第六十一話 承認されない仕事
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
朝、男は一枚の画面を見ていた。
新しく作った案件登録画面。
これまでと見た目は大きく変わらない。
案件名。
納期。
担当者。
その下に、新しい項目が増えていた。
```
当月残業時間
年間累計時間外労働
45時間超回数
休日労働時間
労務判定
代替候補
```
入力しなければ登録は完了しない。
正確には、
**判定が通らなければ担当者を割り当てられない。**
男はしばらく画面を見つめた。
少し前までの自分なら、こんな仕組みは作らなかった。
ルールを作る。
周知する。
守ってもらう。
それで十分だと思っていた。
だが実際には違った。
誰も悪意で破っているわけではない。
案件は急に来る。
顧客は待ってくれない。
現場は人が足りない。
気づけば残業が積み上がり、
気づけば上限に近づいている。
そして最後に、
「なぜもっと早く言わなかった」
という話になる。
社長の言葉が浮かぶ。
「正しいかどうかじゃない。
回る形にしてくれ。」
男は登録ボタンを押した。
システムは即座に警告を出す。
```
対象者は当月残業時間43時間です。
追加アサイン時、36協定上限接近の可能性があります。
代替候補の確認を推奨します。
```
そのまま登録しようとすると、
ボタンは灰色のままだった。
進めない。
承認されない。
男は静かに呟く。
「これでいい。」
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昼前。
予想通り最初の連絡が来た。
現場リーダーだった。
「ちょっといいか?」
声の調子で分かった。
機嫌は良くない。
会議室に入ると、
開口一番こう言われた。
「案件登録できないんだけど。」
男は画面を見る。
予想通りだった。
担当予定者は、今月四十四時間。
年間累計もかなり高い。
もう少しで上限管理の対象になる。
「労務判定で止まっていますね。」
「見れば分かるよ。」
リーダーは机を指で叩いた。
「でも、やる人こいつしかいないんだよ。」
男は黙る。
それも分かる。
スキルも経験もある。
顧客対応も任せられる。
確かに最適な人材だった。
だからこそ、
そこに負荷が集中していた。
「代替候補が表示されています。」
「経験足りないだろ。」
「補助なら可能だと思います。」
「それじゃ間に合わない。」
会議室の空気が重くなる。
リーダーは続けた。
「正直言うけどさ。」
男を見る。
そして言った。
「現場知らない人が作った仕組みだよね。」
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その言葉は刺さった。
痛いほど分かる。
男自身も現場を持っている。
案件が炎上した経験もある。
納期に追われたこともある。
だから反論できなかった。
会議室を出た後、
男は一人で席に戻る。
システム画面を開く。
本当にこれで良かったのか。
仕事を止めているだけではないのか。
数字を守ることが目的になっていないか。
そんな考えが頭をよぎる。
だが、
同時に別の数字も思い出す。
先月の勤怠。
先々月の勤怠。
長時間労働者一覧。
繰り返される是正勧告。
面談記録。
体調不良。
退職。
あの時も、
現場は言った。
「こいつしかいない。」
その結果、
その人がいなくなった。
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夕方。
再び社長室へ呼ばれた。
社長は資料を見ていた。
「どうだ。」
男は苦笑した。
「予想以上に反発されています。」
「だろうな。」
社長は笑った。
驚くほどあっさりしている。
男は言う。
「案件が止まると言われています。」
「実際、止まるだろう。」
「……。」
「でもな。」
社長は椅子にもたれた。
「今までは何で回してたと思う?」
男は答えられない。
社長は続けた。
「人だよ。」
静かな声だった。
「頑張る人。」
「断らない人。」
「責任感が強い人。」
一つ一つ区切る。
「会社の仕組みじゃない。」
男の胸が少し痛んだ。
思い当たる人が何人もいた。
そして、
自分自身もその一人だった。
社長は言う。
「確認しないと進まない。
ルールを通さないと承認されない。
そこまでやって、
やっと仕組みになる。」
男は黙って聞いていた。
「人が頑張る前提をやめろ。」
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夜。
最後の案件登録が行われる。
担当者の残業時間。
四十五時間。
警告表示。
代替候補。
上司承認。
労務確認。
全ての画面を経由して、
初めて登録ボタンが有効になる。
面倒だ。
時間もかかる。
だが、
誰かが無理をしている状態には気付きやすくなる。
男はログを閉じた。
そして運用開始通知を作成する。
最後の一文を書いて、
少しだけ考える。
何度も消して、
何度も書き直す。
ようやく送信した文章は短かった。
> この仕組みは、
>
> 仕事を止めるための確認ではありません。
>
> 仕事を続けるための確認です。
送信ボタンを押す。
数秒後、
チャットの通知が鳴り始める。
賛成もある。
反対もある。
不満もある。
だが男は画面を閉じた。
反発が出ることは分かっていた。
問題はここからだ。
案件を止めた。
ルールは守られた。
では――
**止まった仕事の責任は誰が負うのか。**
男はその問いから目を逸らさなかった。
その答えが、
次に自分が向き合う仕事だと、
もう分かっていたからだった。
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お読みいただき、ありがとうございます。




