疑惑 2
王太子ギュイエンヌ公ルイの死亡により、トゥーレーヌ公ジャンが次代の王太子となる。彼は、ブルゴーニュ公ジャンの従兄弟の娘と結婚しており、コンピエーニュ城に居住していた。
1419年6月、パリにいたイザボウに、王太子死去の報が届く。死因は、前王太子ルイと同じく疫病による病死。彼の死により、5人いたシャルル6世とイザボウの王子は、いまやアンジュー公のもとにいるシャルル一人となる。それは、出生に何かと物議を醸し出すこの末の王子が、やがてこのフランスの国王になることを示していた。
4人目の王太子の訃報を受け取ったイザボウは、表面上は冷静だったが、その心中はとても穏やかとは言い難かった。
王太子ジャンが死に至るまでの状況は、驚くほど前王太子ルイに似ていた。近隣の村で発生した疫病が広がり、やがて城で発病する者が現れ王太子に伝染して死亡。病状もよく似ていたため、同じ病だと推察された。
しかし、イザボウはギュイエンヌ公ルイからの手紙を受け取っているのだ。託された者は届ける途中で事故に遭い、直接会うことはできなかったが、ルイがアルマニャック派に身を投じたときに、彼の身を案じて密かにイザボウがつけた、隠密活動を得意とするシャルル6世の顧問団の従者だった。
彼はすぐにイザボウのもとに知らせようとしたが、城を出たその夜、夜盗に襲われて片脚を失ったまま放置され、死にかけていたところをその身なりの良さに気づいた、近くに住む裕福な農夫に助けられた。長期の看護の甲斐なく亡くなり、遺品は処分されそのまま闇に葬られるところだったが、手紙のサインがほかならぬギュイエンヌ公だったため、驚愕した農夫が領主に届け出て、最終的にイザボウの手もとに来たのだった。
ルイの、おそらく今際の際に託されたであろう手紙は、イザボウに疑念を起こさせるに十分すぎるほどの内容だった。彼女は、直ちにトゥーレーヌ公のもとへ使者を送るべく、行動を起こした。即ちシャルル6世に、彼がいまだ連絡を保っている顧問団へ、トゥーレーヌ公の護衛となる者の派遣を依頼したのだ。
ギュイエンヌ公に続いて2度目の依頼とあって、シャルル6世はあまり良い顔をしなかった。
「トゥーレーヌ公は、エノー伯の息女と結婚して、コンピエーニュの城におるのだろう。特に争いの報告も来ておらぬに、さほどの警戒が必要とは思えぬが」
「ギュイエンヌ公は、アルマニャック派に協力していても命を落としたのです。万全の注意を払うのが誤りとは言えませんわ」
シャルル6世は、軽くため息を吐く。
「妃よ。心配する気持ちはよう解る。が、そなたも知っておるだろうが、ルイは、疫病にて亡くなったのだ。病を操れる者などおらぬ。――――それに、わかっておるだろう。余の力は失われつつある。顧問団もすでに解散して久しい。今となっては、王太子の護衛が務まるほど腕のある者を捜すのも難しい」
イザボウは、ひそかに拳を握り締めた。シャルル6世が表舞台から退いてすでに20年。当時の側近は宮廷にはおらず、おそらく連絡を保つのが精いっぱいなのだろう。それでなくても一人失われているうえ、さらに真偽もわからない任務に就けというのは、無理がありすぎる。それでも、ルイからの手紙が、託されたあの美しい小箱が、彼女の焦燥を煽り立てる。何とかしなければ――――――。
疑惑の相手は、ヨランド・ダラゴン。王の叔父の妻アンジュー公妃、まぎれもない王族だ。おいそれと疑いをかけてよい相手ではない。下手したらもう一人の王子、シャルルの後ろ盾がなくなるだけでなく、新たな紛争の種となる。爪が掌を傷つけるのも気づかずに、さらに手を握りこんだ。わかっていた。こんなあいまいな話で王が頷くはずがないということは。こうなっては仕方がない。
「では、陛下。わたくしの兄に頼んでもよろしいでしょうか」
「何を言っている?」
「陛下もご存じのとおり、兄は父の跡を継ぐために戻りましたが、その際、このフランスでの待遇に大変感謝しておりまして、何かあったら頼るようにと言い残して行かれたのです」
神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ7世。イザボウの輿入れ当時彼女の庇護者として来て、30年近く側近として仕えたが、1413年に父バイエルン大公が逝去したため実家のヴィテルスバッハ家を継ぐために戻り、同時に神聖ローマ帝国皇帝に選出されている。バイエルン大公家ならばともかく、神聖ローマ帝国皇帝にフランス王国の内紛について頼みごとをするとなると、かなり話が違ってくる。
「陛下が難しいと言われるのならば、わたくしが兄にお願いしてみますわ。何と言っても、大切な息子、それもフランス王太子のことですもの」
ルートヴィヒ7世は、もともと嫡子ではなく3男だったという話があります。噂話レベルですが、かなり長くフランスにいたことから、ほぼ当たりかと思っています。(実際の年数は不明)
跡継ぎでなければ爵位も財産も継げないため、身一つで己の立場を確立しなければなりません。
つまり、当時の彼にとって王妃の兄としてフランスで伯爵位と領地を賜るのは、大変ありがたいことだったのですね。その立場を利用して財産を築き、妹の立場を強化する、という構図です。イザボウにとっても、厳しい状況での兄の助力は大いなる助けとなったでしょう。
ただし、立場が違ってくると話も変わります。イザボウの願いは、完全なる公私混同、ヘタしたら内政干渉に発展するかもしれない、危険な提案です。イギリスだけでも手一杯なのに、これで後々無理難題でもふっかけられたら‥‥。
もちろん、イザボウはわかってて言っているわけです。(ちなみにこの部分は、完全なる想像です)




