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10・番衝動の悲劇とクリスティの力



 足早に逃げるように去っていく背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。

 役に立った、のかしら、この力。


「……あ、あの……」

 さっきまで傷だらけだった少年が身体を起こし、何が起きたのかわからないみたいに戸惑いながらも声をかける。


「大丈夫? ごめんなさいね、王妃の屋敷への侵入とはいえ、容赦がなくて。探し物は見つかったのかしら?」

 私がなるべく怖がらせないように優しく声をかけると、少年はゆっくりと立ち上がって小さくうなずいた。

 手に大事そうに握られているのは、一枚の写真。

 女性の獣人が、小さな子供の獣人を抱っこして笑顔で映っている。

 写真の子も女性も、今ここにいある少年と同じライトブラウンの毛色。ということはこれは──。


「この方……もしかしてあなたのお母様?」

 私が何気なくそう尋ねると、少年の瞳がゆらりと揺れた。


「……はい。僕の……母さんです。……発情期の番衝動の暴走で父に殺された……」

「っ!? お父様に……?」

「……僕の母さん、番じゃ、ないから……。大人になったら、発情期の番衝動で暴走することがあるんですよね? それで……父さん、母さんの事、『偽物だ』って……。それから僕、怖くなって、家を出て……。町の裏路地のスラム街で暮らすようになって……。丘で薬草を摘んでいたら、風で胸ポケットに入れていた写真が飛ばされてしまって、それで、ここに……。本当に、ごめんなさい……」


 自分のパートナーですら、番でなければ殺めてしまうこともある番衝動の暴走……。

 獣人ならではのその衝動の恐ろしさを、あらためて感じた。

 自分の親が自分の親を殺すそれを見てしまった子どもに、どれだけの傷を残すことか……。

 これは、何とかしなければならない重大な問題ね。

 この国の人々の為にも、そして、誘拐婚に巻き込まれる、諸外国の為にも。


「あの、助けてくださって、ありがとうございました……」

「いいのよ。引き留めてごめんなさいね。さ、もう行きなさい。写真、大事にね」

 少年は何度も頭を下げながら、走り去っていった。


「…………クリスティ様、今のは……」

 ふぅ、吐息をついて振り返れば、何とも言えない表情のカイル。


「……傷が、消えていましたが……」

「ええ」

 隠すつもりはない。

 まぁ、敢えて言うつもりもなかったけれど。


「少しばかり、特別なの、私。聞いたことない? マルボロ王家の人間には、何かしら特別な力が宿ってる、って。私の場合は治癒の力、なのよね。ふふ、医療大国であるマルボロには無駄な力。わかったでしょう? 私が”役立たず王女”と呼ばれる訳」

 そう言って微笑むと、カイルは驚き目を見開いてから、眉をひそめた。


 医療技術の発達した国に治癒能力だなんて、今更感でしかない。

 兄のような水を操る力や、姉のような植物を育てる力だったならば、干ばつを潤し植物を育て豊作を促すことだってできた。だけど私は、特に必要のない力。


「……理由は、わかりました」

「でしょ? 仕方な──」

「ですが、私はそうは思いません」

 そう私の言葉を遮って、カイルはじっと私を見つめた。


「その力は、人の痛みを癒してくれる素晴らしい力です」

「っ……ありがとう……」

 親子そろって同じことを言ってくれるもんだから、何だか目元が熱くなって、私はふいに顔を逸らした。


「──クリスティ様は、なぜあの少年を助けたのですか?」

 突然繰り出された純粋な疑問に、私は顔を逸らしたまま答える。


「気まぐれよ。たまたま声が聞こえて、目に入ったから」

「それだけ、ですか」

「えぇ。それ以上の理由が必要?」

 逆に問い返すと、カイルは言葉に詰まった。


「……カイル」

 静かに名を呼び、熱が引いてきた顔で振り返って続ける。


「あなたは、ああいう光景が嫌いなのよね?」

 私の言葉に、カイルはまた目を大きく見開いて言葉を無くしたまま私を見つめた。


 弱者を強者が一方的に組み伏せて言うことをきかせようとするそれは、きっと彼にとっての妹さんを無理やり連れて行った獣人そのものだ。


「安心して。私も嫌いよ。だから──」

 視線を庭に向けると、いつもの穏やかで綺麗な景色。

 先ほどまでの騒ぎが嘘のように静か。


「少しは、マシにしていくつもり」

 独り言のように、そう呟く。


 この国を、この場所を、ほんの少しでも。

 その横顔を、カイルは黙って見詰めた後、胸に手を当て、首を垂れた。


「……あなたの、思いのままに」

 低く、静かな声が響く。


「私は────そのための剣となりましょう」


 その静かな誓いに、私はぽかんと口を開けたまま静止して、やがて頬を緩ませ言った。


「えぇ。頼もしいわ」

 

 カイルは何も答えなかったけれど、わずかに、ほんのわずかに、表情が和らいだ気がした。


 

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