「ゼロじゃない」
「なあ、真名。どんなはなしを書くのか知りもしないで適当なことは言えねーけど。絵は、描いてりゃ上手くなるんだ。今が下手でも、理想を下げないで描きつづけてるやつだけが上手くなれる。ストーリーも、もっとおもしろいものをとか、たくさん読んでもらえるようにとか、おもって考えつづけることが大事なんじゃないか?」
紫苑は、リビングの戸をちらりと見た。
その向こうに消えた杏のことを考える。
「それじゃ売れない、って──それが事実だとして、だからおまえに考えるなって言ってるんじゃないだろ? むしろ、もっと考えてくれって言ってるんじゃないのか?」
「え……っ?」
「俺だって、デッサンが狂ってりゃ、おかしいって言うよ。だから駄目だ、描いても無駄だなんて言いたいんじゃない。改善の余地があるって言いたいだけだ。もっと良くなる方法があるって──わかってて言わない方がずっと相手をバカにしてるとおもわないか?」
「…………でも──」
「杏を仲間だとおもってるなら、どんなものならいいのか、なにが足りないのか、ちゃんと聞いてみろ。わかることなら答えてくれるし、わからないことは四人で頭を悩ませたらいいじゃねーか」
紫苑は、真名の右手を取った。
ふわりと白い、ペンだこもないきれいな手を。
「創作者として、譲れないところは譲らなくていいし、欲しいもののために譲れるところは譲ったらいい。すぐにはストーリーで貢献できなくても、考えることはやめるなよ。いつかできるようになるまで、背景でも何でも描いて頑張ってたらいいじゃないか。真名が自信を持てるように、俺もなるべく力になるから」
こく、と真名がうなずく。
その瞳には、またじんわり涙がにじんでいた。
「ありがとうございます、紫苑さん。私、なんにもできないのに、頼ってばかりで……」
「なんにもじゃないだろ。ふつーにできるから忘れてるのかもしれないけど、例えばチーにオムライス作れっていったら、倍くらい時間がかかるに決まってるし、味も見かけもあんなふうにはいかないぞ。背景を描くのだって、テレビに映像を出したり、パソコンで調べたりを俺がやろうとおもったら、きっと真名があきれるくらい、とんでもなく時間がかかるしな」
真名がきょとんとまたたく。
涙もどうやら引っ込んだようだ。
「それに。おまえは俺が描いた下書きをそりゃー丁寧にペンでなぞって背景を描いてたけど、杏はそういうのがニガテなんだと。里沙がさっぱり理解できなかったパースも、おまえは一発で理解できたじゃねーか。かんたんな背景なら、もうひとりでちゃんと描き込めるようになったしな」
「まだ、時間がかかっちゃいますから」
「それでも、できるかできないかでいえば、できるんだからゼロじゃない。おまえがあたりまえみたいにやってるトーン貼りでさえ、秋美に言わせりゃ神業なんだぞ。おまえ、トーンを線に沿ってぴったりカットするなんて当然だとおもってるだろ? でも、それができないやつだっているんだ。おまえが十分でやるところを、一時間もかかってちまちまやるしかないようなやつがな」
真名が、口元に手をやってへんな顔をしている。
笑いそうになって、でも失礼だとおもって寸前でかみ殺したのにちがいない。
「食器も、風呂場も、トイレも洗面所も、みんなきれいだ。そうしてるのはおまえだろ?」
紫苑はリビングダイニングを見渡した。
里沙はどうか知らないが、面倒くさがりの千夜ひとりでは、こんなに片づいた部屋に住むのは不可能だろうと紫苑はおもう。




