悪夢
マンガだけで八〇ページを超える原稿は、四人がかりで描いてはいるが果たして月曜日の締め切りまでに仕上がるものか、紫苑には見当もつかない。
ひとりずつ三時間の仮眠をとりながら原稿を描きつづけること、翌日の午前七時──
現在は、里沙が寝に行ってから一時間半ほど経ったところだ。
「しーちゃん、杏ちゃんが来るのってたぶん十時とか十一時とかそのくらいだから、寝ておいでよ。今しかないよ、今!」
ローテーブルについてあぐらをかいた紫苑の膝を、ゆさゆさと千夜が上下に揺らす。
定規を駆使して廊下の板張りを描いていた紫苑は、線がゆがむ前に手を止めた。
「おまえこそ、寝不足ってツラしてるぞ」
「んー、いつもベッドに行ったらコロリと寝ちゃうんだけどさ。昨日はいろいろ考えて、うとうとしだしたらもう真名が起こしにきたから」
「じゃあ、代わりに寝てきていいぞ。俺は、杏さえ戻ってきたら家に帰って心置きなく爆睡できるし」
くしゃりと髪を撫でた紫苑の腕をつかんで、ちら、と千夜はダイニングテーブルの真名の背中を振り返る。
そして、やや声をひそめた。
「いい。どうせ眠れないもん。でも……ここで三十分だけ寝ちゃってもいい?」
「? ああ」
紫苑がうなずくと、千夜はそのままあろうことか、紫苑の膝を枕にして横になる。
「ここ、っておまえな──」
「里沙がいるとうるさいし、杏ちゃんの前だと恥ずかしいから」
うるさいのは里沙じゃなくおまえだろう、とおもったが、紫苑は目を閉じた千夜に、それ以上は言い返さずにおく。
右足だけが、ひだまりのようにあたたかい。
「顔にらくがきしてやろうか」
くちびるが笑ったけれど、千夜は目を開けなかった。
紫苑が実際にやるはずがないことを見抜いているのだろう。
杏に見られて恥ずかしいというのは、それが子どもっぽい甘えの行為にすぎないという自覚がある、と言っているようなものだ。
昨夜の『好き』には、それまでとはちがうニュアンスがある気がしたが、紫苑の早とちりだったらしい。
たしかに、身内への愛情でなければ、紫苑の前でセミヌードになどなれないだろう。
紫苑は、つけペンを持った手で、千夜の髪をさらりと指にからめ取った。
まだまだ子どもな従妹に、ほっとしているのか、残念におもっているのかは、自分でもよくわからない。
左利きの紫苑は、右膝に時折視線をやりながら、背景描きをつづけた。
やがて三十分は経ったが、ぐっすりと寝入っているようなので紫苑はつい起こすのをためらい、さらに三十分ほどが過ぎる。
もし杏が目の前に座っていたら、紫苑くんは甘いなーと笑っただろう。
真名は、気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、何も言ってはこなかった。
もしかしたら、テーブルに肘をついた姿勢のまま、こちらもうつらうつらしているのかもしれない。
「……やだっ、待って────!」
唐突な叫び声に、紫苑はびくっ、と手を止めた。
視線をやれば、ぽっかりとまぶたを開けた千夜と目が合う。
「──アレっ?」
「あれ、じゃねーよ。杏とケンカ別れする夢でも見たか? 心配すんな、夢だから」
ぽんぽん、と頭を撫でてなだめた紫苑の手に、持ち上がった千夜の手が触れ、ぎゅっと指をからませてきた。
よほどこわい夢でも見たのだろう。
手のひらに、しっとりと汗がにじんでいる。




