(5−1)ニーナとハーフォードの日常
「おーい、ニーナ、そろそろ行くぞ」
下の階で、ハーフォードが呼んでいる。ニーナは荷物をひっつかむと、全速力で階段を下った。足に弾みがつきすぎて、前のめりにつんのめって、
「あっぶね! あぁもう、危なっかしいなぁ」
幸せそうにぼやきながらハーフォードが抱き止めてくれるから、ニーナは今朝も幸せだ。
ふたりで手をつなぎながら、勤め先のガラス工房に向かう。
「ねぇ、さすがにそろそろ手袋買おうよ。寒い」
マフラーに顔を半分埋めながら、ニーナの鼻の頭は真っ赤になっている。
真夏にこの街にやってきてから、もう4カ月。あっという間に1年の終わりの月がやってきた。
街中は冬至のお祭りに向けて、星や雪の結晶のオーナメントがあちこちに飾りつけられ、華やかに輝いている。一年でいちばん日が短くなる冬至の日。精霊の御使いの雪イタチが、幸せを運んできてくれるという言い伝えがあった。イタチの好物だというスノースターの花々が、道のあちこちに飾られ揺れている。ニーナは初めての冬至祭りが、今から待ち遠しくて仕方ない。
「やだね。手袋したら、手をつなげなくなる」
「手袋してたって、つなげるでしょー」
返事の代わりに顔を盛大に不満そうにしかめながら、ハーフォードはつないだままの手を、ここぞとばかりに自分のコートの中に突っ込んだ。
「ほら、ポケットさえあれば何とかなる」
得意げなハーフォードを見上げて、ニーナはすっかり呆れ顔になる。
「ねぇ、こういうドキドキしちゃうやり方とか、どこから覚えてくるの?」
「そんなん、私兵隊に決まってんだろ。野郎ばっかりゴロゴロしてるんだ。もっとドキドキしちゃうこと、いっぱい教えてもらってるぜ? どうする? 試すか?」
「今は遠慮しときます」
「今はね、今は」
ご機嫌で言うハーフォードの顔は、冬でも健康的に日焼けしている。出会った時より削ぎ落とされた、精悍な顔つきになっていた。背も、前はニーナより少し高いくらいだったのに、みるみるのびて、今は見上げるくらいだ。
ニーナが工房でガラスを作っている間、ハーフォードはガイザーブル商会の私兵の訓練場で過ごしていることが多い。剣術と射撃が恐ろしい速さで上達しているようで、私兵隊の隊長さんから、本気で入隊の勧誘を受けているらしい。工房の同僚たちが噂していた。
以前の、人懐っこく、やわらかく、それでいて人と距離をとるような立ち振る舞いはめっきり減った。いつの間にか、引き締まった鋭い顔と目つきで、しっかりと姿勢良く、人の目を見据えて話すようになっていた。
それでいて、いつもは鋭い目つきが、ニーナを見つけると、甘くほころぶ。
その様子がたまらない、と、ニーナと年齢の近い同僚の女の子たちからはキャアキャア言われ、からかわれ、日々がっつり観察されてしまっている。「彼氏にするには重そうだし怖そうだし無理だけど、目の保養としては最上級!」なんだそうだ。
ずいぶんのびた髪の毛だけはそのままで、いつもニーナの作ったガラス細工をつけ、頭の後ろでまとめている。訓練の時に壊れてガラスの破片でハーフォードを傷つけてしまったらどうしよう、と最初は心配していたニーナに、鉄壁の守りの魔術をかけてあるから大丈夫だ、と胸を張っていた。嬉しいけれど、大事な魔力の使いみちを間違っている気がしてならない。ハーフォードの腕には、魔力封じの銀の腕輪が、変わらずはめられたままだった。
「それ、預かっておくわ。今晩渡すプレゼントだろ」
「うん。ありがとう」
ひょいっと荷物のひとつを取り上げられる。
「今日の食事会、18時からだろ。いつもの時間に迎えにいけば間に合うよな」
「2区内の食堂だし、十分間に合う。途中で花束も買っていきたいな」
「了解」
手をつなぐのと同じ自然さで、おでこに軽くキスされる。
「じゃぁ、後でな」
工房の手前の門で、ハーフォードと別れた。工房は赤れんが造りの大きな建物で、壁面いっぱい蔦に覆われている。今は落葉しているけれど、秋の頃にはそれは見事に赤く色づいて、目を楽しませてくれていた。その敷地の周りを覆うように、安全な結界が張ってあるそうで、ハーフォードは必ず結界内までニーナを送り迎えしてくれる。とはいえ、この4カ月、そんな危ない目にあったことはないのだけれど。
「あら、ニーナ、今日も朝から恥ずかしくなっちゃうくらい仲良しだったね」
正面口を入ると、どこで見ていたのか、にまにましながらリタが迎えてくれた。リタはニーナのふたつ年上で、いちばん気があう同僚だ。ガラスを細く伸ばしながら形を作り出していく、繊細な工芸を得意としている。肩より少しのびた黒髪をさまざまにアレンジするのが趣味で、いつもいろんな自前のガラス細工を髪に飾っていた。ふたりであれこれスケッチとアイディアを出し合って、ひとつの作品を作ったりすることもある。
「仕事の時間以外、朝も夜もずっと彼氏とひっついてて、大変じゃない?」
呆れたようにリタに言われて、ニーナは首を傾げた。
「全然そんなことないけど。リタはこないだデートした人とはどうなったの?」
「忘れて。前進あるのみ!」
「承知。前進あるのみ!」
「あんたたち、どんな危ない会話してるのよ。突進せずに、ちゃんと周りを見なさいね」
笑いながら、事務員のモヴィが通りかかる。手押しの台車に大きな箱をいくつか乗せている。ニーナは荷物を自分のロッカーに放り込むと、小走りに近寄った。
「モヴィさん、それガラスの材料の予備? 原料室に持って行くんでしょ。手伝うよ」
「いや、この箱、すごく重いから。後で誰か男手を頼んで、棚に置いてもらおうと思って」
「平気へいき。私、田舎育ちで、家でもひとりで重いもの持ち運んでたし。任せて!」
半信半疑のモヴィと一緒に、原料室に向かう。モヴィが腰痛持ちだと知っているニーナは、ふたりで持とうと言ってくれているのを断って、ひとりでよいしょと箱を持ち上げて、台車から棚へと移した。
(……?)
