シレネの記憶
(わかりやすい敵意で何よりですね……)
目をこれでもかと吊り上げ、シレネを見下ろしてくる女性給仕。こうして彼女が絡んでくるのは、今に始まったことではない。というより、彼女だけに限った話ではない。事あるごとに他の女性給仕含めてイチャモンをつけてくるのである。
というのも、サバルとシレネが出来ていると宮中でまことしやかに囁かれているからだ。
当然、そんな事実はない。
しかし、噂というのは実に厄介で、事実関係や本人の思いとは関係のないところで脚色されながら広まっていくものだ。特に、その中心がシレネのように煙たく思われている者であればなおさらである。
しかも、華やかな見目に加えて第二王子という絶対的な地位を持つサバルは、諸侯の令嬢だけでなく女性給仕たちからも人気が高い。そんな中で特定の女性が彼と懇意にすることは、決して許されない禁忌とされている。
これが名家の令嬢ならば、仕方ないと諦められる余地もあるのだろうが、それが一給仕となれば話は別だ。例え噂が嘘だったとしても、徹底的に潰すという流れが出来上がってしまっているのだ。
それに、シレネはお世辞にも世渡り上手というわけではない。それどころか、お追従やおべっかといった処世術は面倒臭いからと蔑ろにする性質である。必然、拍車を掛けて状況は悪くなる一方だった。
(阿呆らしい……本当に幸せなことで何よりです……)
彼女たち女性給仕は、王宮というどこよりも安全な場所に身を置き、決められた仕事をこなせば何の問題もなく過ごせる。
だからこそ、暇を持て余しているのだろう。
だからこそ、色恋沙汰に躍起になるのだろう。
いや、そうに違いない。そうでなければ、誰それがどこそこの相手と逢瀬しているなど、自分に関係のないことに一喜一憂するはずがない。
そんな彼女たちの姿は、シレネからすれば幸せ呆けそのものだった。能天気極まりない振る舞いを見て、心の内で静かに嘲笑を浮かべる。
それが伝わってしまったのか、
「何ですかその目はっ!?」
「いえ、別に――」
「――あなたは来た時から生意気でしたわね! それがずっと気に入らなかったんですの!」
女性給仕が柳眉を怒らせる。どうやら、逆鱗に触れたらしい。隠しているつもりだったが、内心で舌を出していることに気付かれたのだろう。
内容は一切入って来ないが、何やら女性給仕が喚き散らしている。あまりの悋気にこれでもかとあらん限りの罵詈雑言を並べていることだけはわかる。
シレネはそれを黙って受け入れる。正直言ってしまえば、彼女や彼女たちに何を言われても特に何も思わないのだ。それどころか、あまりに分かりやすいその反応は可愛らしいと、どこか愛おしさすら感じるほどだ。
しかし、そうは言っても、こうしてただ無為に突っ立ってありがたくもない言葉を聞かされるのは時間の無駄であり、苦痛でしかない。
時間とは即ち命である。こんなくだらない女、こんなくだらないことに自分の命を割かなければならないというのがただただ腹立たしい。
(この手のは黙らせるに限りますね……)
怒りを自覚して体の内側で理力が熾されていく。
いい加減大人しく付き合うのも鬱陶しくなってきた頃合いだ。
見せしめにするには丁度良いかもしれない――そう思い至ったときだった。
「――どうしたのかしら?」
凛とした声が背中越しに飛び込んでくる。
「どうもこうも――って、シーリア様っ!?」
女性給仕が慌てた様子で頭を下げ、一歩下がる。
一体いつから近くにいたのか、振り返ると【剣神の娘】が柱に背中を預けながら興味深そうにこちらを見つめていた。
「あ、あの、これは別に……」
「彼女がサバル兄様と話していたのは事実よ。サバル兄様が客人に用があって、行き先を訊いたというのもね。丁度そのとき私も居合わせたから覚えているわ」
「で、ですが、サバル様と私たちのような下賤の者が話すのは風紀を乱しますので……」
「あら? それじゃあ、私と話しているあなたはどうなのかしら?」
「――――っ!」
しまったという表情をして口を噤む女性給仕。
シーリアは最近王宮に来たばかりで、しかも父親であり現国王であるトーリンデルス十二世からは疎ましく思われている。それでも、王女であることに変わりはない。末子ではあるが、地位だけで言えば、サバルとさほど変わらないのである。
