おにぎりとおみそ汁
千夜の部屋は、以前ベッドを借りたのでタンスとベッド以外は、あっちもこっちもマンガの単行本が詰まった本棚だらけだということは見知っている。
その内の半分以上は、紫苑の父親からまとめて譲り受けたマンガにちがいなかった。
真名の方が後で部屋を出たからか、ベッドの上には折りたたまれたタオルケットと枕がふたつずつ整然と並び、着替えた服が放りだされていることもなかった。
そのベッドのふちに背をあずけるようにして床に腰を下ろした紫苑は、ぱらりとスケッチブックをめくる。
白いページを見つけるなり、あとは一心不乱にえんぴつを走らせた。
描くのはもちろん、あの謎の美しい女性のすがた──
アップやロングだけでなく、その足や、手、腰回りの服のしわなど、おもいだせるかぎりの美を、紫苑は画用紙へと吐き出していく。
ひとつひとつ、わずかにちがうほほえみの数々も、おもいだせるだけ、ぜんぶ…………
ときおり、真名の寝顔や、見たばかりの腿裏がちら、と思考をかすめたが、紫苑はそれを振り払い、自分の妄想だ、願望だ、と言われても仕方のない理想のままの女性のすがただけを、無心に描きつづけた。
いっそ、木でもあれば刻んでしまいたいくらいだったが、紫苑の技術ではまだ、あの美しさを立体で再現しようとしても、おもうとおりにはいかないだろう。
どのくらいそうしていたのか。
画用紙を軽く十枚はびっしりと絵で埋め、えんぴつの芯もいよいよすべてが平らになって線が引けなくなったころ、ぐうぅ、と紫苑のお腹が鳴った。
手を止めて、部屋の中に時計を探そうとしたとき、開けっ放しにしていたドアの方から、あのね、とずいぶん控えめな声が掛けられる。
「もう、十時すぎちゃったよ。朝ごはん食べないの、しーちゃん?」
見れば、ドアの間に跪いている千夜のそばに、おぼんに載った朝食が見てとれる。
「おにぎり、持ってきてくれたのか」
「うん、これなら描きながら食べれるかなーとおもったんだけど。声かけるなって言ったから……おみそ汁、もう冷えちゃったよ」
紫苑はえんぴつを置くと、ぐっ、と両腕を挙げて伸びをした。
「さすがに、腹減ったな」
「はい、おにぎり食べて。おみそ汁は温めてあげるから、キッチンにおいでよ」
膝歩きで寄ってきた千夜が、おにぎりが載った皿を差し出してすすめてくれる。
紫苑は三角よりは丸に近いおにぎりを取り上げ、そのずしりとした重さに笑った。
「これ、にぎったのおまえか?」
「そうだよ。おいしくない? 塩の味する?」
「だいじょうぶだ、ちゃんとうまい。まあ、かたちは改善の余地があるけどな。さんきゅー」
うんっ、と千夜が笑い返してくる。
それから、紫苑の投げ出した脚の上にあるスケッチブックに目をやり、つん、と指で突いた。
「しーちゃん、見てもいい?」
「いいけど、おまえだけな? 他のやつらには見せらんねー」
「えー、どうしてぇ?」
笑ってスケッチブックを取り上げた千夜は、紫苑がおにぎりふたつを平らげるころ、すっかりつり上がった目で紫苑を睨めつけた。
「これ、真名たちに見せちゃう」
「は? だから……」
「嫌なら、私のことも描いて。描いてくれなきゃ、これ、破って一枚ずつリビングに飾っちゃうから」
紫苑は塩でべたついた指先をぺろ、と舐める。
その間も、千夜のふぐのように膨らませた頬がしぼむことはなかった。




