トムが粋な恋文を書けるようになるまで ~5~
「……っ」
ジョゼは答えなかった。包まっていた毛布を握りしめ、コーディから目を逸らす。
トムは、普段とは違い物々しい雰囲気のコーディに慄いて、肩の辺りまで毛布を引き上げていた。
「伯父様から電話があったの。伯父様、心配してたよ? どうして家出なんかしたの?」
家出。そう思うと合点のいくことが多い。たったひとりでランソルトに来たことも、旦那奥方コーディに何の連絡もなかったことも。
「……コーディお姉様にはわかりませんわ」
ジョゼはぷいっと横を向くと、頬をぱんぱん膨らませた。本人は立派に怒っているつもりなのだろうが、無力な子供が反抗しているようにしか見えない。
ふう、とコーディが溜め息を吐く。そして仕方なさそうに目を細めると、昼寝によって少し乱れた金髪を優しく梳いた。
「伯父様たちに叱られたの?」
「……」
沈黙を肯定と受け取ったのか、コーディが小さく「そう」と囁いた。
「どうして叱られちゃったの? なにか約束を守らなかったとか? それとも大事な物を壊しちゃった?」
それか……と確信を持って尋ねる。
「成績が下がった?」
「……」
一瞬だけ、ジョゼの緑の瞳が揺れる。図星のようだが、コーディは問うのをやめない。
「成績が下がって叱られたから、家出してきたの?」
「……」
「そういうわけじゃないんだ?」
トムがベッドを抜け出し、こっそりとアルに尋ねる。
「なんでジョゼが何も喋ってないのに、コーディ先生はおしゃべり出来てるの?」
「魔法だよ。多分」
コーディはしばらく悩むと、再び優しく問う。
「ジョゼが叱られた時、いつも慰めてくれるのは誰?」
その瞬間、緑の目の淵に涙が乗っかった。それでわかったらしく、「なるほどね」とコーディがジョゼの頬に手を添える。
「叱られた時にいつも慰めてくれる人――お兄ちゃんかな? 今回は慰めてくれなかったんだ?」
「……っ」
小さな泣き声が漏れた。それを皮切りに、すすり泣く音が部屋に響き始める。
コーディは膝の上にジョゼを乗せると、よしよしと背中を叩いた。
「……そっか。そうだろうね。だってルーファスは勉強に関しては、自分にも他人にも厳しいものね」
コーディの口から出てきた男性名に、アルは不愉快そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
「普段は優しいお兄ちゃんだからこそ、ショックだったんだね。……でもね、ジョゼ」
コーディはジョゼと額を突き合わせると、静かに諭した。
「昔、私も言われたけど、勉強はとっても大事。大変で嫌になることもあるけど、毎日やらないといけない。それに、今日ジョゼが家出したことで、お兄ちゃんが自分を責めてるかも知れないよ?」
「兄様が?」
しゃくり上げながらジョゼが聞き返す。
「今回は偶然にもアルと会えたけど、もしかしたらジョゼは悪い人に連れ去られていたかもしれない。不注意な馬車に轢かれていたかもしれない。道に迷ってお腹を空かせていたかもしれない。そんなことになったら、『あの時、いつものように慰めてあげたなら』ってお兄ちゃんは後悔すると思うよ。そんなお兄ちゃん、見たい?」
「……」
ジョゼは手の甲で涙を拭うと、ふるふると首を横に振った。その答えに、コーディは満足げに頷いた。
よく、こうもだんまりな子供の心情をここまで読み解けるものだと、アルは本気で感心していた。それは決して魔法ではないけれど、頑なな心を溶かすコーディの言葉は、魔法と言っても差し支えなかった。
「……よし、じゃあ帰ろうか。一回うちに寄って、それから馬車を呼ぼう。お家までは私がついていくから」
それと、とアルを見上げる。
「ほんとはアルにも、伯父様たちに謝ってほしいところなんだけど」
「俺?」
「ジョゼの所在を一時不明にした責任、どうしてくれるの?」
やべ、とアルは思わず口元を歪めた。その件についてはまだ決着ついていなかったらしく、コーディがふたりめの子供(二十二歳)を叱責しにかかる。
「そもそも! アルがジョゼをとっととうちに送ってくれてたなら、ことはもっと早く収まってたのよ!」
「しょうがねーだろ! 運悪く留守だったんだよ!」
「その後ここで悠々と居眠りしてたんだから始末が悪いって言ってるの!」
「ちょっと待て、居眠りならトムもしてた!」
「子供と自分を同列に並べるんじゃないの嘆かわしい!」
「つーか何の事情も知らなかった俺が何でこんなに怒られなきゃいけねーんだよ!」
「こっちはちゃんと頼んだんだから責任持って面倒見るのが道理でしょうがっ!」
ジョゼよりもずっと呆気なく攻め落とされたアルは「ぐっ……」と黙り込むと、顔をしかめてそっぽを向いた。要するに、降参なのだ。「あなたの達者なお口に負けましたよ」という合図に他ならない。
「……行くならとっとと行くぞ。嬢さんが泣き顔で外に出るのはあまりにも忍びないから、ジョゼは顔洗ってこい」
ぶっきらぼうに告げると、ジョゼは小さく「はい」と返事をして、
「あの、洗面所はどこですか?」
なぜかコーディに尋ねた。コーディがあっちだよ、と指差した方向にジョゼが駈けていき、しばらくしてジャーッと水の音が聞こえてきた。
「……なんでこんな近場の、しかも親戚がいる街に家出してきたんだろうな」
アルは心底不思議に思って首を傾げた。こんなに幼い子供が近しい人間を頼れば、すぐにでも家に連絡がいくだろうに。現代の家には大抵、電話という便利な物があるのだ。
「……家出の場合、自分の家から十歩も歩いたら、もう近場じゃないのよ。今回ジョゼは大冒険をしたわ」
「大冒険? 家出の場合?」
「そうよ」コーディは毛布に位置を直した。「ジョゼくらいの年なら、庭先で拗ねているのがせいぜいだわ」
ジョゼくらいの年には、庭先どころか家さえもなかったアルには、まったくわからない心だった。
「普通に遊びに行くために家を出るなら、平気なの。どこへでも行けそうな気さえしてくる。でも、家出というだけで――家族と喧嘩していると思うだけで、極端に心細くなるの」
家に居場所がないと感じるから家出をする。と彼女は語った。
「自分に帰る場所がないと思い込むのは、辛いことよ」
ベッドの上を整理し終え、振り返ったコーディはどこか哀しそうな、懐かしんでいるような目をしていた。
それはまるで――
「……なんか、実際に体験したことがあるみたいだな?」




