料理
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「あー、疲れた」
学校から帰ってくるなり、俺は、ただいま、と声をかけることなく、まっすぐ階段を上がった突き当りの自分の部屋に駆け込んだ。
広さは、6畳ほどで、勉強机に椅子、ベッド、そして、タンスと、持ち主の俺でさえも、少し殺風景のように思えるが、このこぢんまりとした庵のような佇まいが逆に俺は好きだ。
学校で勉強するのは、そこまで疲れるわけじゃない。
それこそ、学生の本分は、学業であるから、真面目に修める義務があるし、別段、嫌いで仕方がないというわけでもない。
俺を疲れさせる元凶は、そう、あの休み時間のたわいもない会話から生み出される教室を覆う雑踏だ。
俺は、くだらない人間どものいない、静かで落ち着いた空間がいいんだ。なのに、学校ってやつは、俺の時間を使ってまで、吐き気を催しそうな空間に、引きずり込みやがって。
とはいえ、八つ当たりするものなんかない。第一、それ以前に、八つ当たりしたところで、何にもならない。ただ、疲労が蓄積するだけだ。
俺が、そうして、溜息をついていると、コンコン、と俺の部屋の扉をノックする音がして、俺がどうぞという前に、それは、開かれた。
「……どうしたの、母さん?」
そう、部屋に入ってきたのは、母だった。彼女は、俺の姿を見るや否や、顔をしかめて
「ちょっと、清隆、ちゃんと、制服を洗濯物入れに入れて、パジャマに着替えてから寝転がりなさい。皺がついちゃうでしょ」
「はいはい、わかりました。で、何か用?」
「明日、長崎のお爺ちゃんの六十八回忌だから、もう荷物まとめて、長崎に向かおうと思うんだけど、あんた、今年も行かないでしょ?」
「あぁ、行かない。時間の無駄だ」
それに、明日も補習あるし、俺。
「はいはい、じゃあ、村雨さんの所の遥ちゃんに、夕ご飯、頼んどいたから、ちゃんといい子にしときなさいよ」
母親は、それだけ言うと、俺の部屋から出ていこうとした。
「また、遥かよ……。あいつも、俺なんかの世話を、嫌々、やらされて、大変だろうに……」
母親は、ぴたりと、扉の付近で立ち止まり、
「あんたねぇ……まぁ、いいか」
「まぁ、いいか、って何だよ。気になるだろ」
「いやね……あんたは、あんたが思っている以上に幸せ者ってこと。それだけよ」
「はっ、何を言っているんだよ、母さん。俺は、こんな価値もない人間に生まれて、取り留めもない人生を過ごしているんだぜ。この世界の、どんな生き物よりも、不幸さ」
「そうね、あんたのその思考が、不幸だわ。全く、お父さんと、私のどっちも遺伝子なのかしらね。こんな子になっちゃって」
「おーい母さん、そろそろ行こうかー」そんな間延びした声が階下から聞こえた。
「はーい、お父さん、今行くからー。じゃあ、私と、お父さんは、行ってくるけど、ちゃんと、良い子にしているのよ。そしたら、あんたの好きな、カステラ買って来てあげるから。じゃあねぇ」
そうして、ウフフ、と笑いながら、俺の母親は、階段を、トントン、と降りて行ってしまった。
俺は、それを見届けてから、溜息をついた。
「ようやく、行ってくれたか。……ふっ、何が、俺は、幸せ者だよ。そんなわけないのにな」
幸せ、なんて、いくら母親でも軽々しく使ってほしくない。それが、何かすらもわからない、というのに。
それとも、あれか、当たり前のように、こうやって、平凡な日常を過ごしていることが、幸せとでもいのだろうか。
貧困な国に住む子達、今も紛争の絶えない地域に住む子達、そういった奴らと比較したら、ということなのだろうか。
だとしたら、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
そういう奴らが、経験している生活は、彼らにとっての、当たり前の日常で、それを、俺たちが、一種の同情から、脚色しているだけだ。
それどころか、勝手に、貧困だ、かわいそうだ、と決めつけている奴の方が精神的に貧困だと思う。
「じゃあ、母さんたち行ってくるけど、ちゃんと、シャツ脱いどきなさいよー」
俺は、それから、下の方から、ドアが開閉する音を聞いて、親がどちらも、出て行ったのを確認すると、
「しゃあねぇ、とりあえず、着替えるか。」
シャツと制服を脱いで、パンツのみの恰好になってから、一階へと向かった。
パジャマに着替え、俺は、ずっと、学校から、出た宿題をこなしていた。
宿題の数自体は、プリントが二枚で、一見少ないように思えるのだが、二つとも、物理なので、かなり手間取っている。
始めた時間が、大体5時くらいで、今が、ちょうどぴったり7時。
わからない用語ないしは、ここどうやってやるんだっけか、というところが出てきたら、すぐに教科書を使って調べていたため、いつも、一時間半で終わるところが二時間もかかってしまった。
(……ここを、こうして、ええっと、この計算をこうすれば、……よし、出来た)
俺は、それから、出来上がったプリントを、ファイルの中に入れて、すかさず、学校の用意も仕上げてしまった。
(……あー、それにしても、お腹すいたなぁー)
勉強するって、運動するよりも疲れるし、お腹もすく気がする。
えーっと、たしか、母さんの話によれば、遥の奴が作りに来てくれるんだよな?
