(5−2)ニーナと冬至の祭り
冬至祭り当日とその前後、合わせて3日間は工房の仕事がお休みになる。
ちなみに、そのあと1日だけ、みんなで顔を合わせて大掃除をし、1年の打ち上げパーティーをして、あとは年明けしばらくお休みなのだそうだ。
それだけ特別なお祭りを、ニーナは指折り数えて待っている。この前のお休みの日には、街の雑貨屋さんでいろんな飾りを買い込んで、居間をめいっぱい飾りつけた。
「この部屋が、こんなはしゃいだ感じになるなんて、びっくりだよ。あんがい良いもんだな。初めて『家』って感じがする」
目を細めて、ハーフォードは言った。
今日は、その冬至祭り休暇の直前の日。ニーナはいつもと変わらずガラス工房にいた。リタと一緒に作った大きな作品を昨日納品し終わって、本当は今日は何かを作らなくてもいい。ただ、吹きガラスで、花瓶を作ろうと思ったのだ。冬至のお祭りの象徴、スノースターを飾る花瓶。
スノースターの花は、内側の花芯が白くふんわりとしていて、まるで綿の妖精のように可憐だ。そして、細長く白い花びらが、幾重にも妖精を守るように周りを囲み、花びらの先はツンツン可愛らしく尖っている。そんな白くて愛らしい花が引き立つように、花瓶は小さくシンプルに、透明にしよう。お水をたっぷり入れられるよう、下は丸くコロンとした形にして、少しだけ底の方に模様をつけようか。そして、花瓶の口はきゅっとすぼめよう。花からもらった幸せが、逃げて行かないように。
ニーナはあれこれ考えながら、頭の中の想像を、軽くスケッチに起こしていく。食卓の上に飾ったら、きっとハーフォードが喜んでくれる。
手を止めて、あれこれ考えていたら、鉛筆が手からこぼれてころりと転がった。そのままテーブルの端まで転げて行って、
(落ちる!)
思った瞬間、ニーナの体はとっさに動いて、手を伸ばす。鉛筆は、ほんの一瞬だけ、まるで時が止まったようにニーナの手を待って、ポロリ、とその手のひらに収まった。
とたんに、くらり、と、視界が歪んだ。机のヘリにしがみつくようにして、とっさに体を支える。額に軽く汗がにじんで、動悸で全身が脈打った。
工房は今日からすでに休みをとっている人も多く、ニーナのそばには誰もいない。
机にしがみついたまま、深い呼吸を繰り返す。大丈夫。ぐっとお腹に力を入れて数秒こらえたら、このおかしな感覚は霧散する。
ここ数日、こんなことが時々あった。
急に体の力が抜け、突然のめまいがやってくる。
たぶん、医者に診てもらったほうがいいのだと思う。
わかっていても、ニーナはそれをためらった。いつもだったら、たいてい思った瞬間、すぐに行動に移せるのに。
せめて、冬至のお祭りが終わるまで。できれば、年越しのお休みが終わるまで。
誰にも言いたくない。ハーフォードの心配する顔を、見たくない。
ふたりで、楽しく過ごしたい。ハーフォードの誕生日だという、1年の最初の日を、にこにこ一緒に祝いたい。
ニーナはそう念じながら、顔を上げた。おかしな感覚は消えていた。
「すっげー美味そう。すっげー美味そう」
キッチンで、さっきから何度もそう言いながら、ハーフォードがニーナの後ろをうろうろしている。
「だめ。今日は食べない」
ニーナがキッパリというと、鍋に顔を突っ込みそうな勢いだったハーフォードが「なんでぇ〜」としおれた。その口に、今日の昼食用にと作ったニンジンのグラッセをフォークに刺して突っ込む。
「俺、ウサギかよー……あ、これ、すげぇ美味いな」
甘いニンジンを食べながら、もごもごとお行儀悪くハーフォードはこぼし、不満と上機嫌の顔を立て続けに披露する。ニーナが鍋の火を止めたのを見て、後ろから抱きつくと、首筋に顔を埋めた。
「ねぇ、ちょっと食べようぜー。すっげー良い匂いがする」
「甘えてもだめ。明日の冬至用のビーフシチュー。一晩寝かせた方が美味しいの。うちのお母さん直伝の作り方」
ニーナの生まれたアンデラ国では、冬至はカンティフラスほど盛大には祝わない。それでも、冬至に食べるものはいくつかあって、ビーフシチューもその一つだった。
あの町では、牛肉は高価で、あまり口に入れる機会がない。だからこそ、冬至に食べるビーフシチューはとても特別で、ニーナの幸せの記憶だ。
ハーフォードは、直伝、と聞いた瞬間、ぴくりと動いた。
「お前んちの? 伝統の味?」
「伝統かどうかは知らないけど、お母さんは、自分のお母さんから習ったって言ってたよ」
「…………じゃぁ、我慢する。代わりにもっとニンジン食べたい」
すっかり子どものような口調でふてくされる口の中に、肩越しにグラッセを押し込む。もっと、もっと、とおねだりされて、立て続けに3つばかり食べさせたあと、
「うん、もう、俺、お前のウサギになってもいい」
よくわからない宣言をされ、そのまま肩越しに包み込むように、くちびるが重なる。するりと入り込んできた舌からは甘いニンジンの味がして、ニーナは自分がウサギになった気分を味わった。
