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回想そして現在

       ■■■


『あなたは自由に生きなさい』


 ベッドに横たわった母は、よくそう言っては申し訳なさそうに目を逸らしていた。

 そして、その続きは決まって――


『――あなたに不自由を強いてしまった私が言えたことじゃないのだけど』


 後悔で綴じられるのだった。

 幼いシーリアはただぼんやりとその言葉を受け入れることしかできなかった。

 どうして母がそんなにも辛そうな顔をするのか。

 そして、どうして母には寄り添ってくれる父がいないのか。

 幼い自分にはわからないことばかりだった。

 それでも、わかることはあった。

 自分が母を助けねばならないと。

 自分が母を守らねばならないと。

 そのための力を欲した。そのために力を蓄えた。

 街の稽古場に通い詰め、同年代の少年たちと喧々諤々鍛え合いながら。

 最初のうちは母も微笑ましく思っていたのだろう、誰それと勝負して勝ったと言うと顔を綻ばせ喜んでくれた。

 それが、次第に良い顔をしなくなったのは、いつ頃からだっただろう。


 十六のとき、剣神サルファリアと契約した。稽古場の皆や街の者たちからは過剰とも言えるくらいの祝福をされた。何故そんなにも労われるのか、わからなかった。ただ、どうやら自分は凄いことをしたのだということだけは、皆の態度からわかった。

 しかし、剣神との契約を告げると、肝心の母は歓喜ではなく絶望と後悔の表情を浮かべるのだった。

 剣神との契約がどういうことか、そのときの自分には理解できていなかった。だが、大人である母にはその意味がわかったのだろう。


『そっか……私の所為で……』


 何かを悟ったかのように小さく呟いて母が涙を零したのを覚えている。

 体は強くなくとも、気丈で気風の良いあの母が、だ。

 てっきり、喜んでもらえると思っていたのにその反応は予想外で、何より不服だった。


『どうして祝ってくれないの!? 母さんのためにやってきたのに!!』


 まるで自分のやってきたことを否定されたかのようで。

 自分の覚悟を蔑ろにされたようで。

 何より、母のためにと思ってやってきたことが、その母から認めてもらえなかったかのようで。

 未熟な自分は感情のまま言葉をぶつけてしまった。

 そうしたら、母は酷く悲しそうな顔をして、ただ無言でぽろぽろと涙を零すばかりだった。

 その瞬間、自分は母を傷付けてしまったのだと気付いた。それでも、悪いのは母の方だと思った。思い込むようにした。ただただ自分の非を認めたくなくて。

 それから母と言葉を交わす頻度が目に見えて減った。どこか気まずくて、距離ができてしまったのである。

 そして、二十歳を迎えたその日。


『あなたに人を傷付ける力を身に着けて欲しくなかった……』


 突然、思い出したかのように母がポツリと呟いた。あのときわからなかった母の思いが数年越しにようやく明かされたのである。


『あなたにそうさせてしまった私が言えたことじゃないけどね……』


 そう言って母は細くなった腕で自分をそっと抱きしめてきた。

 久しぶりのその感触に思わず、これまで貫いてきた意地が実に馬鹿らしくなった。


『私こそ、意地を張ってごめんなさい……!』


 謝罪を口にした途端、胸に閊えていたもやもやがすっと溶けていくのを感じた。


『あなたに苦労を強いてきた私が言えたことじゃないけど、シーリア、あなたには自由に生きて欲しいの』


『母さん……』


 どうして母がそんなにも自分の自由を願うのか。或いは贖罪だろうか。そんなことはどうでも良かった。自分はただ自分の道を進む。それが他の者から見たら不自由だったとしても。