でも、いつ来てくれるかは、言っていなかったな。
俺は、全く料理とか、出来ないので、出来れば、早くし来てもらいたいところだが、いかんせん、相手の都合もあるからな。
とりあえず、台所で、何か、お菓子でも食べて、遥が料理を作ってくれるまで、凌ぐか。
俺は、床に散らばった勉強道具を拾い上げ、一か所にまとめると、その場から立ち上がり、部屋を出た。
そして、すぐに、どこかから、何とも言えない、良い匂いが、漂ってくることに気づいた。
(……全く、どこの家からだよ)
俺は、その出所を、探ろうとしたが、いくらクンクン嗅いでみても、全く分からなかった。
それどころか、段々、俺の空腹が、次第に高まっていき、しまいには、胃がキリキリと痛み出し始めた。
それで、もう探るのをやめた。
大げさだが、このままじゃ、餓死してしまいそうだ。お菓子でもいいから、早く、何か口に入れたい。
俺は、その一心で、急ぎ足で、階段を下りて、リビングのドアを開けると、
「やーやー、待っていたよー」
そこには、バラエティ番組を見ながら、床で、枕を抱いてゴロゴロと寝転がる遥の姿が。
「何やってんの?」
もう、それ以上の言葉が思いつかなかった。
「いや、何やってる、って、きよちん、わかんないのー?」
「わからんわ!]
「ごろごろしているんだよー!」
……こいつ一発、真面目に、殴っていいだろうか?
小さい子供がよくやるひっかけクイズ、パンはパンでも食べられないパンは何だ?よりもむかつく。
ちなみに、あれって、正解がフライパンとパンツの二種類あるので要注意。(今度子供に質問されたらどっちも答えてやるといい)
まぁ、それはそれとして、何が、ごろごろしているだよ!
お前な、ドラ○もんは、ゴロゴロして、のび○やその他と、遊んでいるだけなのに、居候先の、親から、飯付き、風呂付、寝床付きに加えて、月一定量の小遣いまで、もらえたのは、道具という圧倒的な能力があったからなんだぞ。
それに比べて、お前はどうだ。バラエティ番組、それもクイズ番組なんか見おって、ここは、お前の家じゃないんだぞ。
……と、延々と、説教してやりたかったが、お生憎、そこまで俺に気力は残されてていないし、何より、どうせ、説教したところで、へらへらと受け流されるだろう。
「本当にやめてくれよな。お前、俺が、いつか会った、泥棒みたいだったぞ」
今でも、思い出す。何年か前に、その時も、これくらいの時間だったが、親が、買い物かで、留守にしていて、俺は、二階で、今日のように勉強していた。
その時、母親は、家の扉を、俺がいるから、という理由で、鍵を閉めないで出ていき、そこを何の偶然か、泥棒に狙われてしまった。
俺は、ひと段落ついて、何か食べようと思って、階段を下って、リビングの扉を、開けた。
そうしたら、灰色のジャージを着て、唐草模様の風呂敷を頭に、巻きつけた、見知らぬ男が、胡坐をかいて、母親が録画していたガキ○かを見ていて、しかもそれを見ているこちらが清々しくなってくるほど大爆笑していた。
俺が、扉を開けても、腹を抱えて笑っていたくらいなので、余程、集中していたんだろう。
俺は、扉をパタン、と閉めて、携帯で、警察に電話し、泥棒もそれに気づかず、数分後に駆けつけた、警察官によってお縄になった。
物を何も盗まず、テレビを明るいところから、1メートル離れて、見るような行儀のよい、泥棒の話は、そこそこに、俺は、肝心の問題を尋ねた。
「……そういや、お前、料理は?」
そうである。ドラ○えもんの道具、もとい彼女がここにいる役目は、俺に料理を振舞ってくれることなのだ。
彼女は、俺も食べたことがあるが、料理がかなりうまいので、そこに関しては、全幅の信頼を置いている。
だが、食卓は、愚か、台所にも、一切そういった、痕跡はない。
