第十七話 「資格、取るんですよね?」と聞かれた朝
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
その朝は、
少しだけ早かった。
特別な予定があるわけでもない。
急ぎの連絡もない。
ただ、
頭が静かだった。
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給湯室で、
コーヒーを入れていると、
後ろから声がした。
「資格、取るんですよね?」
軽い調子。
確認というより、
世間話に近い。
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男は、
一瞬だけ手を止めた。
聞き返さなかった。
冗談にも流さなかった。
否定の言葉も、
すぐには出てこない。
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なぜだろう、と
一瞬考える。
以前なら、
必ず保留した。
「まだ検討中で」
「実務優先なので」
言い慣れた言葉が、
ちゃんと用意されていた。
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だが今日は、
その言葉たちが、
少しだけ遠かった。
現実に、
合わなくなっていた。
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「……受けます」
声は、
思ったより低かった。
宣言でも、
報告でもない。
ただの事実を、
置いただけの言い方。
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「ですよね」
相手は、
それ以上踏み込まなかった。
祝福もしない。
驚きもしない。
まるで、
前から知っていたみたいに。
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その背中を見送りながら、
男は思う。
いつからだろう。
自分の中では、
まだ「途中」のはずなのに。
周囲では、
もう「選んだ人」になっていた。
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席に戻る。
カレンダーの端に、
試験日が赤く残っている。
以前は、
ただの予定だった。
今日は違う。
**説明しなくても、
そこにある前提**になっていた。
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怖さは、
まだある。
だが、
その怖さに名前がついた。
失敗が怖いのではない。
間違えることでもない。
**逃げなかった以上、
途中でやめる自分が一番怖い。**
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拾われた男は、
ようやく認めた。
覚悟は、
内側で固めるものじゃない。
**誰かの何気ない一言で、
外側から、
もう終わってしまうもの**なのだと。
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男は、
テキストを開く。
今日も、
特別な勉強はしない。
ただ、
自分が座っている席に、
違和感が出ないように。
お読み頂き、ありがとうございます。




