東行西行
「そうだよ、里沙ちゃん。端から見ると、けっこう際どいけど、いいのかな?」
背後から聞こえた声に、紫苑が振り向くより先に、真名が千夜の横をすり抜けるようにして浴室に入った。
そして、里沙の視線の先にいるクモを確認するや否や、平然と近寄り、手を伸ばす。
「ぎぃやぁぁぁ!」
千夜の悲鳴をものともせず、真名はクモを両手の中にはさみ込み、けろりとした顔で振り返った。
白く、見るからにかよわそうな手をした真名が、よりによって素手でクモを捕獲したのには、紫苑もおどろいてしまう。
「真名、平気か?」
「はい。クモは、咬んだり刺したりしないし、飛んで襲ってきたりもしませんから」
「うっそだー。クモは飛ぶよ!」
「千夜、外に逃がすから玄関のドアを開けて」
ハイ、とすなおに返す千夜を、紫苑は生まれて初めて見たかもしれない、とおもった。
千夜と真名がバスルームを出て行ってしまうと、バスタオルを巻いた里沙と紫苑だけが残されてしまう。
胸を押しつけているというのはどう考えても千夜の誇張だったが、さっきから、腕と腕の皮膚が触れ合ったままだ。
振り払うのも何なので、紫苑は離してくれるのを待つことにした。
「もう、安心だろ?」
「ねぇ……さっきの、怒った?」
「さっきの──?」
「…………何でもない。紫苑は、千夜みたいにすなおな子にだけ、やさしくしてれば?」
なぜか紫苑は、すなおじゃないけどやさしくして、と言われている気がした。
離れるどころか、よけいに接触面積が広くなったようにもおもえるのは、態度で示す『ごめんなさい』のつもりなのかもしれない。
くっついてやれば男は機嫌を直すはず、とおもわれているとしたら心外だったが、正直、悪い気もしなかった。
「そーいや。おまえ、千夜の部屋の俺の絵を、持って行こうとするんだって?」
「あ! あれはべつに、ただ、どうやって描いてんのか謎で、見て研究してただけで──」
「だからな。おまえにもパースのきいた構図で、何か描いてやるよ。誰の絵がいい?」
とたん、ぐっ、と紫苑の左腕に体重がかかった。
もしかして今、手の甲に触れているのはバスタオルのすそ側のふちだろうかとおもうが、見て確認する勇気はとてもない。
「あのね! 『転覇伝』の、高杉と義清! 東行西行コンビ!」
「……コンビだな? ホモ絵を期待すんなよ」
「紫苑は、やればできるはず!」
「そんなとこで根性出すかよ。アホくせー」
紫苑の返事のなにがおもしろかったのか、里沙がふふっと笑う。
笑うと、里沙は本当にかわいい。
できれば、いつも笑っていて欲しいくらいだ。




