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私は読んでいた本を閉じて、座っていたふかふかのソファに背を預けた。
うん、もうここに来て一年になったし、大分文字が読めるようになって来たわ。もともと英語もそれなりには話せるし、第二言語としてビジネスに有利なスペイン語も少し話せる程度に言語の勉強は好きだったし。
それにしても、この国で話されている言語は英語にもスペイン語にも似つかない。……本当に私は地球ではない何処かに来てしまったのだということを実感した。ちょっと複雑。
この後宮の主である男は、あれから私のところに来るようになっていた。彼は訪れる度に私と会話をしようとする。おまけに昼間に教師を私につけたので、私は否応なしに勉強しなければならなくなった。もともと勉強自体はそんなに嫌いではなかったけれど、できれば進んでやりたいものではなかったのに。せっかくここに来てだらだらできてたのに、余計なことをしてくれたものだ。
けれど、言葉を覚える機会が増えるのは喜ばしいことだった。だって、下品な言葉ばっかりきこえてきてたからね。
しばらくぼおっとしていると、侍女のアンナが訪れた。私がここに来てからずっと身の回りの事をやってくれている人だ。
「陛下がいらっしゃいます」
「ええ~……またぁ?」
「そうおっしゃるのは失礼だと思いますよ」
「でも、今日は私これから庭に行ってお花の世話をするつもりだったのにぃ」
そんなことを言っていると、ドアがノックされた。へーかが来たのだ。
「ならば、共に庭に行くか」
なんだ、聞こえていたんじゃない。なら話は早いわ。私はぴょんと飛び跳ねるようにソファから降りた。日本人の私の体格だと、この国の家具はすべて大きいものなので仕方がない。どうやらそのような行動は子供のように見えているようなので、子供だと思い込ませておこう。だって、その方が楽だしね。
へーかが腕を差し出してきたので私はその腕にそっと手を乗せた。
庭に着くと、私は彼の手を離して真っ先に花壇の方へ駆けて行く。ああ、今日も綺麗に咲いているわ、この秋桜みたいな花。私の好きな花なので、この花もお気に入り。屈んで眺めていると、へーかも傍に寄ってきた。
「最近勉学はどうだ?」
「さっきは歴史の本を読んでたわ。へーかは最近王になったばかりだったのね」
「もうそこまで読んだのか。教師たちが言っていたが、お前は覚えが早いようだな。特に算術は素晴らしいと言っていた」
算術はたぶん、日本の方が進んでいるようだし、簡単な計算などは義務教育でも習うし、同じような解き方だったからね。でもそう言ってくるってことはもしかして私、何もできない子供だと思われていた?ちょっとムっとする。
ぶすっとした顔をすると、へーかは急にひょいと私を担ぎ上げた。うわ、高い!
思わず私ははしゃいでしまった。だって、自分の目線では絶対に見れない景色なんだもの!へーかはたぶん180センチは余裕であるし、それくらいの視点だとこうやってみえるのか。ちょっと変えただけでこんなに違うなんて、びっくりだわ。
「へーか、へーか!あそこの花が咲いている木の方へ行って!」
私はその木を指さす。へーかちょっと沈黙したけれど、連れて行ってくれた。白くてかわいらしい花が咲いている。たぶん、リンゴの花に似てるから、リンゴの様な果実が出来るのかもしれない。
うふふ、とほほ笑んでいると、へーかは私を下ろしてしまった。……残念。
「リーティア」
そう名前を呼ばれる。これは、半年前にへーかが私にくれた名前だった。ちょっと慣れないけれど、気に入っている。
「そろそろお前を妃にしようと思う」
……は?
確かに教師の人に聞いて、自分は後宮に住ませてもらっているので、妃の候補の様なものだと聞いていたが。だからって私は妃になりたいわけではない。だって、面倒でしょ?今まで以上に他の側妃の人たちからいじめられるに決まってるのに。
「私は妃にはなりたくないわ」
正直にそう答えると、陛下は眉間に皺を寄せた。あ、不機嫌になった。
「逆らうのか」
「だって、嫌なんだもの」
お姉様方に虐められるのが。耐えられるけれど、出来れば、というか全力で回避したいし!
へーかは益々不機嫌になってしまったようだ。あまり表情を表に出す性質の人ではないようだけれど、怒っているのは解る。怖いけれど、だって嫌なんだもん。
「そうか。……甘やかしすぎたか。ならば、教え直してやらなければな。今夜お前の部屋で寝る、覚悟しておけ」
「え」
それだけ言ってへーかは行ってしまった。……ただの、脅しだよね?そうだよね?
気にしないようにようと部屋に帰ってから私は最近気に入った児童書を読んで、夕方になってから夕食を済ませて、お風呂にも入ると、すっかりその事を忘れていた。陛下が寝ようとしているところに訪れなけば。