みんなの日常
王都の朝。
冒険者たちが依頼を受け、街へ出ていく頃。
王都の中心部に建つ騎士団本部では、すでに多くの騎士たちが動いていた。
「――以上が、被災地から届いた最新の報告です」
会議室。
机の上に広げられた地図を前に、フィルティーナは静かに報告書へ目を通していた。
「河川の氾濫による家屋の損壊が三十七棟。橋が一本、使用不能。食料と飲料水については、あと四日ほどで不足する可能性があります」
「……四日か」
フィルティーナの向かいに立つセドリックが腕を組む。
「それなら、今日中に第一陣を出しましょう」
「そうですね」
フィルティーナは頷いた。
「騎士を二十名。治癒術士を四名。食料と建築資材を積んだ荷馬車を五台」
「了解です」
セドリック・ヴァレンは即座に手元の書類へ書き込む。
「それと、現地の復旧作業ですが――」
「人手が足りません」
「でしょうね」
セドリックが苦笑した。
「毎回そうですから」
フィルティーナも小さく笑う。
「では、私も同行します」
「団長自らですか?」
「現地の状況を直接確認したいので」
「……分かりました」
セドリックは小さくため息をついた。
「では、私も同行します」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
セドリックは書類をまとめながら肩を落とした。
「団長が行くとなると、私が行かないわけにはいきませんからね」
「助かります」
「その代わり――」
「?」
「帰ってきたら、書類を少し減らしてください」
「努力します」
「努力じゃなくて実行してください」
部屋に小さな笑い声が響いた。
───
数時間後。
騎士団の一団は、被災した村へ到着した。
村にはまだ、洪水の跡が残っていた。
泥に覆われた道。
倒れた柵。
半壊した家屋。
それでも。
村人たちは、できることから少しずつ片付けを始めていた。
「騎士団の皆さん!」
村の代表が駆け寄ってくる。
「ありがとうございます!」
「礼は不要です」
フィルティーナが穏やかに答える。
「まずは、皆さんの安全を確認させてください」
その声を聞いて、村人たちの表情が少しだけ緩んだ。
「怪我をした方はこちらへ!」
治癒術士が声を上げる。
「食料はこちらに運びます!」
「資材は倉庫へ!」
騎士たちが一斉に動き始める。
セドリックも荷馬車から降りると、すぐに現場へ入った。
「壊れた家は?」
「十軒ほどが特に酷いです」
「では、大工を優先して配置します。騎士は瓦礫の撤去を」
「はい!」
「それから――」
セドリックは周囲を見渡す。
「子供たちは?」
「避難所に集めています」
「分かりました。そこにも人を」
指示が次々と飛ぶ。
無駄がない。
騎士たちは迷うことなく、それぞれの持ち場へ散っていった。
その様子を見ながら、フィルティーナは小さく頷く。
「……頼りになりますね」
「何か言いました?」
「いえ」
「絶対何か言いましたよね?」
セドリックが振り返る。
「なんでもありません」
「そうですか……」
セドリックは少し疑わしそうな顔をしながらも、再び作業へ戻った。
昼を過ぎる頃には、村の瓦礫の一部が片付いていた。
水路も応急処置が施され、食料の配給も始まった。
疲れて座り込む騎士たちの姿もあったが。
村人たちの顔には、少しずつ笑顔が戻っている。
「ありがとうございます……」
年配の女性がフィルティーナに頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
「私たちは騎士ですから」
フィルティーナは優しく微笑む。
「困っている方を助けるのは、当然のことです」
その言葉を聞いた女性は、涙を拭った。
フィルティーナはしばらくその場に立ち。
村の様子を静かに見つめていた。
───
一方。
王都冒険者ギルド。
「……次の方、どうぞぉ」
受付の奥。
長く黒い髪。
黒い着物。
目を閉じたまま、椅子に座っている女性がいた。
白織 鞠凪。
彼女の前には、大きな秤。