内心、少しの違和感があった。軽々と持ち上げられて、あまり重さを感じない。いつもだったら、もっとずっしり重く感じられるはずなのに。
もしかしたら、今回はそんなに中身が入っていない箱なのかもしれない。そう思って、残りの2箱も所定の棚にさっさと納めた。
「ニーナ、本当に力持ちなんだね。びっくりしたわ」
驚くモヴィに振り返ろうとして——ふらり、と視界が揺れる。自分を支える大事な何かが、するりと少しだけ抜け落ちていくような感覚があった。とっさに棚に手をついて体を支える。
「ほら、言わんこっちゃない。無理したんでしょ!」
心配そうなモヴィに、ぐっとお腹に力を入れて微笑んで見せる。とたんに、めまいがおさまった。
「大丈夫! 息しないで踏ん張って持ち上げたから、くらりときちゃった」
「そういうのを無理するっていうの! これだからうちの鉄砲玉娘は」
めいっぱい怒られて、ニーナは笑いながら肩をすくめてペロリと小さく舌をだし、それから「じゃぁね!」と走って逃げた。
不思議な体の感覚など、あっという間に忘れてしまった。
夕方、大きな花束を抱えて、ニーナとハーフォードは、2区にある食堂に向かった。「クジラの胃袋」という不思議な名前のお店で、ガイザーブルの私兵訓練所から歩いて5分くらいのところにある。美味しくて、ボリュームがある定食が大人気で、私兵たちがこぞって食事にいくらしい。
いらっしゃい、と出迎えてくれたのは、大きな体に黒いエプロンをつけたガイザーブル商会の護衛員・ラミアで、隣で明るく弾けるような笑顔を浮かべているのが、お揃いのエプロンをつけた彼の新婚の奥さんだった。
「ラミアさん、グレンダさん、結婚おめでとうございます! 早く教えてくれたらよかったのに!」
ニーナはとがめる口調と満面の笑顔で、花束を奥さんに手渡す。
「いやぁ、我ながら怒濤の戦闘モードだったので……不義理をしてしまって、本当にすみません」
ラミアは奥のテーブルに、慣れた様子で案内してくれる。ガイザーブル商会の護衛の仕事は続けつつ、すっかり食堂の手伝いにも馴染んでいるようだった。案内されたテーブルには、すでにダリルの顔もあった。
ニーナの旅の護衛が終わったあの後。ラミアは頑張ったのだ。ファーレンの露店でニーナに選んでもらった腕輪二つを握りしめて、帰国したとたん、意中の彼女に突撃した。その場で、おつきあいどころか結婚を申し込み、驚愕しながら嬉し涙で了承した彼女を思い切り抱きしめた。その足で、彼女の両親のところに結婚のお願いに行き、父親に一発殴られ、役所に駆け込み入籍し、プロポーズ即日そのまま攫うように一緒に夫婦の暮らしを始め、今は妊娠3カ月。本当に怒濤の戦闘モードすぎる。
ちょうど1週間前、ハーフォードがラミアと一緒に訓練をした時に、ようやくぽろっとラミアが漏らして発覚した。その流れで、今日の食事会が開かれることになったのだった。
頭をかきながら、幸せ全開の笑顔で、ラミアが言い訳をする。
「そりゃもう、8年もグレンダに片想いしてたもんで。一生そばにいることを許されたと思ったら、我慢の限界で」
「この人、王都にいる時は、毎日ごはんを食べに来て、あれこれ声をかけてくれて、デートにまで時々誘ってくれるのに、それ以上のことは全然進展しなくって。なのに、突然プロポーズされたから、ようやくか!って思っちゃった」
並んで腰掛けて、仲良く顔を見合わせるラミア夫妻に、ニーナは一つの包みを差し出した。
「これ、結婚のお祝いに。私が作ったガラス細工です」
ラッピングを解き、箱を開けて中を見たとたん、グレンダの顔が輝いた。
「なんてきれいな! この美しいものは何?! お花畑みたい!」
「それはかんざし、っていうんです。今、ちょうど私とハーフォードも髪をまとめるのに使ってるんですけど。使い方は中の紙にも書いてあるので、よかったら試してみてください」
ダリルが微笑みながら、横から口を出す。
「ニーナさんのかんざしは、今、一部のご婦人の間で大変話題になっていましてね。来年から正式に売り出す予定です」
