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第十七話 小さなお祭りの日

「――以上の功績をもって、北条松千代丸へ別紙にある諸地を加増し、地位を韮山城主へとあげる。以後は国家(北条領国)の藩屏として伊豆の軍を統御するよう、氏康が命じる。重臣らの支持・了解の文書は別途で送られるだろう。なおなお韮山城代のころの権限・職務はそのままとする。これは前のやり取りの通りである……」


 辞令を読みあげる壮年の男は一切、笑わない。氏康の使者・遠山康光とおやまやすみつ左衛門尉さえもんのじょう)である。氏康の一歳下だから、数えの三十三歳。


 いつもは南条綱長というひとが氏康の使者なのだが、すでに老境であり、病気でお休みのようだった。


 遠山康光は、江戸~葛西城をあずかる、北条家東部方面軍の将領・遠山綱景の弟にあたった。また、康光の妻の妹は氏康のお妾さんだから、親戚といえば親戚である。


 松千代は康光を上座へ迎えて平伏していたが、氏康の辞令を受けてから、お互いの位置を変えた。


 韮山城内の政庁・大広間である。松千代と康光のほかは当番の近習・小姓衆しかいない。午後だが、今日はちょっとした行事が外で予定されているため、政庁内は比較的、閑散としていた。


 松千代が上座へあがり、康光が下座に降りても、康光は無表情というか、鋭い眼光を崩さない。目つきがきついことで有名な鳥類・ハシビロコウのようだ。


 松千代の側近筆頭の山角康定もだいたい厳しい表情が多いが、童顔だし、笑う時は笑うので、康光ほど威圧感はない。ただ、


「大きくなられましたね、二のわこさま。いや……いまは、韮山殿でしたね」


 と言った部分に、康光なりの感情が見えた。赤ん坊のころを知っている、甥っ子かなんかの成長をよろこぶ人間の声だったが、表情がまるで動かないので若干、こわい。松千代は上座で気をとりなおし、微笑を浮かべて応対した。


「あ、ありがとうございます、左衛門尉殿。今回の用件は以上でしょうか」

「いえ、実は御屋形さま(氏康)から私信をあずかっております。ご確認ください」

「では失礼して」


 と、松千代は小姓へうなづき、私信を受け取らせたあと、自分で中身を読む。さほどのことは書かれていなかった。


 元服前の子にアレコレと苦労をかけてすまないと思っていること、三年後に西堂丸の元服を予定しているから、松千代の元服も同時にとりおこなうよう考えていること、兄弟同時の元服は珍しくはあるが、前例のあることなので心配はしないこと、という内容だ。


 追伸として、


『自分はもちろんのこと、おまえの曾祖父・早雲公、祖父・氏綱公も、草葉の陰でおまえの功名をよろこんでいることだろう。本文では済まないと書いたが、自分個人の思いを告げれば、今後、ますますの奉公をして、この父を支えて欲しいと願っている』


 と、どこか気持ちの弱さを感じさせる文章を書き入れていた。悪い気はしない。今生の父・氏康の本音と思えた。経歴をふり返れば、今生の父は家督相続以来、ず~っと戦い続けてきたひとなのだ。


 松千代は温泉へ入ったり、本の虫になったり、みんなで遊んだり、ぶっ倒れて二、三日、起きなかったり、とリフレッシュ(?)してるから問題は少ないが、回復なく消耗し続ければ、気持ちが弱くなって当然だった。


(氏康公……今生の父さんはこんな一面もあるのか。きつい性格だとばかり思っていたけれど。それとも、年齢とともに感情を隠さなくなるんだろうか?)


 老いによる病はあるだろう。松千代――前世の佐伯千秋は早世したため、父母のそのような姿は見てなかったが、知識として了解はしていた。


 史実上の氏康は晩年、脳梗塞っぽいものに倒れる。だから、松千代はお医者さんを集めたり、その知己をえたりと草の根活動をしていた。伊豆は薬草の豊富な場所でもあるから、これは容易に進んでいた。産業振興政策の一環として山林の管理をする、そのひとつでもあった。


 だが、どうしてもカンは疑問をていするのだ。『史実上の氏康は大往生なのでは?』と。考えれば、誰かに殺されたわけではないし、自殺したわけでもない。感染症で死んだわけでもない……たぶん。史実上の氏康は発病と療養のすえ亡くなったのだ。これは元亀げんき元年(一五七〇)から同二年(一五七一)にかけてのことだった。


 もちろん、寿命とかそういうのは考えても仕方がないから、松千代はとにかく、自分にできる気くばりをしよう、という方針で動いていた。


「韮山殿は駿河太守(今川義元)とお手紙を欠かしてはおりませんか」

「いえ? もう何度目かのやり取りをしています。父上から聴いてはおりませんか」


「わたくしは御屋形さまのお命じにより、古河公方(関東将軍)家との交渉を担当していましたので、近ごろの駿河方面の話はお聴きしておりません。……もしよろしければお話を訊かせていただいてよろしいでしょうか? もちろん、さしつかえのない範囲でよいのですが」


