↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの「大丈夫」、買い取ります  作者: きびだんご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/24

第24話 買い取れない言葉

 二か月後、朔は妹の部屋でカーテンを洗うのを手伝っていた。

 管理会社がレールを直してから、初めて外すのだという。

「そっち、最後の一個」

 千帆に言われ、朔は留め具を外した。

 布が腕へ落ちてくる。

 思ったより重かったので、抱え直した。

「少し持って」

「はい」

 千帆が端を受け取った。

 それだけで、床に落とさずに済んだ。


 洗濯機が回る間、二人はコーヒーを飲んだ。

 青いカップは、いつものように千帆の前にあった。

 朔の前には、白い無地のカップ。

「その青いやつ、ひび入ってない?」

「模様。何回言うの」

「覚えてなかった」

 千帆は笑った。

 すべてを深く理解しなくても、何度も同じことを言える関係がある。

 朔はカップを持ち上げ、熱いので置いた。


「今日、このあと仕事?」

「違う。店に予約してる」

 千帆には、少し前に本音買取所のことを話した。

 全部は信じていないらしい。

 けれど、兄が大事な話をしに行く場所だということは、分かってくれていた。

「売りに?」

「今日は、受け取りに」

「何を」

「前の仕事の支払い明細。あと、少し挨拶」

「普通だね」

「普通の用事もある」

 朔は笑った。


     *


 新しい相談室は、古いビルの二階にあった。

 路地裏の店より明るく、窓から並木が見えた。

 入口には小さな予約札があり、時間になると灯子が扉を開けた。

 奥の壁には、見覚えのある木の引き出しが並んでいた。

 全部ではない。残りは別の保管室に置いているという。

 番号と連絡先が変わらないことを、もう一度説明してもらった。


 カウンターの代わりの机に、冊子が置かれていた。

 貸し出すものではなく、灯子自身が読むための一冊だった。

 表紙の角が少し丸くなっている。

 読まれた跡があることを、朔は嬉しく思った。


「次は、作らないんですか」

 灯子が聞いた。

「話はしています。でも、まだ決めてません」

「そうですか」

「律の仕事が忙しくて、俺も今月は難しい。夏までに一枚、くらいの話です」

 早く次を作らなければ、この関係が終わるという焦りは、時々まだ出てくる。

 けれど、そのたびに申し込みをして予定を埋めることは、しなくなった。


 支払い明細を受け取り、移転後の札を確認した。

 大きな文字で、売るものと残るものが分かれている。

 返却を選ばない人にも読めるように、文末を少し直してあった。

 灯子が日々の相談に合わせて修正しているのだという。

「もう、俺が作ったままじゃないですね」

「使うと、足りないところが分かります」

「よかったです」

 本当にそう思えた。

 自分が手を離したあとに変わっていくことも、失敗ではなかった。


 姉の写真は、窓際の棚に移っていた。

 その隣に、小さな旅行のパンフレットがあった。

 朔が目を向けると、灯子は少し照れた顔をした。

「姉と行く予定です。日帰りですが」

「いいですね」

 瓶を戻したかどうかは聞かなかった。

 今、二人で行く場所を決めていることは、それとは別に嬉しいことだった。


「今日は、何かお預かりするお話は?」

 灯子が聞いた。

 朔は考えた。

 会社で言いそびれたことはある。

 律から返信が遅いと、少し不安になる。

 千帆が友人との予定を優先すると、寂しい日もある。

 胸の中が、いつも整っているわけではない。


「ありますけど、今日は売らずに持って帰ります」

「分かりました」

 灯子は白い紙を片づけた。

 我慢できて偉いとは言わなかった。

 朔も、それを褒めてもらうためには来ていなかった。


     *


 その夜、律と約束していた食堂へ行った。

 今度は打ち合わせではない。

 律は少し遅れると連絡をくれたので、朔は先に水を飲んで待っていた。

 五分後、律が息を切らして入ってきた。

「悪い」

「五分だよ」

「それでも、待たせた」

「うん。腹減った」

 律は笑い、鞄を椅子へ置いた。


 注文を取る店員に、朔は辛い定食を頼んだ。

「かなり辛いですけど、大丈夫ですか」

「大丈夫です」

 律が顔を上げたので、朔は笑った。

「これは、本当に」

 料理が来ると、思ったより辛かった。

 二口目で水を飲み、三口目で額に汗が浮いた。

「大丈夫じゃなさそうだけど」

「少し、見積もりが甘かった」

「ご飯、足す?」

「頼む」

 律は店員を呼んだ。

 大丈夫と言ったあとで、言い直すこともできた。


 食事の途中で、律が小さな紙を出した。

 新しい絵ではなく、二人分の電車の時刻だった。

「この駅の古い待合室、残ってるうちに見たい」

「いつ?」

「来月。日帰りで」

 朔は予定表を開いた。

 仕事の締め切りと、千帆との約束が一つ入っている。

 空いている土曜日を二つ伝えると、律はそのうち一つを選んだ。


「冊子にする?」

 朔が聞いた。

「分からない。まず見たい」

「じゃあ、見に行こう」

 それで、次の予定ができた。

 作品になるかどうかを、先に決めなくてもよかった。


 帰り道、律と別れたあと、朔は財布を開いた。

 返却済みの印がついた控えは、まだ入っていた。

 三千円で売り、三千円で買い戻した気持ち。

 その間に失敗したことも、買い戻してから間違えたこともある。

 札三枚で、時間を戻すことはできなかった。

 けれど、あの夜、何も言えなかった自分が本当にいたと、今は覚えていられる。


 部屋に帰ると、スマートフォンが鳴った。

 律からだった。

『さっきの待合室、改修の日がまだ未定みたい。予定、確認できるまで仮で』

 朔はカレンダーの文字に、仮、と付け足した。

『了解。分かったら教えて』

 送信すると、千帆からも写真が届いた。

 洗い終えたカーテンが、窓いっぱいに掛かっている。

『ちゃんと乾いた。今日はありがとう』

 朔は写真を少し拡大した。

 窓辺には、青いカップがあった。


『またごはん食べに行く』

 そう返してから、もう一文、足した。

『手伝いがなくても』


 スマートフォンを机に置き、上着を脱いだ。

 明日のために水を沸かす。

 部屋には一人分の生活の音がした。

 返事を待つ間に、自分のカップを洗った。


 ――了。

最後までありがとうございました!また次のお話で

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。