イオキベ・イベリス その1
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パルテミシア大森林を離れて南東にしばらく進んだところにベスペナウ山脈はある。
南のオルスト公国との国境線にもなっているそこは、雲底を簡単に貫く山々がいくつも峻立し、それらが連なってできている。毎年のように崖が崩れては隆起し、ころころと地形が変わる所為で地図の更新が諦められているほど過酷な環境である。
その麓にヴァルダたちはいた。周囲には無人の家屋が幾つか。
なぜ無人とわかるか。見るからに廃墟と化しているからだ。どれもこれもが全壊ないし半壊し、雨ざらしになっている。梁や壁には蔦が這い、屋内だったところには草が生えている。おそらくは門だったのだろう、形を整えられた石が地面に倒れるように並び、雨風によって運ばれた土で覆われているのもある。苔生したその姿からは且つての役目が失われ、石本来の姿に戻ったことが窺える。
なぜ手入れがされていないのか。理由は単純明快。ルグリカ教国によってこの辺り一帯が侵入禁止区域と定められたからだ。
では、なぜ侵入禁止になったのか。
それこそがここを訪れた理由だ。
「イベリスとやらのところまではあとどれくらいかしら?」
「記憶が合ってりゃ、ここから二時間ってところだなぁ」
「まだしばらく掛かりそうね……」
アウラがふくらはぎの辺りを揉みながら応じる。令嬢然としたその顔には疲労が募っている。
それもそのはず、パルテミシア大森林からここまで通常六日は掛かるところを半分の三日で来ている。当然、強行軍にはそれなりの代償がつきまとう。休息の回数を極端に減らし、その分を進行に充てた。睡眠時間も数えるほどで、一日のほとんどを進行に費やしている。畢竟、疲労は溜まる一方で解消する暇もない。
獣人であるリーナシアや普段から森で生活しているララーナでさえもかなりキツそうにしている。肉体が復活したばかりの、しかも未だ本調子ではないアウラにとってはなおさらだろう。
「準備に一日、移動で三日、合計四日……ぎりぎりってところかぁ?」
「むしろ、生きているのが不思議なくらいです……」
スヴェンの首元に指を当て、容体を診るララーナ。
脈拍は弱くなり、呼吸も随分と乱れている。まるで風前の灯のようだ。いつ死んでもおかしくない。一刻の猶予もないことは誰の目から見ても明らかだ。
「ヴァルダ様もしんどいでしょうに……」
ここまでスヴェンを運んできたのはヴァルダだ。途中リーナシアと交代する場面もあったが、基本的には彼が一人で担いできた。四十近いというのに、さすがは元軍人といったところか。普段は理術者として動くことが多いが、それを支える屈強な体は未だに衰え知らずである。
「なぁに。後でこいつにたっぷりと嫌味を言ってやれるって考えると楽しみでならないぜぇ?」
憎まれ口を叩くヴァルダにララーナがクスリと笑う。
「さてと、それじゃ残りも行きますかねぇ」
ほんの僅かな一休みを終えて、ヴァルダたちは再度行軍を開始した。
山の麓ということもあってか、突然豪雨が降り始める。地面はぬかるみ、何度も足を取られそうになる。麓でも標高が高いのか、周囲の空気は冷たい。雨もあって、体が芯から冷えていく。それでも足を前に出して進み続ける。
そうして当初の想定よりも遅れる形だが目的の場所に到着した。
「洞窟、かしら?」
山肌にぽっかりと開いた穴。暗くて中は見えないが、間違いないだろう。
「誰が呼んだか、【簒奪の洞】ってな」
リーナシアが目を瞑り、すうっと深く息を吸う。そして、彼女が目を開けた瞬間、ポンと光の玉がいくつか宙に浮かぶ。ふわふわと浮かぶそれらの一つを洞窟の中へと放り込み、その後を追うように中へと入る。
「綺麗ですね……」
ララーナが感嘆の声を漏らした。
洞窟内の壁面では、光玉の光を反射して鉱石がきらきらと輝いている。その様はある種幻想的でもある。
「気をつけろよぉ? その昔、ここに宝石取りに潜り込んだ奴らが、石に喰われたって話だぁ」
「ひええぇ! じょじょ冗談ですよね!? そうですよね!?」
慌てふためくララーナをカラカラと笑いながらヴァルダが奥へと進む。
洞穴だというのに、分かれ道一つない。中も舗装されたかのように刳り貫かれている。
しばらく進むと、開けた空間が現れる。
淡く光る鉱石がそこかしにあることで光玉なしでもお互いの顔が見える。まるで洞穴自体が光っているかのようだ。
そんな空間の真ん中には長方形の石台。
石台の上には胸の前で手を組んで仰向けになっている裸の女性が一人。時が止まったかのように、微動だにしない。寝ているにしては胸部が一切動かず、死んでいるにしてはあまりに瑞々しい。
「童話に出てくる眠り姫みたいですね……」
見惚れるようにうっとりとした表情でララーナが見つめる。よく見ようと前のめりになったところをヴァルダが制止。
ヴァルダは一歩前に出て、女性の肩へと手を掛ける。
「狸寝入りもそこまでだぁ」
そう言って女性を揺すった瞬間、女性の目がパッと開かれる。直後、跳ね起きた女性からヴァルダの首目掛けて手刀が猛烈な勢いで放たれた。
「目覚めの挨拶にしては過激じゃないかぁ……?」
歯を食いしばるヴァルダ。その眼前には、ギリリと理鋼糸で防がれた女性の腕。
「我の眠りを妨げる虚けは誰かと思えば、何だ、貴様らか……」
女性が不機嫌を露にしながら、髪と同じ鮮やかな金色の瞳でヴァルダとリーナシアを捉える。
「貴女がイオキベ・イベリス……」
「何だ貴様は? 前はいなかったようだが? そこの緑髪の貴様も」
「はじめまして。私はアウラ。俗に言う炎の女神よ」
「わわ私はララーナと申します」
いつも通り尊大なアウラに、これまたいつも通り消え入りそうな声のララーナ。
二人が名乗ると、イベリスは面食らったようにきょとんとした後、声を上げて笑った。
「クハハ! ふざけた者たちだと思っていたが、音に聞こえし災厄を引き連れてくるとはな……」
そう言って、真顔になったイベリスが一瞬にしてアウラの前に立ちはだかる。
「【神喰らい】たる我の前に神とは――これは何の冗談だ?」
イベリスの方が頭一つアウラよりも高い。結果、炎の女神を見下ろす形になる。
しかし、一方のアウラはというと、意に介した素振りも見せず、涼し気に応じる。
「あら。始祖たる炎の女神を前にして【神喰らい】とは、面白い冗談ね」
…………。
洞穴内の空気が一気に張り詰める。まるで二人から突風が吹き荒れているかのような圧迫感だ。
ヴァルダもリーナシアもララーナもただ静かに成り行きを見守る。
しばらく睨み合いが続いたところで、「クハハ……」とイベリスが噛み殺すように笑った。
「我を前にして一歩も退かぬとは、どうやら本当にかの有名な【滅火】のようだ」
その口振りからは、尊敬や畏怖といった感情は全く感じられない。
「もっとも、貴様らが連れてくるくらいの者だ、下手な嘘偽りを言うとも思っていなかったがな」
「そりゃどーも」
ヴァルダが苦笑しながら肩を竦める。
「して、何の用だ? あの特大の虚けも見当たらぬし、我が安眠を邪魔するくらいだ、只事ではないと見えるが?」
「話が早くて助かるぜぇ」
そう言って、ヴァルダは背負っていたスヴェンを下ろして、事情を説明し始めた。