「分かりました。じゃあ、えっと、なんの話をしようかな。最初のやり取りからはじめます?」

「では、それでよろしくお願いします」

「ハイ。ところで左衛門尉殿は、口調はやさしいですよね……」

「わたくしの口調以外にご不満がおありで?」

「そうではないです!」


 ギロッとした目つきでにらまれる(そう感じる)、康光の眼光に気圧されつつ、松千代は今生の母方の叔父・義元や祖母・寿桂尼とのやり取りを話した。


 義元(この世界線の、とことわれるが)は、外交上、峻烈でも、私信となれば親族の形式を重んじること。個人としては華美を好み、美食を求めるところがあること。和歌は物堅く、いくらか辟易とするところは、松千代に義元と同水準の和歌を求めること。


 寿桂尼のほうはバリバリの女政治家、というらつ腕の評判とは裏腹に、意外とだらけてる面が見えること。松千代が温泉によく入ると聴きつけ、駿河にきたら一緒に温泉に入ろう、太守さま(義元)にはナイショでね、とかなり奔放かつ孫好きな面がうかがえること(この祖母からおっとり系の母が生まれたんだな、と思えば、そうだろう、という感じであった。政治的能力と性格は関係ねえ、という感じだった)。


「なるほど。お教えいただき、ありがとうございました。やはり叔父と甥・祖母と孫の関係でしょうか。世間の評判とは違った一面が見え、おもしろくありました」


「いえいえ。お役に立てたのなら幸いです。父上によろしくお伝えください」

「うけたまわりました。……韮山殿のますますのご活躍を祈っていますよ」 


 康光はそう言って頭をさげ、退出した。


 平伏する前、康光は松千代を見つめ、まばゆげに目を細めた気がしたが、自信はない。表情がほんとうに変わらず、目元がピクッとしただけだったので、万が一の場合、目尻の痙攣という説は捨て切れない。口調の雰囲気でそう感じた、ということだ。


 ただ、外交官としては有能なのだろう。物腰はおだやかで、表情が読めない。押し出しは悪くなく、忍耐強さがありそうだった。山角兄弟へ、康光の評判を問えば、戦場の指揮もたくみで、兵らがしたがうにたる男だ、という。


(いいなぁ、うちにきてくれないかなぁ)


 と、まだまだ人材不足にあえぐ松千代が欲しがる万能人材だが、今生の父が手放さないだろう。それほどの人物だった。


 その時、小姓が松千代の旗本足軽・山下利八郎芳秋の登城を告げた。松千代は身だしなみのチェックをおこない、会おう、と答えた。利八郎の身分はまだまだ低いので、館の内庭へ招いた。


 廊下を歩いて内庭へ行けば、すでに利八郎は平伏していた。商家の祖父を持ち、鍛冶師の父母のもとで生まれ、紆余曲折あって松千代に仕えている。非侍身分の出なのだ。松千代が『久しぶり~』と声をかければ、おもながの顔立ちをあげた。


 松千代の顔を見て、パッと喜色を浮かべる。内々のことだから、松千代が許せば目と目を合わせられた。利八郎は数えの十六歳になるだろう。前世の自分の享年と同い年だろうか。鎌倉由比浦の合戦を生き抜き、いくらか精悍な表情になったようだ。


(オレの顔つきも変わってるのかなぁ)


 と、松千代が縁側に座りつつ、自分の頬をなでたところで、利八郎がウキウキと話しかけてきた。


「遠山殿はお帰りになられたようで。登城のさなかにお会いしました。ご主君をお支えするように、と肩を叩いてもらえて……」

「ああ、よかったねぇ、利八郎くん。嬉しいでしょう、そういうの?」

「ハイ!」


(この子はこういうとこがいじらしいなぁ……織田信長が木下藤吉郎――豊臣秀吉をかわいがったとしたら、こんな感じだったんだろうか)


 松千代はそう思い、我がことのように笑み崩れた。


 政界進出が希望、と聴いた時は目を見張ったが、基本的に労働意欲のあり方を尊重する松千代は、そうかい! それはいいことだよ、と、かえって祝福したくらいだ。松千代の柔和さを嫌う人間はいないではないが、敵でもないのに肩ひじを張るのもいかがなものかといえる。


 家臣領民へ政策や法の順守を求める、為政者としての松千代のきびし~い顔とは、また別に、応接や巡視の際は本来の性格に近い、このような柔和さを出していた。こっちのほうが性にかない、気楽でもあるのだ。


 ともあれ、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ、あと徳川家康にしろ、パワーワードなことに今生は同時代の人間なので、会う機会はあるだろう。


 ただ、わざわざ機会をつくらなければ、会えないかも知れない。安房里見義堯のことを考えるなかで、松千代はそう思いはじめていた。敵になる前ならば。いちるの望みにかけるような気持ちだった。


「それで、今日の用向きはなに?」


「ハイ。鎌倉由比浦合戦の戦勝を祝う、町衆による祭りの準備がととのいました。調整役をなされていた真田殿より、お殿さまをお招きするように、と私におおせつけられ、御前に参上つかまつりました」