「もし、サバル兄様と話すことが風紀を乱すというのであれば、私と話すあなたも同罪ではなくて?」
「…………っ!」
「それに、よ。サバル兄様のお声掛けを無視したとあらば、それこそ問題じゃないかしら?」
「それは……」
女性給仕は反論しようとして、できるはずもなく閉口する。
「あなたの言い分よりも彼女の方が正しいように感じられるのだけど? ただまぁ、情報源が少ないと偏っている可能性もあるから、色んな人の話を聞く必要があるわね」
それを聞いた女性給仕の唇の端が僅かに吊り上がる。数で囲い込んでしまえば、どうとでもなる、そう考えたのだろう。
「畏まりまし――」
「――というわけで、誰にどんなことをされたのか、彼女から聞こうかしら」
と、シーリアがシレネを見る。シレネは涼し気に笑って応じるが、内心「何を面倒なことを」と腹立てていた。
(これで何かあれば、わたしがあれこれ告げ口をしたというのがバレバレじゃないですか)
いくら処世術を軽んじるシレネであっても、それはさすがに選べないとわかる。別に、そっとしておいてくれればそれで良いわけであって、邪魔者を排除だとか波風を立てたいわけではないのである。
故に、シレネがそんな選択をするはずもないのは、考えればすぐにわかることだ。しかし、突然の王女の出現に面食らっている女性給仕が、そこまで頭がまわるはずもなく……。
「え!? 他の給仕たちの話も聞くのでは……」
「ええ。聞くわよ? そこの彼女の口からだけど」
「それでは、一人の意見と変わら――」
「――群れて動く人たちの話を聞いても同じことでしょう? それよりも、多数派に阿らず我を通している人の話を聞いた方が、よっぽど忌憚がないというものよ」
言い切るシーリア。一切の反論を許さないという語気である。
「くっ……」
悔しそうに唇の端を噛み締める女性給仕。同時にその顔には明らかな焦りが浮かんでいる。自分たちに非があることはわかっているのだろう。
「――で? 実際どうなのかしら?」
シーリアがシレネに向き合う。
「…………」
何と答えたものか。
たっぷりと悩み、
「……取り立てて変なことはないですよ? 今日のことも多少手厳しいのは事実ですが、先輩がわたしのことを思って窘めてくれただけです」
「……へぇ」
意外そうにシーリアが目を丸くする。
それで良いのか、と鋭い双眸が問い掛けてくる。
しかし、シレネは肩を竦めて、
「ですよね、先輩?」
と、女性給仕にわざとらしく確認する。
「え、ええ! そうですわ、おほほ……」
「そう? それなら良いんだけど。何だか私が深読みし過ぎて大事にしちゃったみたいね。ごめんなさいね」
「めめ、滅相もございません! そ、それでは次の仕事もありますので私はこれで失礼致します!」
そそくさと女性給仕が去っていく。
そんな彼女の背中を眺めていると、
「――よくも私の顔を潰してくれたわね?」
と、シーリアが冗談っぽく言って笑い掛けてくる。
「こちらこそ、誰かさんの余計なお世話の所為で、話がややこしくなっていい迷惑でした。それと、天下の王女様が言うと、例え冗談であったとしても笑えないです」
「あら、言うじゃない」
「言わせて頂きますとも。事実ですから」
「ふぅん」
気を悪くしたかと思ったが、何が面白いのかシーリアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あなた名前は?」
「シレネですけど……」
「そう。それじゃね、シレネ」
そう言ってシーリアが去っていく。そんな彼女の後姿を呆気に取られながら目で追いかけるシレネ。
まるで嵐か何かと思うくらい何もかもが唐突だった。
それに何より、創造していた王女像――いや【剣神の娘】像からは、かけ離れていた。
「――言い忘れていたけど」と、シーリアが曲がり角に差し掛かったところで足を止め、「ソレはやめときなよー」
そう言い残して奥へと消えていった。
「『ソレ』って……」
シレネは自身の右手へと視線を落とした。
思い当たるのは放つ寸前だった理術、それしかない。
しかし、だ。放つ前の、しかも超極小規模の理術に勘付くとは、一体どんな感覚をしているのか。
「あれこそが【剣神の娘】ということですか……」
どうやら侮っていたらしい。
実物の彼女は噂以上に――自分の予想以上に凄まじかった。




