トムが粋な恋文を書けるようになるまで ~6~
「え!」
ボソッと呟いた一言に、コーディがサッと顔を赤らめる。アルはその反応を不審がった。
「あれ、コーディって俺の知る限りで家出なんてしたことあったっけ?」
「……」
今度はコーディがそっぽを向く番だった。不機嫌そうに「さあ」としらばっくれる。
アルは記憶の中を引っ掻き回した。自分がリード家で生活している間に、家出なんていう大事件が起こったことはないはずだ。
だとすると、十三歳以降……
「……あ、思い出した。十七歳の春にコーディがいきなりここに泊まりに来て、夜ソファで寝ていた俺に無理矢理迫っ」
「アル、トムの前」
低めの通る声でストップを掛けられる。アルは慌てて口をつぐんだ。危うくトムの目の前で過去のはしたない(主にコーディが……自分もだけど)話を暴露するところだった。
当のトムはというと、なにやら難しい顔で物思いにふけっていた。
「どうした?」
「……ねえ、アル?」
アルを見上げ、本日三つめの質問。
「〝せーせき〟って、なあに?」
〝がっこう〟ってどんなところ? とは違い、アルは躊躇することなく「コーディに訊きな」と答えていた。こればっかりはアルにもわからない。
がっこうという施設が、どうして生徒にせーせきをつけるのか、
「コーディ先生」
彼女は知っている。
「〝せーせき〟って、なあに?」
「……」
コーディは暫しの間、返答に悩んでいたが、やがて言葉を選ぶように話し出した。
「学校ではね……子供たちひとりひとりの頑張りに点数をつけるの」
「点数?」
「そう。点数。そしてその点数がよかった子は褒められるし、悪かった子は叱られる」
「誰に?」
コーディは一瞬アルを見やると、少々答えにくそうに言った。
「先生とか……親とかね。トムの場合は、アルかな」
「……」
トムは小さく溜め息を吐くと、洗面所の方向に振り返った。
「がっこうって、大変そうだね」
「……」
アルとコーディは、顔を見合わせて肩を竦めるしかなかった。
これは望み薄そうだ、と。
*
「アルお兄様」
リード邸へ向かう途中、アルは呼ばれてジョゼを見下ろした。右手をトムと繋いだジョゼは自分を仰ぎ見て「ん、ん」と左手を突き出してきていた。
「ああ、手な」
両手を誰かと繋ぐ嬉しさを知っていたアルは、快くその小さな左手を取る。
「コーディ先生!」
今度はトムが、右手をコーディに突き出す。彼女も馴れた様子で手を取ると「ちゃんと前向いて歩こうね」と見上げてくるトムに注意した。
四人で手を繋いで歩く。
「……」
人には、分相応な夢と、分不相応な夢がある。分不相応な夢を叶えるには、それこそ血の滲むような努力が必要なのに、夢を見るだけならば、あまりにも簡単すぎる。
簡単すぎるからこそ、無意識にそんな夢を見てしまったのだと、アルは思う。
「…………」
家族が出来たら、こんな感じなのか、と。
「っ!」
あらぬ想像が頭を駈け巡った瞬間、空いている方の手がアルの頬を叩いた。コーディが怪訝な表情で見てくる。
「……虫が止まってたんだよ」
「今二月だけど」
「……」
「…………」
コーディは何かを察してくれたようで、アルの下手くそな言い訳にはそれ以上突っ込まなかった。
遠い将来のことを、考えたことがないわけではない。しかし、裏の職業柄、あれこれ考えることを避けてしまっているところがある。
市民から義賊と称えられようとも、アルは一犯罪者に変わりはない。いつアーノルド警視が動かぬ証拠をつかんでやってくるか、わからないのだ。
それなのに、自分と誰かの将来を考えるなんて、
「……悲しいよなあ……」
「さっきからどうしたの?」
トムが不審がって尋ねてくるのを「なんでもない」とかわす。
その時、右手のジョゼがふと訊いてきた。
「アルお兄様」
「うん?」
「アルお兄様は、コーディお姉様の恋人なのですか?」
アルの表情も、反対側のコーディの表情も、一瞬にして凍りついた。
「違うのですか? やり取りも自然でしたし、コーディお姉様はアルお兄様の家の洗面台の場所も知ってらしたので、それなりに深い仲なのかと……」
えーっと……。
「……」
停止した思考を蹴っ飛ばして起こし、急ぎ上手い答えを考える。
すぐに「違う」と言ってしまえば済む話なのだが、なぜかその時はそう答えられなかった。
コーディを見る。彼女は前を向いたまま何も言わない。自分も何も言えない。不自然な沈黙が、歩いている四人の周りだけを取り囲んだ。
そこへ、さらにぶっ込んでくる少年がひとり。
「ジョゼ、〝こいびと〟ってなあに?」
「あら、トムは物知らずね?」
裏路地と病院以外で初めて出来た女の子の友達に「物知らず」と言われた少年は、ちょっと俯いて小さく膨れた。
「恋人は、自分と思い合う人のことを言うの。素敵な関係だと思わない?」
「友達とは違うの?」
「友達はチューしないもの」
「チューしたら恋人?」
「うーん……どうかしら。そういうふしだらな関係も、あることにはあるし」
……おいおい。アルは苦々しい顔でその会話を聞いていた。最近の子供は恐ろしいな。
「で、どうなのですか?」
再びジョゼがこちらを見上げた。やはりどうとも答えられず「あー……」とか「えー……」などとアルが悩んでいると、コーディが仕方なさそうに「違うよ」と溜め息混じりに助け舟を出した。残念、と口を尖らせるジョゼ。
「アルお兄様なら、いいと思いましたのに」
「俺ならって?」
「コーディお姉様の旦那様になる人は私の兄様しか認めてませんでしたけど、アルお兄様なら歓迎ですわ」
「え、あいつ!?」
ジョゼの中でコーディの花婿候補に上げられたことより、彼女の兄が既に候補だったことに驚愕する。慌ててコーディに質疑すると、
「やーね。ジョゼの中でそう盛り上がってるだけよ」
と呆れ笑いを浮かべられた。
ほぅ、と安堵の溜め息を吐くアル。四年前にコーディと別れた時、散々傷付けたのは自分だが、断固として奴に譲るためではない。
奴の嫁に行くくらいなら――
「でもね、アルには今、恋よりもずっと大事なことがあるんだって」
その時、コーディがジョゼを見下ろして優しく教えた。それは嘘も偽りもない、かつてアル自身がコーディに告げたことだった。
言い方を変えると、コーディはその言葉に傷付けられたのだ。
「だから、恋人のことを一番に考えてあげることは出来ないんだって」
そうよね? とアルを見てきたコーディの笑顔は、不自然なほど美しく――
「……ああ、まあな」
まるで、なにかを確認してきているようで――というか、確認していて。
「あら、アルお兄様の恋人になる方は可哀そうですわね。一番にしてもらえないなんて」
頬を膨らませて非難するジョゼに、アルは黙って苦笑を返す。
そうだよ。君の大好きな従姉は可哀そうなんだよ。
そんな意味が込められていることに、幼いジョゼは気が付かない。




