第二話 クレームは、誰の責任か
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
その電話は、昼休みの直前に鳴った。
「御社の製品、不良が出てるんですけど」
受話器の向こうの声は、静かだった。だが男には分かった。
これは怒ってはいないが、**納得していない声**だ。
営業担当が席を外していたため、男が一次対応に出た。
「詳しい状況を確認させていただけますか」
言葉は丁寧だった。だが、頭の中は白い。
クレーム。
責任。
誰が、何を、どこまで。
電話を切った後、営業と上司が集まった。
「これ、ウチの責任かな?」
「工程的には問題ないはずだが……」
その会話を聞きながら、男はふと、昨夜読んだ参考書を思い出した。
**債務不履行。**
**不法行為。**
ビジネス実務法務3級では、クレーム対応の根本をここで学ぶ。
債務不履行とは、
**約束した内容を、約束通りに果たさないこと**。
・納期を守らない
・品質が契約内容と異なる
・約束した範囲を満たしていない
これらは、感情ではなく「契約基準」で判断される。
一方、不法行為。
これは契約がなくても発生する。
**故意または過失によって、他人に損害を与えた場合**だ。
男は気づく。
**責任の有無は、「謝ったかどうか」では決まらない。**
問題は三つだ。
・契約内容は何か
・それが守られているか
・損害と因果関係があるか
営業が言った。
「とりあえず、ウチが悪いって謝っといた方が丸く収まらない?」
その瞬間、男の中で警報が鳴った。
**安易な謝罪は、責任を認めることになる場合がある。**
過失。
法務の本では、こう定義されていた。
**注意すれば防げたはずのことを、防がなかった状態**。
社内での確認不足。
曖昧な仕様。
不十分な説明。
「やるべき注意」を尽くしていたかどうかが、問われる。
男は勇気を出して口を開いた。
「契約書と仕様書、先に確認しませんか。
それから事実関係を整理して、回答した方がいいと思います」
一瞬、間が空いた。
だが上司は、頷いた。
「そうだな。まず事実だ」
資料を見直すと、問題が見えてきた。
その不具合は、**明文化されていない仕様の範囲**だった。
契約書には書かれていない。
しかし過去のやり取りでは、口頭で触れている。
ここで論点になるのが、「債務の内容」だ。
契約書に書かれていなくても、
**当事者が合意していれば、契約内容になる可能性がある**。
再び、男は本の一文を思い出す。
――契約とは、意思表示の合致。
つまり、口約束も軽くない。
さらに、損害賠償。
損害賠償が成立するには、原則として四つの要件が必要だ。
・故意または過失
・権利侵害(約束違反など)
・損害の発生
・因果関係
全部が揃って初めて、「責任を負う」。
感情論ではない。構造だ。
最終的に会社は、事実を説明し、
改善対応のみを約束した。
損害賠償には応じなかった。
クレームは収まった。
電話を切った後、営業がぽつりと言った。
「変に謝らなくてよかったな」
男は静かに息を吐いた。
この一件で、はっきり分かったことがある。
クレーム対応とは、
**相手を否定することでも、全面降伏することでもない。**
事実を整理し、
責任の有無を冷静に判断し、
必要な対応だけを選ぶこと。
それは感情ではなく、知識の仕事だった。
その夜、男は机に向かった。
自分はまだ、仕事ができる人間ではない。
だが、**守るために立ち止まれる人間**には、なり始めている。
次に何を学ぶべきか。
答えは、もう決まっていた。
会社が最も恐れる事故――
**情報**に関する責任だ。
お読み頂き、ありがとうございます。