その日の午後は、街中にあちこち出ているお祭りの露店を冷やかし、公園で熱々の焼き栗を買ってかじり、湯気の立つ甘いホットワインをふたりで半分こして、スノースターの小さな花束を買って帰った。
思った通り、昨日作ったばかりのガラスの花瓶はスノースターにぴったりで、食卓に飾ったとたん、ぱっとテーブルが華やいだ。
ハーフォードは何度も花瓶をほめて、何度もスノースターを右から左から上から熱心に眺めた。それから「この光景を残すにはどうしたらいいか……本気で考えないと……」といつかの動物園の時のように、ボソボソつぶやきながら、腕を組んで何かを考え込みはじめてしまう。
「また来年もお花を飾るんだから、その時までにどうにかしたら良いんじゃない? 来年がだめでも、その次の年があるし」
ニーナが笑うと、ハーフォードは噛み締めるように「来年……再来年……」と口の中で確かめて、「そうだな」とまぶしそうにつぶやいた。
翌日は、冬至祭りの本番。8区すべての広場に、それぞれ篝火が焚かれる。治安の良い4区では、夜通し火を囲んで、歌え踊れの楽しい催しがあるらしい。いまだに人混みが少し苦手なニーナは、まだ人出がそんなに多くない昼間に、見に行ってみることにした。
広場の入り口に立った瞬間、大きく燃える炎が見えて、少しだけ、ファーレン国のことを思い出して足がすくんだ。隣にいるハーフォードが、自分のコートのポケットに、握ったニーナの手を突っ込んだ。「きれいだな、あったまりに行こうぜ」と足取り軽く歩き出す。とたんに炎が美しくあたたかく見えて、ニーナは自分の変わり身の早さを笑った。
冬至の篝火をろうそくにつけて持って帰ると、その家には1年間、幸運がやってくるという。露店で細長いろうそくと飾り台を買って、順番待ちの列に並ぶ。しばらく待ってから、無事にろうそくを灯し、台座にセットした。陶器のキャンドルホルダーで、あどけない表情の白いイタチが、ひょっこりと立ち上がっている姿が彫られている。
「もしかして、ガラスでキャンドルホルダーを作ったら、売れるかな? ガラスで作った雪イタチとスノースターの花を周りにつけて」
「おっ、それ良いな。欲しい。耐熱魔法かけようぜ。結構高額で売れちゃうんじゃないの」
「でも、普通の人でも買えるものにしたいなぁ……いっそ、お友だちの分だけ作ろうかな。冬至祭りのプレゼント」
「それも良いかもな。どんどん友だち増えたら大変だ」
「そしたら1年かけて、ゆっくり作るよ」
大切にろうそくを抱えて、家まで戻る。ビーフシチューを温めて、サラダを作る。食後に焼きリンゴを食べたいとハーフォードが準備を始め、パンを切って、軽く火であぶってからテーブルに並べる。
そうしてすべての準備を整えて、食べ始めたとたん、
「シチュー、うっま!」
目を見開いて一言叫ぶなり、ハーフォードは猛然とスプーンを口に運び始める。一皿食べて、ようやっと落ち着いたらしく「確かに1日待ったかいがあったわ」と、いそいそとおかわりを取りにキッチンに消えた。
「俺、なんで、今、魔力ないんだろな。魔力あったら、一人でひと鍋完食できる自信ある」
悔しそうに言いながら、3皿ペロリと平らげる。鍋をのぞいて、まだ明日の朝ごはんの分も残っていることを確認して、「よし!」と小さくガッツポーズしていた。
ハーフォードの作ってくれた、ほかほかの焼きリンゴも、シナモンのいい香りが口の中に漂って、とてもとても美味しかった。
「冬至に特別な料理を作ったことなんてねぇけど、冬に焼きリンゴは時々作る。師匠とフィーが好きでさ。あいつら今頃、南国でぬくぬくしてんだろな」
ニーナは、真剣な表情で焼きリンゴに齧り付くフィリアスを想像して、胸があたたかくなる。
「来年は、一緒に過ごせるといいなぁ」
「このシチューが食えるんだったら、ほいほいやってくるだろ」
ふたりで笑い合う。それから呼吸を合わせ、「せーの」でろうそくを吹き消した。家族や仲間で一緒に消して、幸運を分け合うのが慣わしだそうで、
「初めてやったけど、なんか楽しいな」
「ね!」
たしかにこれは幸せになれる、と、すとんと腑に落ちた。ろうそくは消えたけれど、心に火が灯る。
さて、たくさん食べたし、食器を洗ってしまおう、と手分けして皿やカップをまとめ、「よいしょ」と皿をまとめて持ち上げて、キッチンに向かおうとしたところで、
——ひじが、ろうそくに、あたった。
あ、と思う暇もなく、冷えたろうそくが勢いよく傾き、横倒しになる。その先には、スノースターの花を飾ったあの小さなガラスの花瓶があって、弾き飛ばされて、傾いて、
(だめ! 落ちないで!)
とっさにニーナは強く強く願った。
とたんに、ぴたり、と花瓶が止まる。
空中で。
そのまま、ふわり、と花瓶がひとりでにテーブルに舞い戻って。
——まるで何もなかったかのように、スノースターの花が、小さな花瓶で幸せそうに咲いている。
(よかった! 元通り!)
微笑んだとたん、全身から、力が抜けた。手の中の皿が、がちゃんとテーブルに落ちる音がどこか遠くのことのように聞こえる。
まずい、と思った次の瞬間には、視界が真っ白になっていた。
続きはまた明日投稿します!




