六話 失われた家族と、鳴り響く鈴の音
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
六話 失われた家族と、鳴り響く鈴の音
帝国ガイストの影がちらつくなか、僕たちは家の地下室を「魔導工房」へと改装し、来るべき事態に備えていた。しかし、僕の心の中にはずっと、拭い去れない小さな棘が刺さっていた。
あの日、夕暮れの高速道路。
衝撃が走る直前まで、僕の腕の中にいたはずの存在。
茶トラの毛並みに、少しだけ鍵しっぽの、僕の親友――。
「……チャチャ」
その名を呟くだけで、胸が締め付けられる。僕たちが若返ってこの世界に再誕したのなら、一緒にいたはずのあの子はどうなったのだろう。動物はこの世界の理の外に置かれてしまったのだろうか。
そんな思いを抱えながら、僕は大学の帰りに、アステリアの裏通りにある「魔獣市場」へと足を向けていた。珍しい生き物や精霊が取引されるその場所なら、何かの手がかりが掴めるかもしれないと思ったのだ。
「おい、坊主。そんな高級な服を着て、こんな掃き溜めに何の用だ?」
ならず者の冒険者が声をかけてくるが、僕は指先で小さな「静電気」を弾いて見せ、彼らを黙らせた。今の僕は、見た目こそ五歳児だが、中身は魔法と科学を融合させた異世界の賢者だ。
市場の最奥、ひときわ異様な気配を放つ檻の前に、人だかりができていた。
「見ろよ、この魔獣。見た目はただの猫だが、放つ魔力が尋常じゃねえ。触れようとした商人の腕を、一瞬で凍らせやがった」
心臓が、跳ね上がった。
僕は群衆をかき分け、最前列へと飛び出した。
鉄格子の向こう側。
そこには、僕たちが知る「猫」とは似ても似似つかぬ姿に変貌した生き物がいた。
毛並みは夜空のように深い紺青色になり、背中からは淡く光る小さな翼のような触覚が伸びている。しかし、その尻尾の先は、見覚えのある形に曲がっていて――。
「……チャチャ?」
僕の声に、その「魔獣」がピクリと反応した。
金色に輝く瞳が僕を捉える。周囲を威嚇していた鋭い眼光が、一瞬で潤み、信じられないものを見るような色に変わった。
「ニャ……ア、オン……」
それは、あの日、車の中で聞いていた甘えた鳴き声そのものだった。
「おい、坊主! 勝手に近づくんじゃねえ、そいつは危険な……」
商人が僕を突き飛ばそうとした瞬間、檻の中の「魔獣」が豹変した。
耳を裂くような咆哮と共に、檻全体が青白い冷気に包まれる。強固な魔導合金の檻が、内側からの圧力で紙細工のようにひしゃげた。
「な、なんだ!? 暴走したぞ! 殺せ、殺しちまえ!」
パニックになった護衛たちが一斉に槍を構える。
僕は思考加速を最大まで引き上げ、周囲の時間を止めたかのような感覚の中で叫んだ。
「やめろ!! そいつに触るな!!」
僕は地面を蹴り、チャチャの前に立ちはだかった。指輪から溢れ出した魔力が、巨大な水の防壁を展開し、放たれた槍をすべて弾き飛ばす。
「ニャアアアアアン!!」
チャチャが僕の肩に飛び乗った。
重い。前世のチャチャよりずっと質量がある。けれど、頬に擦り付けられる毛並みの感触、鼻腔をくすぐる陽だまりのような匂い。
「チャチャ……ごめん、遅くなってごめん……!」
僕は泣きながら、その小さな、けれど強大な力を秘めた体を抱きしめた。
チャチャもまた、この過酷な異世界で僕たちを探していたのだ。この鋭い爪も、冷気の魔法も、すべては僕たちに再会するために身につけた「武器」だったのだろう。
騒ぎを聞きつけた父さんと大樹兄さんが、市場に駆け込んできた。
「拓海! 無事か!?」
父さんが剣を抜き、殺気立った商人と護衛たちを威圧する。大樹兄さんはすでに拳を固め、周囲の建物が震えるほどのプレッシャーを放っていた。
「……父さん、見て」
僕が腕の中のチャチャを見せると、父さんは目を見開き、膝から崩れ落ちそうになった。
「嘘だろ……。チャチャ……チャチャなのか?」
「ニャン!」
チャチャは父さんの顔を見ると、僕の腕から飛び降り、父さんの足元でかつてのようにゴロゴロと喉を鳴らした。その姿を見て、大樹兄さんは豪快に笑い、目尻に涙を浮かべた。
「ははっ、最高だ! これで本当の意味で『家族全員』揃ったな!」
商人が「俺の獲物を返せ」と喚き立てようとしたが、父さんが金貨の詰まった袋を無造作に投げつけ、一言だけ放った。
「この猫は、俺の『家族』だ。文句があるなら、次は命で払ってもらうぞ」
その圧倒的な覇気に、市場全体が静まり返った。
その日の夜、我が家はかつてない歓喜に包まれていた。
母さんはチャチャのために、魔力をたっぷり含んだ最高級の魚料理を作り、チャチャはそれを幸せそうに平らげた。真央姉さんはチャチャの新しい翼(のような触覚)を優しく撫で、精霊の歌を聴かせている。
「拓海、チャチャの魔力を解析したわ」
母さんが驚きを隠せない様子で報告してくれた。
「この子は、この世界の『神獣』に近い進化を遂げているわ。空間を跳躍し、あらゆる物理法則を凍結させる力を持っている。……もしかしたら、この子が私たちを繋ぎ止めてくれたのかもしれないわね」
あの日、死の直前。
チャチャが放った無意識の「守りたい」という願いが、異世界の理と共鳴し、僕たちを家族としてこの地に繋ぎ止めた。その代償として、あの子はこんなにも異形な姿になってしまったのかもしれない。
チャチャは食後、僕の膝の上に乗って丸くなった。
その温もりを感じながら、僕は改めて窓の外の闇を見つめた。
帝国の影、魔導兵器、魂の実験。
僕たちを脅かそうとするすべてに対して、僕の心は今、かつてないほど冷徹で、かつ燃えるように熱い。
「チャチャ、もう一人にはさせない。僕たちが、この世界を君にとっても、僕たちにとっても最高の遊び場に変えてみせるから」
チャチャは短く「ニャ」と答え、誇らしげに鍵しっぽを振った。
十五歳の知恵、最強の家族、そして神獣へと進化した愛猫。
僕たちの「再誕録」は、欠けていた最後のピースを埋め、いよいよ真のクライマックスへと向かって走り出す。
アステリアの夜空に輝く二つの月が、僕たちの新しい門出を祝うように、いっそう強く輝いた。
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