 そのための力を手に入れた。

 だから、ただ母を安心させたかった。


『大丈夫よ、母さん。私は十分に強くなったから!』


 そう言うと、母は何かを伝えようとして、しかし躊躇うように口をつぐみ、やはり悲しげに笑うのだった。


 それから三日後のことである。

 母が息を引き取った。

 もう長くないことはわかっていたが、それでもいきなりだ。あまりにも呆気なく、現実感がまるで湧かず、ただ途轍もない喪失感に包まれたことだけは覚えている。

 呆然とする自分のもとを王宮からの使いが訪れたのは、それからさらに三日後のことである。


       ■■■


 チュンチュンという小鳥の囀りに目を覚ます。カーテンの隙間からは朝陽が差し込んでいる。

 まだ重たい瞼を二、三度瞬きすると、つつぅと涙が溢れていった。久々の母との思い出はじんわりと胸に来るものがある。

 目元を拭い、上体を起こすと、くぁぁと大きな伸び。新鮮な空気が肺を満たす。それから立ち上がろうとして、どことなく体が重たいことに気付く。その理由を探してすぐに思い至り、朝から頭を抱えそうになる。

 忘れ去りたい現実に半ば諦めつつ、居間へと向かう。すると、元凶は既に起きていたらしく、図々しくリビングの中央に陣取り、得物の手入れをしていた。


「おはよう! 良い朝だね!」


 カミツレの鬱陶しいくらいの笑顔で出迎えられる。ひとの苦労など露知らず、どこまでも呑気なその態度に少しばかり腹が立ってくる。


「あれ? どうしたの? 元気ないね」


「お陰様でね! あなたこそ朝から騒がしいじゃない?」


「そうかなぁ? 普通だよ?」と、カミツレは首を傾げた。「明るく振る舞うのも暗く振る舞うのも当人次第だし、陰鬱な表情をしていても何も良いことなんてないし、それなら少しでも楽しい方が良くない?」


 あはは、と無邪気に笑うカミツレ。

 そんな彼にあんぐりと口を開け、目を丸くするシーリア。

 時折こうして考えさせられることを言うのだから、本当にこのカミツレという青年はよくわからない。ただ一つ言えるのは、間違いなく馬鹿か阿呆かのどちらかだ。


「おはようございますぅ……」


 遅れてシレネが合流する。目元を擦りながら部屋に入ってくるあたり、彼女もまた寝不足のようだ。

 結局、昨夜はシレネもシーリアの家に泊まっていった。カミツレがいる中で一人にしてはおけないと、騒ぎ立てる彼女を納得させるために仕方なくの対応である。

 ただ、これには一つ問題があった。何度追い出してもシレネがベッドに潜り込んできたのだ。

 再三の睡眠妨害に堪忍袋の緒を切らしたシーリアによって、クローゼットに閉じ込められるまでそれは続いた。解放するのをすっかり忘れていたが、どうやら自力で抜け出してきたらしい。


「朝ご飯にしましょうか」


 そう言ってシーリアはエプロンへと手を伸ばし、キッチンに立った。髪留めを取り出し、頭の後ろで束ねていると、カミツレから疑問の声。


「君って料理できるの?」


「最低限、ってところね」


 応えながらエプロンを着けて、包丁を取り出す。保管庫を開けて、空きが目立つことに物寂しさを感じながら、残っていた食材を見てメニューを考える。豪華には程遠いが、どうにか朝食の体は保てそうだ。

