Chap1 ep5-魚眼、弓手を睨む
風の刃は綺麗に直撃したものの、巨体を後方に吹き飛ばすだけに終わってしまう。傷すら付けることができなかったため、鱗が鎧の役割をしているとラドエフは推測した。怒り狂った魔物が迫って来ているが、陸上での移動は得意としていないようで、お世辞にも俊敏とは言えない動きをしている。
自身の鈍足さに嫌気が差したのか、魔物は海中へと姿を消していく。ラドエフが安堵したその時、
「警戒しろ! 飛び上がってくるぞ!」
避難者の中から声が上がった。その警告通り、海底から勢いをつけた魔物が空高く飛び上がり姿を見せる。間違いなくラドエフが狙われていた。選択肢は2つ。回避か迎撃か、選ばれたのは後者。急速に魔力を込めると、最大火力で解き放つ。大量の砂を巻き上げ、空高く打ち上がった旋風は槍のように鋭利な先端を形成した。瞬時に練り上げたにしては上出来だが、軌道の調整が甘く直撃は避けられてしまう。
「相性は最悪みたいだな」
現在のラドエフの主力武器である風魔術は、眼前の魚には効きが悪い。かと言って大鎌があったところで、この装甲に対して斬撃による効果も見込めそうになかった。飛行船での経験の影響か、魔力はまだ有り余る程に残っている。長期戦は好きではないものの、増援が来るまで耐える立ち回りをするのが安牌だと覚悟は決めていた。
今最も欲しい物を聞かれたら打撃武器だと即答できるくらいには、ラドエフは困り果てる。乏しい攻撃手段に加えて未知の魔物、自身の風によって巻き起こされる砂の霧も、何とも戦い辛い状況を構成するには不可欠だ。
砂の霧が晴れきった頃、着地点を大きくずらされた魔物は砂浜の上で踠いているのが視認できた。幸運にも自慢の鎧は所々損耗している。ラドエフは先程までの考えを完全に取り消した。
「こいつは俺が仕留めてやる」
握りしめられた拳は、鱗が損傷し剥き出しとなった青き巨体を捉える。
♦マリーズ大市場
「うへへぇ、見てこれ。ネックレス買っちゃった」
ルアナが自慢気に見せつけた。ネックレスには魚眼のモチーフが拵えられており、その点を除けばシンプルなデザインで至って普通だが、サンティアは睨まれているような不気味さを感じ思わず声を上げる。
「やっぱりルアナさんって独特な感性ですよね・・・・・・」
唐突に辛辣な言葉を喰らったルアナはかなりのダメージを受ける。
「ええ、そんなに変かな?」
「変とは言ってませんよ?」
サンティアは笑い気味に訂正した。談笑しながら大市場の3分の1程度を見て回っていると、ランチタイムのピークを迎え、辺りはより一層賑やかさが増していく。
「そろそろお昼にしよっか」
「そうですね。私たち、朝から何も食べてませんから」
ルアナの提案にサンティアは賛同し、店を探し始めた。大市場にも食事の出店が並んでいたが、双方共にレストランへ行くことを希望する。大市場を抜け、しばらく歩いた所でルアナが立ち止まった。そして飛び上がるようにサンティアの肩を叩く。
「ここにしようよ!」
指差す先には、【海洋屋敷】の文字。マリーズ大公国を代表する観光名所に数えられる巨大な館を前に、目を輝かせていた。外観の豪華さで言えば国営ホテルにも劣っていない。白煉瓦に緑色の屋根が被せられており、敷地内には水棲生物の像が立ち並ぶ。忙しなく人々の出入りが行われ、その繁盛具合を窺うことができた。
館内へ足を踏み入れると、広い空間内に円柱状のショーケースが乱立していた。ショーケースは水で満たされ、魔領海に生息する魔物が遊泳している。新たな来客を歓迎するように、1匹の【剣尾鮫】がルアナの元へ迫る。
「きゃあぁっ!」
しかし歓迎は受け入れられず、絶叫されてしまった。
「ふふ。養殖ですから、大丈夫ですよ」
サンティアが落ち着かせるように微笑んだ。
海洋屋敷の魔物は、マリーズ大公国で発展した養殖の技術により凶暴性は極めて低下している。この養殖技術を応用し、陸棲の魔物を家畜化した賜物の1つが四翼獣飛行船だった。数千を優に超える種類の魔物が存在するが、家畜化・養殖に成功した種は数百種程度である。今も研究が進められており、海洋屋敷はその技術の発展を象徴していた。
ルアナは本来の目的であるレストランを見つけ、サンティアの腕を引きながら走り出す。
「高級レストラン行ってみたかったんだよね」
見るからに高級レストランといった雰囲気が漂うレストランにサンティアは多少の躊躇いがあったが、ルアナの圧には勝てなかった。
♦図書館
気になる資料に一通り目を通すことができたジャックは、皇国の地に思いを馳せる。ウグィス語でも習得してやろうかと意気込んだものの、残された時間はそう長くない。簡単な挨拶を覚える程度で妥協することにした。
大量の書物を本棚に帰し、図書館を後にする。ホテルへの道を辿っていると、海浜沿いの遊歩道に人集りができていた。人々の視線が集中する先では1人の男と魔物とによる戦闘が繰り広げられている。
「深海の鎧と・・・・・・ラドエフ!?」
思わず声を上げた。目の前で班長が魔物と戦闘をしている状況に理解が追いつかない。見る限りラドエフがやや優勢といったところであろうか。武器も無しでよく戦うなと感心すると共に、不安が残る。加勢するべきか悩んだが、ラドエフの拳が深海の鎧に炸裂したことで、その必要がないことを悟った。