「なるほど。聴いてるし、許可を出したし、準備資金もあたえたけどさ……行かなきゃダメ?」

「ご無礼を承知でお訊ねしますが……恥ずかしいのでしょうか、お殿さまは?」


「お祭りは好きだよ。大好きだよ。でも私が首座にいなきゃいけないお祭りは土壇場でなおビビるというか、全身を駆けめぐる気恥ずかしさが、声帯に『行きたくない』と叫ばせるというか……」


「よろしいではありませんか。この乱世のことですから、恥であれなんであれ、あとに残る確証はありません。いや、それがふつうの世の中なのです。身命すら定かではない乱世なのですよ。恥くらいなんですか」


「言い分はわかるけど……言い方! 許すけど!」


「ご無礼を承知で申しあげます。残るものなき世のなかで、お殿さまをお招きしたいと願っている……たとえ宵の喧騒で終わるとしても、その一時のために。かような家臣や町衆の想いを、健気と察してくださるのなら、どうか応じてくださいまし」


「あっ、ずるい、その言い方。こういう時だけ商家育ちの口のうまさを使って。おお、もう……分かった。分かりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば!」


 利八郎がニッと笑い、遠方から祭りばやしの太鼓や笛の音が届いた。近隣のひとはもちろん、けものや神仏すら招かれるような楽しげな音楽。ただ、松千代には『遅いよ、殿さま。いつくるの?』と急かすように聴こえた。


 いや、そうに違いない。


 アレでけっこう意地悪な面のある真田幸綱が『そうれ、太鼓を鳴らし、笛をふき、御殿おんとのさまをお呼びしろ。御殿さまはお呼びすれば、けっこう駆け足できなさる御仁だぞ!』と命じたに違いなかった。


 ちくしょー。なんて連中だ。しかし、分かる! 松千代は感心した。確かに、自分は呼ばれればホイホイ行く。主君遣いの荒い連中と見るか、よくよく主君の心根を理解しつつ必要な軌道修正ができる忠臣ぞろいと見るか、判断に悩むところだった。


「参りましょう、お殿さま。この利八郎が、真田殿が、ご重臣の歴々がお供します。祭りばやしが、ほら、いまや遅しと待っていますよ」


 利八郎が言い、松千代は腹をくくった。


「わ~か~り~ま~し~た~! い~き~ま~すぅ~!!」


 ――この日、北条松千代丸という少年を家臣領民が首座に迎えたお祭りの幕があがった。


 利八郎の言うように、乱世のことは、のちに残るものではないのかも知れない。事象の連続たる歴史なるものとくらべれば、ひとのいとなみなどは小さな小さな豆粒のようで、けれど――ほんのわずかずつでも、残るものだろう。


 たとえば、土地に残るお祭りの由緒に。神社仏閣の縁起に。古老の昔話のなかに。遺跡の出土品のなかに。もちろん真偽の定からぬ軍記物のなかや、家々の倉でホコリをかぶり、また、ふすまの障子紙に使われる、古文書のなかに。


 この世界線の場合、今日のお祭りのことは『伊豆古鑑いずこかん』なる近世初頭の仏僧の著したとされる、土地の慣習や風物を記録した書物のなかに伝わる。


 いわく、こう書かれていた。


『韮山殿が祭りの場へあらわれるや、町衆は歓迎の意として祭りばやしを高く深く鳴り響かせた。


(中略)韮山殿が申されるに、今日このたび、韮山の正当な主に任じられたとのこと、伝えられた町衆の喜びたるや涙の出るありさまであった。


(中略)韮山殿は親しく町衆にお声がけをなされ、稲刈りの際は自分が『からくり』を持って加勢に行くという。おそれおおくも意気に感じた町の若衆は、ならば韮山殿のご用命あらば我々が規定外の用事であれ駆けつける、と返礼したが、韮山殿から止められた。


 通例になってはいけないから、規定の用向き以外はしなくてよい、とのこと。ただ、若衆の気持ちは胸におさめるだろう、と申された。このおおせに若衆は感激し、名君じゃ名君じゃと騒ぎ立て、韮山殿は困られたようで、おろおろなされた。


 これはいかにもおかしく思え、ご重臣の歴々、足軽・雑兵のたぐいはもちろん、町衆のみなで笑い合った。


(中略)韮山殿が笑えばみなで笑い、泣けばみなで泣き、出店は市場のようにならんで、道の先々まで提灯のあかりが消えることがなかった。今宵の祭りは過去に例のない盛況ぶりだと、古老たちは果報に思い、のちのちまで語り草とした。これが、韮山の宵祭りの由緒となったようである――』

 お久しぶりです。お元気でしたか? ぼくは難産でした(震え声)。


 初陣編はこれで終了。次回は強化・発展編とかかなぁ(あるいは外交編とか?)、とは思いますが、なにぶん現状の頭のなかはふわっとしてるので、書いてみなければわかりません。更新間隔は気にしないほうがいいんでないかい? と大泉洋氏の口真似で申しあげます(まがお)。ではまた次回。

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