幕間 足りなかったもの
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
——静かすぎる夜だ。
照明を落とした喫煙室で、俺は一人、椅子に腰を落としていた。
ガラス越しに見えるフロアはほとんど暗く、
今日が終わったことだけが、やけにはっきりしている。
判断は引いた。
線も守った。
逃げたつもりはない。
それでも、胸の奥に残るものが、消えない。
——何が、足りなかった。
今回の件を頭から順に辿る。
どこで判断を間違えたか。
どこで、人を取りこぼしたか。
結論は、意外と単純だった。
**判断は正しかった。
でも、見ていた範囲が、狭かった。**
線の内側だけを見ていた。
制度、要件、責任の所在。
守るべきものを優先するあまり、
**線の脇に立っていた人間を、視野から外していた。**
守れなかったのは、判断じゃない。
**流れの中で声を失っていく、人の名前**だ。
俺は息を吐き、天井を見上げる。
資格が足りなかったわけじゃない。
経験が足りなかったわけでもない。
足りなかったのは——
**「声を拾う覚悟」を、判断と同じ重さで置いていなかったこと。**
ドアが開く音がして、社長が入ってきた。
「まだ残ってたか」
「ああ」
短い会話。
ここでは、余計な前置きはいらない。
俺は切り出す。
「今回の件で……
判断は間違えてないと思ってます」
社長は黙って聞いている。
「でも、守れなかった人がいた。
俺が線を引いたせいで、一人になったやつがいる」
言い訳はしない。
事実だけを並べる。
「俺、判断の機能に寄せすぎました。
人を見る目が、後ろにずれてた」
社長はしばらく考えてから、静かに言った。
「足りなかったのは、優しさか?」
俺は首を振る。
「違います。
**引き受け続ける胆力**です」
線を引く覚悟は、もうある。
戻せない判断を背負う覚悟も、できた。
でも——
その線の外に立って、
**黙ってる人間を拾い続ける覚悟**までは、足りてなかった。
社長は少しだけ笑った。
「それに気づいたなら、次は同じことはやらん」
「……はい」
「完璧な判断はいらん。
だが、**自分が引いた線から目を逸らさない奴**でいろ」
胸の奥で、何かが静かに決まった。
俺がやるべきことは、
もっと綺麗に判断することじゃない。
**判断のあとに、残る名前を拾うこと。**
線を引く人間でいるなら、
線の外に立つ覚悟も、同時に持たなきゃいけない。
喫煙室を出るとき、
さっきより空気が軽かった。
まだ足りない。
でも、次に何を足すべきかは、見えている。
お読み頂き、ありがとうございます。