その横には、素材を分類するための箱がいくつも並んでいる。
魔物の牙。
爪。
皮。
薬草。
魔石。
鉱石。
その他、冒険者たちが持ち込んだ様々な素材。
鞠凪は、その一つ一つを手際よく確認していた。
――彼女は、冒険者ギルドの正式な職員だった。
担当は、素材鑑定・買取。
冒険者として長く活動してきた経験を買われ、素材の品質確認から価値の査定、買取までを任されている。
ただし。
ずっと受付に座っていたわけではない。
鞠凪は少し前まで、長期の遠征に出ていた。
その遠征を終えた際、ギルドから報酬の一部として長期休暇を与えられていたのである。
そして最近。
長い休暇を終え、再びギルドの仕事へ戻ってきた。
だからこそ。
夜叉たちも、以前からギルドで鞠凪の姿を見かけてはいた。
けれど。
誰も、それを「仕事中の鞠凪」だとは思っていなかった。
何しろ鞠凪は、見た目だけなら。
いつもと変わらない冒険者の姿でギルドにいる。
夜叉たちはずっと、
――お母さんも冒険者として依頼を受けに来ているのだろう。
そう思っていた。
「ゴブリンの耳が十六。ウルフの牙が八本です」
「はい」
若い冒険者が差し出した袋を、鞠凪が確認する。
「状態も問題ないみたいですねぇ」
「分かるんですか?」
「分かりますよぉ」
目を閉じたまま、鞠凪は素材を一つずつ確認していく。
「こちらが買取金額です」
「ありがとうございます!」
冒険者が去る。
「……次の方」
また一人。
「薬草なんですけど」
「はい」
「これ、いくらになります?」
鞠凪は薬草を手に取る。
「乾燥が甘いですねぇ」
「えっ」
「このままでは品質が落ちますよぉ」
「あ……」
「次からは風通しの良い場所で乾燥させてくださいねぇ」
「はい!」
冒険者は慌てて頷いた。
───
その頃。
白猫の足跡の四人は、依頼を終えて王都へ戻ってきていた。
「いやぁ、今日は楽だったな」
カイルが言う。
「依頼自体はね」
リゼットが答える。
「でも、せっかくだし今日は素材もまとめて売っちゃおうか」
レオンが背負っていた袋を見る。
「そうだな」
夜叉も頷く。
「最近、溜め込んでたもんねぇ」
「そうそう」
カイルが袋を叩く。
「普段は必要な分だけ売ってるけど、今回は結構溜まってる」
そこには、今日の依頼で得た素材だけではなく。
これまでの依頼で少しずつ保管していた素材も入っていた。
ゴブリンの耳。
ウルフの牙。
大型魔物の爪。
状態の良い魔物の皮。
いくつかの魔石。
さらに。
長期間保管していた、少し珍しい素材まである。
色の濃い魔石。
魔力を帯びた鉱石。
希少な薬草。
そして、滅多に手に入らない大型魔獣の素材。
「これ、全部売ったら結構な額になりそうね」
リゼットが言う。
「だろ?」
カイルが得意げに胸を張る。
「たまにはこういうのもいいだろ」
「そうだねぇ」
夜叉も頷いた。
「おいしいもの食べられるかなぁ」
「結局そこか」
レオンが笑う。
四人は素材買取の列へ並んだ。
そして。
少しずつ順番が近づいてくる。
「次の方――」
聞き覚えのある声。
夜叉が固まった。
「……?」
レオンたちも顔を上げる。
受付の向こう。
黒い着物。
長い黒髪。
目を閉じた女性。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人の間に沈黙が落ちる。
鞠凪が顔を上げた。
「あら〜」
夜叉が目を丸くする。
「お母さん?」
「はい」
鞠凪はいつもの調子で答えた。
少しだけ丁寧な口調で。
「お仕事中ですよぉ」
「…………」
夜叉はしばらく黙った。
「……お母さん」
「はい」
「ここで働いてたの?」
「そうですよぉ」
「…………」
「…………」
「初めて知った……」
「そうでしょうねぇ」
鞠凪は平然としている。
「言ってませんからねぇ」
「なんでぇ!?」
夜叉の声がギルド内に響いた。
周囲の冒険者たちが一斉に振り返る。
「……」
鞠凪は少しだけ首を傾げた。
「聞かれなかったですからねぇ」