「まさか、とは思うが……出前か?」
「そんな訳ないよー。だってあんなもの、体に悪いことこの上ないもん。それを私が、きよちんに食べさせるわけないでしょ」
「本当に、お前って、ファーストフードとか、そのまま出来たものを食べる系が嫌いだよな」
「まぁねー。しかも、もし出前だったら、きよちんが一人で、頼めるわけで、私がわざわざここに来た意味もないでしょ?」
確かにそうだよな。出前もしくは、外で買ってくるだったら、俺一人でもできる。
それに、たしか俺の母親がわざわざ遥に電話をかけて、呼んだんだから、ちゃんとした料理を家で作って食べるはずだ。
「あっ、……もしかして、冷蔵庫の中に、作った料理が、入っているとか?」
もしそうだとしたら、今日の夕飯は、どんな献立なのか、皆目見当もつかないが。
俺がそう尋ねると、彼女は、不敵に笑って
「……ファイナルアンサー?」
「その顔なんかむかつくな。まぁいいや。で、早く、正解でも何でもいいから料理をここに」
「はい、残念。ダダーン、ダーン。挑戦者、実村清隆さんの夢は、ここで、潰えました。あいたっ」
今の、あいたっ、というのは俺が、勝手に暴走する、遥の頭を、目覚ましを止めるように、バシッと叩いたことによるものだ。
彼女は、大げさに自分の頭を押さえる、別にそんなに強く叩いたつもりはないのだが。
「何が、挑戦者の夢は潰えた、だ。俺は、そもそも挑戦者じゃないし、一生そんなものにはならないし、潰えるような夢もない! で、肝心の正解とやらは何だよ?」
「イテテ、えー、不正解の人には教えてあげなーい。ウフフ」
「あ?」
何、頬に手を当ててウフフとか言ってんだ。こいつ。こちとら、もう空腹が限界まで来てんだよ。
「いうえお?」
「やかましいわ! 料理はどうしたんだって聞いているんだ!」
「まぁーそうカリカリしないで、ほら、私を食べていいから、ね?」
「何で、お前を食べにゃならんのだ。俺は普通の飯が食いたいんだ」
「わかった、わかった。じゃあ、よし、一緒に作ろうか」
……へ、今、何て言った?
俺の聞き間違いじゃなければ、一緒に作ろう、って。
「ほら、どうしたの、きよちん、一緒に作ろう。きよちんの好きなカレー」
いや、カレーは好きだけども、そういうことじゃなくてだな。
「何で、俺まで料理を作らなきゃいけないんだよ……」
俺は料理なんかできないし、包丁だってほとんど、触ったことがない。
家庭科の時間はいつも、俺は、洗い物担当だ。
「きよちんのお母さんに、頼まれたんだよ。あの子にも料理を教えてあげえてって」
「母さんが? そんなことを?」
遥は、コクリ、と頷いた。
おそらく、本当のことであろう。
遥はほとんど、いや、俺の目の前で言えば、一度も嘘をついたことがないし、それに、俺の母親なら、そういうことを、気のおける遥に言いそうだったからだ。
(……全く、母さんめ、余計なことを言いやがって)
そのせいで、飯を食べれると期待していた、俺は、自分の手で作らなければいけない羽目になってしまったじゃないか。
とはいえ、ここで、作らないといったところで、それじゃあ、ご飯は、なしね、ということになってしまうわけで。
「……仕方ない。作りますか」
「そうそう、その意気、その意気。大丈夫だよ。私が隣についててあげるし、何より、カレーは簡単だからね」
昔、何かの本で、料理って簡単なものほどその人の腕の真価が問われると来たことがあるんだけど、大丈夫なのかな。
……まぁ、でも、遥がいるなら、俺も大丈夫だろう、隣で指示飛ばしてくれるだろうから、それに従っていれば、おのずといいものだって出来るはずさ。
俺は、エプロンをつけた彼女の背中に向かって、頼りにしているぞ、とつぶやいて、台所に入った。