そうなのだ。クオレ公国の高級リゾートで即席の販売会を開き、完売した50本のかんざし。それをお土産にしたり、自分で使ったりしたご婦人方の中に、ファッションリーダーが何人かいたらしく、あっという間にお嬢様方の間で噂が広がった。ガイザーブル商会に、時々、問い合わせも入るらしく、本格的に販売することが決まった。
さらに高級感を出すために、ニーナの作ったかんざしに、金銀細工の職人がさまざまな加工をしてくれることになっている。そのデザインも、直接打ち合わせさせてもらった。違う分野で活躍する熟練の職人の考え方や物の見方は、とても刺激になるということを、ニーナは初めて体感した。販売に向けて、今は鋭意製作進行中だ。
おそらく、あの時のダリルの思惑どおりに進んでいる。あまりに順調すぎて、少し怖いくらいだった。
「かんざしの隣にあるブレスレットは、男性用と女性用でペアなので、もしよかったらおふたりでお出かけのときにでも使ってください」
「すっっっっごく嬉しい!」
グレンダは歓声を上げて、一つをラミアの左腕に、もう一つを自分の右腕にさっそくはめる。ふたつ揃って並べて、
「エプロン以外で、初めてのお揃いだわ!」
とても嬉しそうに、何度もふたつのブレスレットを見比べている。
ハーフォードが呆れた声を出した。
「なんだ、ラミア、結婚指輪買ってねぇのかよ」
「いや、だって、とにかくグレンダを捕まえるのに夢中で……それに!ほら!指輪はお互い気に入ったものを作りたいだろう! イニシャルだって裏に刻みたいし!」
イニシャル、で今さらながらニーナは思い至った。なんてこと! そういえば、ラミアの正式な名前を知らない。
「ラミアさんのファミリーネームって何ですか?」
「結婚して、今は、ラミア・ベンズリーになりました。グレンダのうちの家族になりたかったので、彼女のファミリーネームです。俺は、孤児で身寄りもないし、自分のこれまでのファミリーネームに別にこだわりもなかったから。彼女の弟たちも、とても懐いてくれて、むちゃくちゃ可愛いですしね」
「わぁ、すごく素敵ですね! それで食堂のお手伝いもしてるんですか?」
「そうですね。あと半年ちょっとしたら父親になりますし。俺もそろそろ旅ばっかりの護衛生活をやめようかと思って」
言いながら、ダリルを見る。あらたまった顔で、ラミアは言った。
「というわけで、そろそろ違う職に就こうかなと思ってます。子どものことを考えると、できるだけ稼げる方がいいので、王都で護衛関係の仕事は続けようと思うんですが。ガイザーブルでは、さすがにそういう仕事はないですよね?」
「そうですねぇ、たいてい、地方出張か、地方転勤がありますから……。そうだ、うちを辞めるのであれば、王都の衛兵隊士に入隊するのはいかがですか? ガイザーブルから推薦状を出せますし、第2区配属にできると思います。ラミアの腕だったら、あっという間に隊長ランクの高給取りになれるでしょう。あなたに2区の治安を守ってもらえたら、ガイザーブルとしても非常にありがたい話です」
「そうしていただけるのであれば、大変に助かります」
ラミアは深々と頭をさげた。
「妻と子どものそばにいて家族を守れるのが、俺の人生の最大の幸福です」
それから先の食事会は、とてもにぎやかで楽しかった。
グレンダの両親が作って、ラミアも手伝ったという料理が山ほど机に並べられ、お腹いっぱいになるまで食べて、笑って、残った料理はお土産に持たせてもらうことになった。
身重のグレンダを大切にするあまり、ラミアは彼女をほとんど厨房に立たせないらしい。新妻の不満らしい不満と言えばそれくらいで、ふたりは終始、幸せそうにしていた。
まだ気が早いけれど、さすがに気が早すぎるけれども、と自分に前置きしながら、ニーナは何度も思ってしまった。
(自分とディーも、いつか、こんなふうになれたらいいな)
続きはまた明日!
(というわけで、ラミアさんは筆耕マギーの例の先輩の義兄さんになりました!)




