ミケランジェロの葛藤
「ミケランジェロも?」
「……いや、いい。こんなはなししてもな」
「してください。聞きたいです。私、いつも紫苑さんに聞いてもらうばかりだから……」
真摯にうながす真名を見返し、紫苑はぽり、と頭を掻いた。
「あのころの芸術家は、有力者の依頼で美術品を制作してたんだ。だから、ミケランジェロは彫刻家で、彫刻がやりたいにもかかわらず、彫刻だけを彫っているわけにはいかなくて、絵も描かされているんだよ」
「お金のために、ですか?」
「権力者には逆らえない──って芸術家の身分ゆえかな。いや、依頼主はローマ法王だから、神に逆らうことはできない、か?」
「…………その、ミケランジェロの絵って」
紫苑はこくりとうなずいた。
「だいたい誰でも知ってるよな。『最後の審判』と『天地創造』──他にもあるけど、このふたつはヴァチカンが誇る最重要で最高峰で最大級の壁画と天井画だ。嫌々でも、渋々でも、描けと言われて描いたからこそ、あの世界的な芸術作品が生まれたわけだから。だからまあ、やりたいことだけやれたら本人はしあわせかもしれないけど、それ以外が無駄で無意味なものになるとはかぎらないっていうか……」
紫苑は語尾をにごして、後ろ髪を掻いた。
やはり言わなければよかったと後悔する。
「いや、そもそも、神のごとき天才を例に取るなってはなしだけどな。ほらみろ、つまんないはなしだっただろ?」
「いいえ。紫苑さんが全力で描けば、きっとすごいマンガになるんだろうな、とおもうし。ただ──私が言うのもアレなんですけど…………紫苑さん、マンガ家になったとしてもそんなにお金は稼げないとおもいます」
「えっ、どうして?」
「だって。売れたいなら、ちゃんと売れそうなはなしを描かないと。それじゃダメだって、紫苑さん今、自分で言ったんですよ?」
あっ、と紫苑はバカみたいに大口を開けた。
紫苑の意見ではなく、あくまでも杏の基準を参考にした判断ではあるが──それでも、夢とか希望を与えないはなしに大勢の読者が獲得できるとは、紫苑もおもわない。
「…………そうだな。俺は、マンガ家になったとしても貧乏しそうだな。なんてこった……」
肩を落とした紫苑を、くすくすと真名が笑う。
「ごめんなさい。──でも、描かせてって言ってもらえて、すごく……すごくうれしい。みんなに見せる勇気が出ました。ありがとう、紫苑さん」
さっき肩を落としていたのは真名だった。
それをおもえば、紫苑は自分が笑われていることもさして気にならない。
「そのはなし、俺は好きだし……たぶん、チーもそう言うとおもうぞ。フィクションなんだし、もうすこし希望のあるラストにならねーもんかな、とはおもうけど。胸が痛くなるストーリーだって、それはそれで立派な作品だしな。むしろ、とことんシリアスに描くべきだとおもうし、俺ならそうする」
真名にプロットを返して、紫苑は椅子を立った。
「じゃあ、俺もシャワー借りるな。あと、早く髪乾かせよ。風邪ひくぞ」
ぽん、と叩いた頭はまだしっかり湿っていた。
真名が、急いで紫苑の感想を聞きにきたのがわかって、なんだかほほえましい。