「そういう問題じゃないよぉ!」
リゼットが口元を押さえる。
「ふふ……」
カイルは肩を震わせている。
「なるほどな……」
レオンが鞠凪を見る。
「だから、前にもギルドで見かけたことがあったのか」
「そうですよぉ」
「俺たち、ずっと冒険者として来てるんだと思ってました」
「よく言われますよぉ」
鞠凪は淡々と答えた。
「長期遠征から戻って来たから、またお仕事させてもらってるんですよぉ」
「長期遠征……」
リゼットが目を丸くする。
「それで長期休暇をもらってたのね」
「そうですよぉ」
鞠凪は頷く。
「休暇中は、ほとんど仕事をしてませんでしたからねぇ」
「じゃあ本当に最近復帰したんだ」
「はい」
夜叉はまだ驚いている。
「……お母さん」
「はい?」
「私、全然知らなかったよぉ」
「そうでしょうねぇ」
「もうちょっと教えてくれても……」
「聞かれなかったですからねぇ」
「またそれぇ!?」
今度はカイルまで吹き出した。
───
「では、素材を確認しますね」
鞠凪は、今度は完全に仕事の顔になり、目の前に積まれた素材を見た。
「……随分ありますねぇ」
「溜めてた分もあるからねぇ」
夜叉が答える。
鞠凪は一つ目を手に取る。
「ゴブリンの耳」
二つ目。
「ウルフの牙」
三つ目。
「大型魔物の爪」
四つ目。
「魔石」
そして。
少し珍しい素材の入った袋を開く。
「……これは」
鞠凪の手が止まった。
「珍しいものもありますねぇ」
「結構いいやつ?」
カイルが身を乗り出す。
「ええ」
鞠凪は素材を丁寧に確認する。
「状態も良いです」
「やった」
「ただし」
鞠凪が続ける。
「こちらの魔力を帯びた鉱石は、少し保管方法を変えた方がいいですねぇ」
「え?」
リゼットが聞く。
「他の魔石と一緒にしていると、魔力が干渉する可能性があります」
「なるほど」
「こちらで分けておきましょう」
「お願いします」
レオンが頷く。
さらに。
鞠凪は大型魔獣の素材を手に取った。
「これは……」
「高い?」
夜叉が聞く。
「高いですねぇ」
「やったぁ」
「ただし、処理が少し甘いです」
「…………」
夜叉の表情が止まる。
「買取額は下がりますねぇ」
「そっかぁ……」
しょんぼりする夜叉。
「でも」
鞠凪が続けた。
「素材そのものは非常に良いですよぉ」
「ほんと?」
「はい」
夜叉の顔が戻る。
「じゃあ、よかったぁ」
「現金だなぁ……」
カイルが笑う。
全ての査定が終わる。
鞠凪が合計金額を伝える。
「…………」
四人が黙る。
「結構あるな」
レオンが呟く。
「思ってたより多い」
リゼットも目を丸くする。
「これなら、しばらくは余裕ね」
「何食べようかなぁ」
夜叉はもう次のことを考えている。
「夜叉は食べ物ばっかりだな」
カイルが笑う。
「だって、お金があるならおいしいもの食べたいよぉ」
夜叉は嬉しそうに笑った。
鞠凪はそんな四人を眺めていた。
そして。
「……また素材が溜まったら持ってきてくださいねぇ」
「うん」
夜叉が頷く。
「お母さんがいるなら、持ってくるねぇ」
「はい」
鞠凪は微笑んだ。
こうして。
白猫の足跡は、思いがけず。
鞠凪の職場を知ることになった。
───
同じ頃。
被災した村では。
騎士たちが瓦礫を運び。
治癒術士が怪我人を診て。
村人たちが少しずつ日常を取り戻していた。
フィルティーナは遠くからその様子を見つめていた。
隣では、セドリックが次の指示をまとめている。
「今日中に応急処置を終えられそうですね」
「はい」
「では、明日は橋の復旧を優先しましょう」
「お願いします」
それぞれの場所で。
それぞれの仕事がある。
冒険者たちが依頼へ向かう。
騎士たちが人々を守る。
誰かが魔物と戦い。
誰かが素材を買い取り。
誰かが壊れた村を直している。
世界は。
大きな事件だけで動いているわけではない。
誰にも知られない場所で。
今日もまた。
それぞれの一日が、静かに続いていた。
読んでくれてありがとうございます〜
あと少しで二章入ります!




