慎重に探る。
━━瞬間、ラルムの意識と彼女の動きが重なった。
帷が下ろされた。
夕闇の最後の煌めきのように、鮮血が迸った。
大衆に束の間の静寂が訪れ、切り離された頭部が転がる僅かな音が鳴った。
大衆は事件の詳細も彼女の生い立ちも全てを忘れ、しばらくの間その鮮やかな剣技に酔いしれていた。
その意識の隙間は、彼女の魂が人々の目を離れ天へと解放されるには十分の間があった。




