第120話 夜のコンビニと君のブラックコーヒー
「おつかれさま、大河くん」
「ありがとう」
俺は彼女の左隣に腰を下ろした。
桜井さんは、膝の上に置いていた缶コーヒーを両手で包み込む。
しばらくそうしたまま、じっと缶を見つめてから、そっとプルタブに指をかけた。
――カシュ。
小さな音が、夜の空気に溶ける。
立ちのぼる湯気が、街灯の光に照らされて一瞬だけ白く揺れた。
彼女は少しだけ息を吹きかけてから、ゆっくりと口をつける。
「……あつ」
小さくそう言って、すぐにもう一口。
今度はさっきより、ほんの少しだけ長く。
喉を通る音が、近くに聞こえた。
「苦い?」
「うん。ちょっとね」
そう言って、彼女は缶を見下ろす。
俺は何も言わず、その横顔を見ていた。
夜のコンビニの灯り。
自動ドアの開閉音。
遠くを走る車の音。
彼女はもう一度、ゆっくりと缶を傾ける。
――ごく。
そして、小さく息を吐いた。
「……ふぅ」
「……なあ、びっくりした?」
「え?」
「俺の言葉」
少しの沈黙。
桜井さんは、缶コーヒーを見つめたまま、ほんの少し考えてから言った。
「……ちょっと、ね」
「だよな」
「でも」
「ん?」
彼女は顔を上げて、俺を見る。
やわらかい笑顔だった。
「嬉しかったよ」
「桜井さん」
「私ね……私の一方通行かなあ、って思ってたから」
言葉を選ぶみたいに、ゆっくり続ける。
「だから、すごく嬉しかった。
あのあとね、家にいてもじっとしてられなくて」
「……うん」
「でも、うまく言葉にできなくて。
それで……やっぱり、ここに来ちゃった」
俺は少しだけ息を吐いた。
「俺も同じだよ」
「え?」
「何度か連絡しようとも思った。でもさ……」
夜のコンビニを一瞬だけ見上げてから、正直に言う。
「たぶん、ここで会ったほうが、伝わる気がしたんだ」
桜井さんは何も言わなかった。
ただ、静かにうなずいて、缶コーヒーを両手で包み直した。
「桜井さん」
「はい」
敷地内に咲く桜の花びらが、ふわりと舞った。
「俺は、桜井さんのことが好きだ。
だから――俺と、付き合ってほしい」
一瞬だけ、世界が止まる。
それから。
「……はい」
少し間を置いて、彼女は微笑んだ。
「喜んで」