 何もこんな奴に食事など、と非難めいた視線がシレネの方から飛んでくるが、気付かないをする。さすがに自分たちだけ食べるというのは、気分が良くない。

 この辺りがシレネに潔癖だと言われる所以なのだろうが、そういう性分なのだから仕方ないと諦めることにする。


「よし」と気合を入れて調理をしていく。野菜の皮を剥き、手頃な大きさに切っていると、いつの間にそこにいたのか、横に立ったカミツレが覗き込んでくる。


「へぇ。大したもんだね。実に鮮やかなお手並みで」


「まぁ、刃があるものなら大抵は使いこなせるわね」


「それって、【剣神の娘】だから?」


「そうね。理術というより特性みたいなものだけど」


 そんなことより、と続ける。


「気が散るからあっち行ってくれないかしら?」


「は~い。手伝いが必要なら言ってね!」


 そう言ってカミツレは奥のテーブルへと去っていった。


「……なんであなたみたいな汚物がここにいるんですか?」


 カミツレを迎えたのは不機嫌そうなシレネだった。ようやく目が覚めたのか、しゃっきりとした表情だが、形の良い眉は不機嫌さを隠そうともせずに顰められている。


「なんで、って昨日のやり取りの通りだけど?」


「ふん。そんなこと言われずともわかっていますとも」


「なら、どうしてわざわざ面と向かって僕に言ったんだい?」


「そんなの、あなたに対する敵意の再確認に決まっているじゃないですか」


「ああ、そういうことか!」と、カミツレはポンと手を打ち、「君は彼女のことが好きなんだね?」


「そうですけど、そういうことじゃないです。そもそも、別にわたしはあなたと話したくないので、話し掛けないで貰えます?」


「まぁまぁ、そう言わずにさ。あれかな、憧れに近い感じかな?」


「……はぁぁ。まぁ、そんなところですね」


「そっかそっか。確かに、彼女ってすっごく可愛いよね。エプロンを着けた後ろ姿とか、こうそそるものがあるというか」


 カミツレがそう言うと、「そうなんですよ!」と、シレネが先ほどまでの不愉快そうな態度はどこにいったのか、ずずいと顔を近づけてくる。


「まとめられた髪が揺れる度に、綺麗な項がちらちらと見えるところとか、もう鼻血ものですよ!」


「いや、出てる出てる。鼻血思いっきし出てるよ?」


「おっと、これは失礼を」


 慌てた様子で鼻を押さえるシレネ。


「とにかく、シーリア様はお可愛いのです! それはもう思わず遠目で、いえ間近で! 吐息が触れてしまいそうな距離で見守ってあげたくなる可愛さなのです!」


「最後随分近距離になったね……」


「あなたに指摘されるとは……何だか人としての自信を失ってしまいそうです」


「えぇ!? 酷っ! 僕のことを何だと思っているのさ!?」


「馬鹿で阿呆なお邪魔虫。空気を読めないだけでなく、どこまでも失礼な男。一秒でも早くその息の根が止まることを切に願って止まない存在」


「……君も大概だよね?」


「さて、何のことでしょう?」


 空々しく惚けて見せるシレネ。

 これにカミツレは問い詰めることを諦めて話題を変えることにする。


「そういえば、君はどうして彼女のことをそんなにも慕っているの?」


「どうしてって言われても……そうですね……」


 何と説明したものかとシレネが顎に手を当てて考え込んでいる。


「あの方は本当に気高くて、格好良くて、優しくて……」


 初めて会った時からその印象は変わらない。


「って、あなたみたいなお邪魔虫にこんな話をするつもりじゃなかったのに……もう!」


 シッシと手で払われるカミツレ。


「いやいや、そんな『あっち行け』みたいな感じにされても」


「これは、失礼を。そんなつもりはなかったのです。『さっさとあの世に行け』って伝えようとしたのに、わたしとしたことが」


「もっと酷いんだけどっ!?」


 カミツレとシレネが言い合っていると、


「――お待ち遠さま」


 シーリアが料理を運んでくる。


「おお……!」


 テーブルに並べられた皿を見て驚きの声を上げるカミツレ。

 余りもので作ったという割にはかなり上等だろう。


「冷めないうちに食べましょう」


 椅子に座るとフォークに手を伸ばした。

 それを見て、カミツレも料理へと手を伸ばす。

 そして、一口食べて頷く。


「うん。普通だ!」


「死ね」


 シーリアの投擲したフォークがカミツレの額に突き刺さる。


「痛っ! もう、人にフォークを投げちゃいけません、って習わなかったの?」


 フォークを抜いたカミツレの額からはぴゅーぴゅーと血が噴き出している。一切動じる様子がないのは、やはり彼が馬鹿だからだろう。


「こんのクソ居候が。文句あるなら今すぐ出ていって欲しいのだけど?」


「すみません、嘘です。とてもおいしゅうございます。ほっぺたがとろけて落ちました。消失しました。はい」


「よろしい」


 それからあっという間に皿が空いていく。

 食べ終え、後片付けが終わったところでカミツレが問い掛けてくる。


「――それで、今日はこの後どうするつもりなの?」


「今日は……」言いかけてシーリアはハッとした表情を浮かべ、「忘れてた……」


「え、何を?」


 顔を上げたシーリアが額に手をあてる。


「今日は王宮に行かなきゃだった……」


 そう応えるシーリアの顔は絶望に満たされていた。

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